あっという間にケロリ

「私が呼んだその日に
あなたは私に答え
私のたましいに力を与えて
強くされました。」
(詩篇138:3
 
 
 
迷子になって泣いてる
3才の子。
 
 
 
いろいろ声をかけたり
お菓子をあげたり
おもちゃを持ってきたり
絵本を読んであげたり
 
 
 
見つけた大人は
お母さんを探すのを待っている間
いろんなことをして
その子の気持を
まぎらわそうとがんばる。
 
 
 
でもなかなかうまくいかない。
お菓子やおもちゃに気を取られた
ちょっとの間は泣きやんでも、
またすぐ思い出してうわーん😢
 
 
 
それなのに、
お母さんが現れたとたん、
さっきまでのあれは何だったんだ、
っていうくらいケロリ。
 
 
 
お母さんがいるってことが、
おやつやおもちゃよりもずっと
その子の元気のもとなんだね。
 
 
 
私たちに人間とって神さまは
3才の子供にとっての
お母さんのような存在。
 
 
 
どんなに
他のものをいろいろ持ってきて
一時的にはそれに気を取られて
気がまぎれても、
それで本当に落ち着くことはできない。
 
 
 
私たちが必要としているのは
たましいの力で、
それを与えることができるのは
神さまだけ。
 
 
 
呼んで求めたら
必ず与えてくれる神さまに
今日も力をもらって
1日過ごしましょう。

火事になったら燃えちゃう?

「異邦の民の偶像は銀や金。
人の手のわざにすぎない。
口があっても語れず
目があっても見えない。
耳があっても聞こえず
また その口には息がない。
これを造る者も
これに信頼する者もみな これと同じ。」
(詩篇135:1518
 
 
 
もし自分の家が火事になって
一つだけ持って逃げるとしたら
何を持ち出すか。
 
 
 
みなさんだったら
なににしますか?
 
 
 
日本のご高齢の方たちから
よく返ってくる答えは
“位牌”というもの。
 
 
 
見たことありますか?
亡くなった方の戒名というものが書いてある
高さ20センチくらいのあれ。
 
 
 
いつもは自分を守ってくれるもの
と言って手を合わせている。
けど、火事になったら
自分が持って逃げないといけない???
 
 
 
持って逃げてあげないと
燃えちゃうものが
ほんとに自分を守ってくれるの???
 
 
 
人が作り出して
“神さま”と言っているものは
みんな同じ。
 
 
 
生きていないものが
私たちを守ってくれることは
ありえません。
 
 
 
私たちをほんとに守ってくれるのは
生きている神さまただ一人。
だから今日もこの神さまに
しっかり信頼して歩みましょう。

プラスワン

「主が家を建てるのでなければ
建てる者の働きはむなしい。
主が家を守るのでなければ
守る者の見張りはむなしい。」
(詩篇127:1
 
 
 
私がよく知ってる人に
どんなことにも準備万端な人が
います。
 
 
 
出かけると決まったら
すぐ時刻表を調べて
何時に乗ってどこで乗りかえるか
きっちりメモ。
 
 
 
歩いて行く時は
地図をプリントアウト。
チケットは必ず発売日にゲット。
 
 
 
出かける時間に合わせて
分刻みでアラーム。
まああわててる姿は見たことなし。
(ちなみに今の同居人ではないけどね)
 
 
 
前もっての準備をちゃんとする。
それは確かにいいこと。
よく考えて手落ちなく、ぬかりなく。
 
 
 
でも、あとプラスワン。
もう一つの準備も忘れずに。
それはお祈りすること。
 
 
 
自分にできる限りのことはする。
でもだからだいじょうぶ
じゃなく、
神さまに守ってもらわないと。
いつ何が起こるかわからないし。
 
 
 
その心を忘れないなら、
神さまは必ず守ってくれる。
思ったとおりにできないときにも
必ず助けてくれる。
 
 
 
プラスワン、忘れないで。

ゾロリじゃなくてゾロ

「主が私たちのために
大いなることをなさったので
私たちは喜んだ。」
(詩篇126:3
 
 
 
怪傑ゾロ。知ってますか?
ゾロリじゃなくてゾロ。
 
 
 
盗賊なんだけど、
仮面をつけて馬でさっそうと現れ、
悪い奴をこらしめやっつける。
 
 
 
当局はこの怪傑を
なんとかつかまえようと必死。
でもゾロは、どうしようもない遊び人、
大富豪のぐうたら息子の姿をして
正体を隠している。
 
 
 
このぐうたら息子と
当局の真面目で立派な青年将校から
プロ—ポーズされるヒロインは、
実はゾロにいちばん心ひかれてる。
 
 
 
そして最後にヒロインを救ってくれた
ゾロの正体が実はぐうたら息子だった。
っていうお話。
 
 
 
もし知らないままで、
プロポーズをことわってたら
うーん、もう!ってことに
なってたね。
 
 
 
神さまが私たちにしてくれたこと。
罪から救ってくれたことは
実はほかの何ものにも代えられない
ものすごいこと。
 
 
 
ほんとの意味、価値を知らないまま、
別にあってもなくても
どっちでもいい。
と思っちゃったりしたら、
それこそ、うーん、もう!!!!
 
 
 
私たちが神さまにしてもらったことは
「大いなること」
=ほんとにすごいこと。
だから、ぜったいに
手放したりしちゃだめなこと。
 
 
 
そのことが
少しずつでもわかる今週の歩み
でありますように。

見守ってる気がする?

「エルサレムを
山々が取り囲んでいるように
主は御民を
今よりとこしえまでも囲まれる。」
(詩篇125:2
 
 
 
「亡くなった〜〜が高いところから
見守ってくれている。」
私たちが生きている日本の社会では、
とても好まれる考え方。
 
 
 
生きている間は
あんまりうまくいかなかった家族も
ライバルだった相手も
亡くなったとたんに
自分を見守ってくれる存在になる。
 
 
 
気持はわからなくはないけど、
なんだかとっても
都合のいい考え方かな
という気がしなくもない。
 
 
 
見守ってくれるっていうけど、
特に根拠もない。
なんとなくそうみんなが思ってて、
自分もそうだったらいいなと思ってる。
それだけ。
 
 
 
だいたいほんとに私を守ってくれるような
力があるの?
ちょっと頼りなさすぎない?
 
 
 
私たちをほんとうに取り囲んで
守ってくれるのは
亡くなった人たちではなく
神さま。
 
 
 
そんな気がする。だったらいいな。
ではなく、みことばにちゃんと
書いてある。
 
 
 
だから、
自分に都合がいいときだけ。
助けてほしいときだけ。じゃなく、
いつも信じてあてにしよう。
 
 
 
今日もちゃんと
見守ってくれているから。