どこを切っても100

「すべてのものは
衣のようにすり切れます。…
しかし あなたは変わることがなく
あなたの年は尽きることが
ありません。」
(詩篇102:26,27
 
 
 
これいいな、
と思って服を買って帰ってみたら
同じようなのを持ってた。
けっこうありますよね。
 
 
 
衣装棚の中って
なんとなく同じようなものになっちゃう。
だからたまにはいつもとちがう服。
と思って買ってみるけど、
なんだか着る気になれない。
で結局いつものやつ。
 
 
 
特にお気に入りは
どうしてもヘビロテしちゃうから、
どうしても傷んでくる。
 
 
 
えりぐりがのびてきたり
型くずれしてきたり
黄ばんできたり、けばだってきたり…
 
 
 
買いかえがきく
定番ものならいいけど
掘り出しの1点ものだったりしたら
着れなくなりそうな予感はかなしい。
でも、どんなお気に入りでも
いつかはさよならしなきゃなりません。
 
 
 
でも神さまはちがいます。
最初はとっても気を使ってくれてたのに
だんだんそっけなくなった。
声をかけても生返事だった。
めんどくさがった。
そういうことが決してない。
 
 
 
最初から100%。
いつも100%。
いつまでも100%で
私たちに接してくれます。
愛してくれます。
 
 
 
どこを切っても100%。
今日も100%です。

せっかくの安全地帯

「知れ。主こそ神。
主が 私たちを造られた。
私たちは主のもの 主の民
その牧場の羊。…
主はいつくしみ深く
その恵みはとこしえまで。
その真実は代々に至る。」
(詩篇100:3,5
 
 
 
大きな道路には
必ずと言っていいくらいある歩道。
歩行者が安全に歩けるために
キープされている安全地帯です。
 
 
 
歩道があるのに
どこを歩くかは自由だ!なんて言って
わざと車道を歩いて事故にあっても、
なぜ車道を歩いていたのか?
と言われるでしょう。
 
 
 
歩道があるならきちんとその中を歩く。
自分の安全を守るために
大切なことです。
 
 
 
私たちの心にも、
安全地帯とそうじゃないところがある。
神さまを信じる人が入れられる
神さまの囲いの中。
そこが安全地帯。
 
 
 
そこは深いいつくしみと
とこしえまで続く恵みと
代々に至る真実で守られている囲い。
 
 
 
小さい子はわからないから
車道でもかまわず出ようとする。
そしたら、大人はくり返し
「そこは危ないから出ちゃだめ」
って教えるよね。
 
 
 
ダメって言ったらかわいそうだから
行かせてあげよう
なんて言う人はいないでしょう。
 
 
 
聖書もくり返し
「神さまの囲いから出ちゃだめだよ」
と教えてくれています。
なぜなら囲いの外は
罪と誘惑とさばきと滅びの世界だから。
 
 
 
私たちの心の安全地帯。
今日もしっかり
その中にとどまっていましょう。

ちょっとだけもやってみない

「主を愛する者たちよ。
悪を憎め。
主は 主にある敬虔な者たちの
たましいを守り
悪者どもの手から
彼らを救い出される。」
(詩篇97:10
 
 
 
「ほんのちょびっと」
1回ためしにやってみるだけ」
「ただの遊び」
 
 
 
そのほんの少し
あとを引いて、
どんどんふくらんでいき、
やがては後に引けなくなる。
 
 
 
特に悪いことって、
その傾向が強い気がします。
ドラッグ系なんかはその典型。
 
 
 
ちょっとのつもりが
やめられなくなって
いかんと思いながら
ついまたやってしまう悪い癖。
 
 
 
どうしてなんだろう?
それは、人の心は
神さまから離れて以来
悪いことに吸い寄せられる
っていう困った性質を持ってるから。
って聖書は言ってる。
 
 
 
やめようと思えばいつでもやめられる?
いや、やめられないんだね。
やめた方がいい、やめたい。
と思ってもやめる力がない。
それが人の心。
 
 
 
だから、
「ためしてみない」
「ちょっとだけもやってみない」
が大事。
 
 
 
悪を憎む。
強い言葉だけど、
そのくらい強い気持ちで
神さまに助けてもらって。
それが結局は自分を守ることになる。
 
 
 
今日も神さまに助けてもらって
きっぱりおことわり。
守ってもらいましょう。

気持の表れだから

「まことに主は大いなる方。
大いに賛美される方。
聖なる装いをして 主にひれ伏せ。」
(詩篇96:4,9
 
 
 
新型ウィルスが広まって、
学校やらイベントやら
スポーツやら
いろんなものが中止・延期になっています。
 
 
 
特に気の毒なのは
受験や卒業、就職など、
大切な節目を迎えている人たち。
 
 
 
大きな就職説明会も中止になって、
インタビューを受けてた大学生の部屋には
新品のスーツが。なのに、
「せっかく買ったけど使わずじまい」
って言ってました。
 
 
 
初めてのスーツ。
説明会でさえ、
やっぱりGパンではないよね。
 
 
 
着るものなんか関係ない。
それはある意味ほんとのこと。
でも、着る物は気持ちを表す。
相手にふさわしい服。
大事だと思います。
 
 
 
神さまに対してはどうだろう?
もちろん神さまは
うわべじゃなく心を見ている。
それにしても、「何でもいい」の方向に
ふれすぎてる気が・・・
 
 
 
無理して買って
っていう意味じゃないけど、
説明会でさえスーツなら。ね。
せめてデートに行く時くらいの
気持は使っていもいいのかな。と。
気持の表れだから。
 
 
 
そして、天国に入るには
どうしても必要な「婚礼の礼服」。
(?な人はマタイ22章を見てね)
それが聖なる装い。
これを着なかったら天国には入れない。
 
 
 
たかが服。されど服。
大人になるにつれて
けっこう大事。
天国に入るにも大事。
考えて目配り。忘れずに。

力を抜いてほぐして

「まことに 主は私たちの神。
私たちは その牧場の民
その御手の羊。
今日 もし御声を聞くなら
あなたがたの心を
頑なにしてはならない。」
(詩篇95:7,8
 
 
 
自分が先輩になったとき。
上司になったとき。
親になったとき。
 
 
 
後輩や部下、子どもを持って
初めて見えてくる景色が
いろいろある。
 
 
 
自由にさせてくれない。
自分をしばりつける。
そう感じていた言葉も
自分を守ろうとしてだったんだ、
ってわかることがある。
 
 
 
そのまま行ったらどうなるか。
それがわかってるから
止めようとしてくれる言葉。
 
 
 
まあ人間の先輩だと、
ただ気に入らん。
で言ってくることもあるけど、
神さまはそういう“気分”で
私たちに何かを言うことは
決してない。
 
 
 
神さまは羊飼い。
だからいつでも私たちに
何が必要か、今はどうしたらいいか
ちゃんと知っている。
私たちよりもよく知っている。
 
 
 
少なくとも
「言われた」ってことで
頭がいっぱいになっちゃって、
何を言おうとしてるのか
考えようともしない。
そういうことがないように気をつけよう。
 
 
 
かたくなではない心。
決めつけない。
少なくともどういうことなのか考える。
それは神さまに対しても
人間に対しても
うまくいく重要ポイント。
 
 
 
心の力を抜いて
ほぐして、やわらかく。
今週も神さまに耳を傾けながら
過ごしましょう。