デマの波にのまれない錨
「その人は悪い知らせを恐れず
主に信頼して
心は揺るがない。」
(詩篇112:8)
マスクやアルコール消毒液が
お店から消え、
最近ではあちこちのお店で
トイレットペーパー、
ティッシュペーパーの棚がからっぽです。
なくなるかもしれない
という不確かな悪い知らせで
頭がいっぱいになっちゃって
そんなにあわてなくてもだいじょうぶ。
というお知らせは
ほとんど耳に入らないみたい。
なぜ人は不確かなうわさやデマに
ふり回されてしまうのか。
それは、自分の安全を
何とか自分で確保しようとするから。
確かに、より頼むものがなければ
私たちは風のまにまに
波のまにまに
吹き回され弄ばれるしかありません。
でも、
この世界には風も波もたくさんあって
それに遭わずにすむ
ということはできないけれど、
その中でも心が守られることはある。
と今日のみことばは教えてくれます。
どうやって?
それは神さまに信頼すること。
神さまへの信頼が
私たちの心の錨になってくれる。
少し動かされることがあっても、
どこまで飛んでっちゃうか、
どこまで流されちゃうかわからない。
ということからは守られる。
確かめなくちゃならないのは、
風や波がどんなにすごいかじゃなく、
その錨がちゃんとつながってるかどうか。
そこを確かめて
今日も神さまに
心を守ってもらいましょう。
大事なだいいちボタン
「知恵の初め
それは主を恐れること。
これを行う人はみな賢明さを得る。」
(詩篇111:10)
“おかあさんといっしょ”の
長寿コーナー
“パジャマでおじゃま”。
うちの子たちが子どものころ
もうあったから
かれこれ30年以上は続いてます。
3歳の子が
いっしょうけんめいボタンをかける姿は
とってもかわいい。
ボタンをとめるとき、
なんと言っても大事なのは初めのボタン。
そこをまちがえると
せっかくのがんばりも
とっても残念なことになっちゃう。
「主を恐れる」ことは
私たちの人生のだいいちボタンなんだよ。
そう言ってるのが
今日のみことばです。
そこがずれてしまうと、
途中はなんとなく
うまくいっているように見えても
最終的にゆがんで残念なことに。
やっと最後まで行ったと思ったら
どうやっても合わなくて
そこまでのがんばりが水の泡
になってしまいます。
ずれてることがわかったら
修正するのは早ければ早いほど
グッド☆&楽♡
だいいちボタンが
ちゃんとはまってるか。
行くところまで行っちゃってから
じゃなく、
今のうちに点検しておきましょう。
途中からずれちゃう。
なんてこともあるから気をつけて。
そんなこと言ったっけ
「主はご自分の契約を
とこしえに覚えておられる。
命じられたみことばを
千代までも。」
(詩篇105:8)
本の注文を頼まれたので、
忘れないうちにと
その日のうちに発注しました。
なのに、10日たっても届かない。
おかしいな?
連絡してみました。
なんと
「そういう注文は届いていません」
という返事。
えーそんなはずない!
だってファックス原稿も確かにあるのに。
ほんとのとこはどうだったのか
結局よくわからなかったけど、
とにかく急いで別書店に頼んで
注文の件は一件落着。
人と人の間では
「言った」「いや、聞いてない」
「頼んだ」「いや、頼まれてない」
そんなやり取りがよくあります。
それが意外に尾を引いちゃって
いろいろこじれるもとに
なっちゃうことも。
ビデオみたいに巻き戻して
確かめられたらいいけどね。
でも神さまは、
自分がした約束を
そんなこと言ったっけ?
なんていうことはぜったいにない。
こっちが忘れることがあっても、
“とこしえに”覚えてる。
そしてちゃんと言ったとおりに
実行してくれる。
いただいたみことばは確かです。
今日も神さまは
覚えてくれています。
虚像じゃないほんとの私
「主は
私たちの成り立ちを知り
私たちが土のちりにすぎないことを
心に留めてくださる。」
(詩篇103:14)
人に作り出された自分像。
自分で作り出した自分像。
それはほんとうの自分とは
だいぶかけはなれてることが
よくある。
そのギャップが
私たちを苦しめることも
よくある。
こうなってほしいなー
こうなりたいなー
それはいくら思ってもいいよね。
だけど、
そこに自分を寄せていかなきゃ
いけないかどうかは別の問題。
実際の自分とちがう自分像。
⇒虚像と戦う。
それってむなしすぎる。
私たちのほんとを
ほんとに知っている存在。
それは神さまだけ。
その知り方は
リストをながめて
あー知ってる。で終わりじゃなく、
心に留めてくれている。
今週もよく知ってる神さまが
ほんとの私をほんとにふさわしく
導いてくれます。