喜んでと言えるといいね
「『さあ 主の家に行こう。』
人々が私にそう言ったとき
私は喜んだ。」
(詩篇122:1)
彼や彼女でも友だちでもいいんだけど、
「会おうよ」って誘われたとき、
どう感じるかは
その人に対する自分の気持ちを
はかれるものさし。
好きな相手なら、
誘われたらうれしくて、
都合があっても喜んで調整して
その日を楽しみにでかけていくでしょう。
でも、
誘われてもあんまりうれしくない
と感じ始めたら、
二人の関係にちょっと黄色信号。
なんか行かなくてもいい理由が
できないかなー
となったら赤信号。
「主の家に行こう」
今で言えば教会に行こう
と言われたとき、
それがどのくらいうれしいか楽しいか、
それともおっくうか憂鬱か。は、
自分にとって神さまがどのくらい大事か
をはかれるものさし。
もし喜べないとしたら
原因は一つじゃないと思うけど、
いちばん大きいのは
神さまがしてくれたことのすごさが
よくわからない。
あんまり大したことないと思えないことかも。
私たちはがんばって喜ぶことは
できない。
でも神さまを聖書に書いてあるとおりに
ちゃんと知れば、
やがて気持ちは自然についてくる。
わいてくる。
今日も神さまをさらに知る
1日でありますように。
そして、喜んで。と言える
私たちでありますように。
爆睡どころか
「あなたを守る方は
まどろむこともない。」
(詩篇121:3)
まだ学生だったころ。
目が覚めてみると
ちょうど連続テレビ小説の最中。
8時過ぎちゃったか―
と思いながら時計を見ると
なぜか1時前。
あれ? 電池切れ?
「時計の電池きれたかも」
と言いながら部屋を出て行くと
爆笑されました。
「時計、あってるよ?」
かくしてその日は
爆睡のうちに
半分が過ぎ去ってしまったのでした😨。
人がどんなにがんばるよ!
守るよ! と言っても、
ぜったいに不可能なときがあります。
なぜってどうしても寝なきゃだから。
寝ずの看病などと言ったりするけれど、
それができるのは
せいぜい3日くらい?
ずっとはどんなにしたくてもできません。
でも神さまは
爆睡どころかまどろむこともない。
ちょっとの間うとうとすることもなく
私たちを守ってくれる。
私たちが自分で自分のことを
どうすることもできない
眠っている間も、
神さまは守ってくれるのです。
今日もちゃんと守ってくれます。
より頼んで1日過ごしましょう。
パトカーが近づいてきても
「私はあなたの仰せの道を
走ります。
あなたが私の心を
広くしてくださるからです。」
(詩篇119:32)
信号が黄色になったら
あなたは止まりますか?
それとも行きますか?
信号で何度も止められることは
時間のロスのように
感じることもあるけれど、
実は逆。
ものすごく待ったように思っても
到着する時間には
それほど差は出ない。
たとえ10分損をしたとしても、
事故を起こすよりは
ずっと早く到着できる。
交通ルールは私たちを
制限しているように見えるけど、
実は安全と自由を
守ってくれているのです。
神さまのルールも同じ。
ルールと聞いただけで
しばられる!
と思いがちな私たち。
でもそれは実は私たちを
罪と滅びから守ってくれるもの。
そして自分が安全だと
わかっているから、
広い心、ゆとりのある心で
歩むことができます。
規則を守ってれば
パトカーが近づいてきても
何の心配もなく平気でいられるのと
似てるかも。
今日もその中を歩みましょう。
どっちについたら生き延びられる
「主に身を避けることは
人に信頼するよりも良い。
主に身を避けることは
君主たちに信頼するよりも良い。」
(詩篇118:8,9)
今年の大河ドラマは
本能寺の変を起こした
明智光秀が主人公の『麒麟がくる』。
娘の珠(たま)は
やがてクリスチャンになって
ガラシャ夫人として知られている人です。
戦国時代の人たちは
リアルに生死がかかる日々を
過ごしていたんですね。
人質になって敵国に嫁ぐとか、
今なら、ありえない!話です。
そんな戦国時代のお侍さんたちにとって
いちばん大事だったことは
だれの側につくか。
戦いの時
勝った方についていれば国も安泰。
でも負けた方についていたら
自分は切腹、家臣は浪人。
だからどっちにつくべきか、
必死に考えたにちがいありません。
最終的に勝つのはだれか。
見抜く力がためされたんですね。
今の私たちにとって
選ぶべきなのは神さま。
と言っているのが今日のみことば。
なぜなら私たちのほんとうの幸福を
考えてくれて、
最後に本当に勝つのも神さまだから。
神さまの側について行けば、
すぐには結果が見えないことがあっても
最後はかならず大丈夫
ってことがわかっている。
ついていってまちがいない方。
今週もその方の側にしっかりついて、
歩んでいきましょう。
いきなり簡単スマホ
「主を恐れる者を祝福してくださる。
小さな者も、大いなる者も。」
(詩篇115:13)
ガラ携からスマホに
機種変しようかなーと思って
ショップに行ったときのこと。
まあどう見ても、
私が若くないってことは確か。
でもいきなり
簡単スマホの説明ばかり
してきたのには驚きました。
どうせわからないだろう
って思ったんでしょうね。
ちょっとそこで買う気には
なれませんでした。
もちろん売る人も
売れなければ意味がないから
やむを得ないこともあるのかもしれない。
でもあんまりあからさまなのはね…。
相手を見て態度が変わる。
人の社会ではよくあって、
それでいやな思いをさせられることも
よくあることです。
でも神さまには、
そういうことが決してありません。
優秀でも優秀でなくても
お金を持ってても持ってなくても
有名でも無名でも
弱くても強くても
同じように接してくれます。
「主を恐れる」
それが祝福をもらえる
たった一つの条件。
こんな自分だから。
という悲しい思いをさせられることが
ない。
それって、とってもいいよね。