なんでもない日から
「なんと幸いなことでしょう。
主よ あなたに戒められ
あなたのみおしえを教えられる人は。
わざわいの日に
あなたはその人に平安を与えられます。」
(詩篇94:12,13)
岩の上に建てた家と砂の上に建てた家。
ちがいが出たのは
雨が降って洪水がおしよせたとき。
雨が降るまでは
どっちもまったく同じに見えました。
心が穏やかに過ごせる。
神さまを信じていてもいなくても
みことばを読んでもいなくても
何もないときには
どっちでもあまり変わりなく
同じにできるように
感じるかもしれません。
ちがいが出るのは“わざわいの日”。
何も特別なことがない
なんでもない日から
みことばを読んで心に留め、
神さまに信頼している人。
その人に神さまは、
わざわいの日にも平安を与えてくれる。
洪水になりそうになって
どんなにヤバい!と思っても
それから家の土台を補強。はムリ。
わざわいが来てしまってからでは
どんなにヤバい!と思っても、
急に心の土台を補強はできない。
なんでもない日から地道に。
ほかに方法はないんだね。
見直し始めるなら今日から。
今日もみことばから離れずに
過ごしましょう。
コツコツはやがて必ず報いられます。
力を抜いてほぐして
「まことに 主は私たちの神。
私たちは その牧場の民
その御手の羊。
今日 もし御声を聞くなら
あなたがたの心を
頑なにしてはならない。」
(詩篇95:7,8)
自分が先輩になったとき。
上司になったとき。
親になったとき。
後輩や部下、子どもを持って
初めて見えてくる景色が
いろいろある。
自由にさせてくれない。
自分をしばりつける。
そう感じていた言葉も
自分を守ろうとしてだったんだ、
ってわかることがある。
そのまま行ったらどうなるか。
それがわかってるから
止めようとしてくれる言葉。
まあ人間の先輩だと、
ただ気に入らん。
で言ってくることもあるけど、
神さまはそういう“気分”で
私たちに何かを言うことは
決してない。
神さまは羊飼い。
だからいつでも私たちに
何が必要か、今はどうしたらいいか
ちゃんと知っている。
私たちよりもよく知っている。
少なくとも
「言われた」ってことで
頭がいっぱいになっちゃって、
何を言おうとしてるのか
考えようともしない。
そういうことがないように気をつけよう。
かたくなではない心。
決めつけない。
少なくともどういうことなのか考える。
それは神さまに対しても
人間に対しても
うまくいく重要ポイント。
心の力を抜いて
ほぐして、やわらかく。
今週も神さまに耳を傾けながら
過ごしましょう。
地球はほんとに丸い?
「主よ あなたのみわざは
なんと大きいことでしょう。
あなたの御思いは
あまりにも深いのです。
無思慮なものは知らず
愚か者にはこれが分かりません。」
(詩篇92:5,6)
地球は丸い。
あたり前のこととして教えられてるから
そんなこともちろん知ってる。
だよね。
でも、教えてもらわなかったら
私たちが自分でそのことを知るのは
とてもむずかしい。
それは地球が
あまりにも大きすぎるから。
御前崎に行くと少しわかるよ。
って教えてくれた人がいる。
水平線がカーブしてるんだって。
いつか行って見てみたい。
見えてる範囲では
地球はどう見ても平ら。
それは私たちに見えるのが
ほんのほんの一部分だけだから。
私たちに見えている
神さまのみこころも、
実はほんのほんの一部分。
だから「え〜、丸いの〜?
信じらんな〜い、
だって、平らにしか見えないじゃ〜ん」
的になりがち。
だけど、
地球は丸いんだよ。って教えられて
自分では見てなくても
あたり前じゃん。
と納得してる私たち。
だったら、
神さまのみこころはまあるい愛なんだよ。
って聖書が教えてるなら、
そうなんだね。
って納得していいんじゃないかな。
神さまのみこころはいつでもまあるい愛。
ちがうふうに見えたとしたら
見えてるのがほんのほんの一部分だから。
今日もそのみこころは変わりません。
危険が飛び交ってても
「主は
ご自分の羽であなたをおおい、
あなたは
その翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦。」
(詩篇91:4)
この間、
オシドリがひなを育てる様子を
テレビで見ました。
オシドリと言えばおしどり夫婦。
仲良し夫婦の代名詞みたいに
言われるけど
なんと雄はいっさい子育てしないらしい。
生まれたひなたちは
お母さんの後を追って必死に歩く。
それがめちゃくちゃかわいい。
でもひなたちには天敵がいっぱい。
特にカラス。
いつもひなをねらっている。
危険なとき
ひなたちが逃げ込むのは
お母さんの羽の下。
何匹入るんだ、ってくらい
たくさんのひなが守られていました。
お母さんの羽の下にいれば安全です。
神さまも母鳥のように
神さまを愛する人たちを守ってくれる。
それは好き勝手してても
悪いことが起こらない。
っていう意味ではないよね。
自分一人じゃ自分を守る力がない。
いつも神さまに
守ってもらうことが必要。
っていうお祈りと
神さまはそうしてくれるっていう信仰。
それがお母さんの羽のように
いろんな危険、罪や誘惑が飛び交う中でも
私たちの心を守ってくれる。
今日も守ってもらいながら
1日を過ごしましょう。
あら、いなくなっちゃった?
「山々が生まれる前から
地と世界を
あなたが生み出す前から
とこしえからとこしえまで
あなたは神です。」
(詩篇90:2)
この前ある人から
こんな話を聞きました。
その人のお姉さんは
“霊が降りてきていろいろ見えて
教えてくれる人”に
ずっと頼ってきたんだそう。
もうほんとに心から心酔して、
まるで神さまのように
何でもその人に相談して
見てもらってたらしい。
でもその人が亡くなってしまった。
まあもともとかなり
ご高齢の方だったみたいなんだけど。
だから頼るところが
今はなくなっている。という話。
どんなに頼りにできて神さまみたい
って言っても、
死んでしまう人間だったら
それでもう終わり。
世の中にあるたくさんの“宗教”も
教祖様が人間なら、
いずれは死んでしまう。
そしたらどうするの?
まことの神さまは
とこしえからとこしえまで神さま。
それは始まりも終わりもなく
いつも神さま。ってこと。
だからこれからはいなくなっちゃう。
もう頼れなくなる。
ってことがぜったいにない。
いつでもずっと
頼りにしてだいじょうぶなお方。
今日も頼りになります。