スーパーガイドがついてる
「彼は彼らを追い、
難なく進んで行く。
まだ自分の足で
行ったことのない道を。」
(イザヤ41:3)
山を登る時
いちばん安全なのは、
よく知ってる人にガイドになってもらって
いっしょに登ってもらうこと。
ナビみたいな機械は
位置情報は確かに正確かもしれない。
でも、起伏のこと、
お天気のこと、
ペースの取り方なんかは教えてくれない。
状況しだいの対応もできない。
その点、
よく知ってるガイドがいっしょなら、
まかせて言われたとおりにすれば
まちがいない。
自分は初めてでも、心配なし。
今私たちは、
通常の予想進路の途中で
とつぜんわき道に引きずり込まれ
これまでだれも通ったことのない道を
進んでいる。
この先に何が待っているのか、
だれにもよくわからない。
でも思い出そう。
私たちには、全部を知ってる
スーパーガイド=神さまがついてる。
ってこと。
このガイドが教えてくれた通りに
ついていくなら、
自分は行ったことがない道でも
心配はいらない。
私たちに必要なのは、
このガイドの背中を見失わない。
結んでいる綱を切らない。
つないでいる手を離さない。
ってこと。
それさえ確かなら、
今日もだいじょうぶ。
明日もあさってもだいじょうぶ。
空高くどこまでも
「しかし、主を待ち望む者は
新しく力を得、
鷲のように、翼を広げて
上ることができる。」
(イザヤ40:31)
学校や会社に行けない。
気軽にショッピングもできない。
友だちとワイワイもできない…
私たちの行動には今、
いろんな制限がかかっています。
じゃあといって
テレビやネットの情報を見ると、
ここもコロナウィルスの話ばかり。
気分はかなり⤵⤵⤵
でもどうなんだろう。
だから、私たちの心も
不自由になっても仕方ない?
ふさぎこんだりイライラしても当たり前?
不機嫌に当たり散らしてもしょうがない?
そうではない。と思います。
体の自由が奪われたからって
心の自由までなくさなくてもいい。
逆にこんな時だからこそ、
たとえ体の自由がなくなってても
空を飛ぶ鳥のように自由な心を
持ち続けたいもの。
心の自由まで奪われてたまるか!
くらいの気持ちを持ちましょう。
そのためには?
自分なりのいろんな工夫も👍
そして何より、主を待ち望むこと。
⇒神さまが助けてくれると期待して
お祈りすること。
心からより頼むなら、
神さまは必ず助けてくれます。
しばられている心を
解き放ってくれます。
心からより頼むなら。ね。
行動は不自由でも
空高くどこまでもゆうゆうと飛ぶ
自由な心。
神さまにもらって
今日も1日乗り越えましょう。
それは冷や汗もの…?
「ハレルヤ。
神の聖所で 神をほめたたえよ。
その比類なき偉大さにふさわしく
神をほめたたえよ。」
(詩篇150:1,2)
ラグビーワールドカップ。
まだ去年の秋のことだけど、
何だかずいぶん前のことのような
気がします。
これに合わせて
スポーツミニストリーが行われて
世界のクリスチャンたちが
証しをシェアしてくれました。
わが家にも
もとオールブラックスのタガロアさんが
3日間ホームステイ。
お肉以外は食べないらしい。
めっちゃシャワーに入るらしい。
いろんなうわさを聞きながら
ドキドキで迎えてなんとかクリア。
ふう…っと一安心してから
いろいろよく見たりしたら
オールブラックスのタガロアと言えば
ほんとにすごいレジェンドだったらしい。
おもてなしは
それなりにがんばったけど、
あれでよかったのか😅?と冷や汗…
もっと会えた感動を
表わすべきだった?と反省😨。
ちゃんと知っておくって大事。
とつくづく思いました。
私たちが神さまをほめたたえるときは
どうでしょう?
ふさわしくほめたたえてるかな?
そもそもほめたたえている?
えー、なんでー?
はいはい、そうでしょうよ
的な反応が多かったりして。
それで、あとで天国に行ってから真っ青
なんてことになるかも。
まず素直な心でちゃんと知ろう
っていう気持ちを持つ。
そして、ふさわしくほめたたえる。
その心を忘れずに
今日も1日過ごしましょう。
よっしゃ、喜んで
「神は馬の力を喜ばず
人の足の速さを好まれない。
主を恐れる者と
御恵みを待ち望む者とを
主は好まれる。」
(詩篇147:10,11)
小学生のころ
年会にお出かけのスーツケースが
鉛のように重かった
という話を前に書きました。
3,40年経ってから
実は…とその話をしたときの
母の反応
「ああら、そうだったの?
ぜんぜん知らなかった。
言ってくれればよかったのに」
いやいや、
それが言えたら苦労はしない。
と思ったけど、
もしかすると
これは言ったらいけない
言ったってどうせ何も変わらない
って勝手に思い込んでたのかも?
とも思いました。
馬の力や人の足の速さ。
自分が持ってるものや自分の能力
それがないことを
私たちは悲しみ
どうせ。って卑屈になりがち。
それがないから
神さまだって自分のことなんか
はじっこの方に見てるでしょ?
って思いがち。
でもそうじゃない。
何を持ってるか何ができるかよりも
よろしくお願いします。
っていう心を神さまは喜ぶ。
喜んで、よっしゃ
と助けてくれる。
助けてくれる。は、
馬をくれる。足を速くしてくれる。
とは限らないよ?
念のため。
いつでもどこでも即刻対応
「主を呼び求める者すべて
まことをもって
主を呼び求める者すべてに
主は近くあられます。」
(詩篇145:18)
車に乗っている人は
ほぼ必ず入っている保険。
自分はどんなに気をつけてても
事故は降ってくることもあるから、
やっぱり大切。
最近は
こんな便利なサービスもついてるよ〜
っていうCMをよく見ます。
事故が起きたとき
相手と話をしてくれる。
車が走れなくなってたら運んでくれる。
帰る電車賃を払ってくれる。・・・
事故にあっちゃったら
頭は真っ白パニック状態だろうから、
電話するだけで
いろいろやってくれるとわかってると
かなり安心。
神さまも私たちが呼び求めれば
いつでもどこでも
すぐにかけつけてくれる。
だからまずとにかく呼び求める。
=お祈りする。
保険にどんなにサービスがついてても
電話しなきゃ始まらない。
そのときには
まことをもって=心から呼び求める。
お祈りなんて効き目あるの?
なんていう気持ちじゃなく、
必ず助けてくれると信じて。
そうしたら神さまは
呼び求める者すべて=だれにでも
すぐに来てくれて
必ず助けてくれます。
今日も心から
「あなたの助けが必要です」
とお祈りしながら歩みましょう。