ゆるしてもらえるって、いいね

「しかし 神はあわれみ深く
彼らの咎を赦して
滅ぼされなかった。
怒りを何度も抑えて
憤りのすべてをかき立てられることは
なかった。」
(詩篇78:38
 
 
 
テレビに出てる有名な人が
薬物関係で逮捕されたっていうニュースを
最近くり返し聞きます。
 
 
 
つかまると裁判になるけど、
1度目は有罪の判決が出ても
執行猶予がつくことが多いみたい。
執行猶予3年なら、
3年間犯罪を犯さなければ
刑を受けなくてすむ。
 
 
 
決まった刑がほんとに
行われるかどうか。
それは猶予中の態度にかかってる。
 
 
 
つかまった人が
あ~よかった、執行猶予でラッキー☆
って何の反省もなく
また同じことをくり返したりしたら、
今度は猶予をつけてもらえなくなっちゃう。
 
 
 
罪を犯したら必ず死ぬよ。
って神さまは言ったけど、
実を食べた瞬間は死ななかった。
な~んだ、死ぬなんて冗談じゃん?
そうじゃありません。
それはちょうど執行猶予みたいなもの。
 
 
 
人間は言ってみれば、
全員、死刑の執行猶予中。
それが執行されるかどうかは
私たちが生きてる間の
神さまに対する姿勢にかかってる。
 
 
 
人間の社会では2度目だと
猶予がつかなくなる可能性も。
でも神さまは、悔い改めさえすれば
何度でも赦してくれる。
ほんとにありがたい😊
 
 
 
だからって、
な~んだ、だいじょぶじゃん、
じゃなくて、
ゆるしてもらったことを感謝して
生きることが大事。
 
 
 
今日も1
神さまがすべて赦してくださる方
であることを
感謝して過ごしましょう。

いったん深呼吸して

「私は 
主のみわざを思い起こします。
昔からの あなたの奇しいみわざを
思い起こします。」
(詩篇77:11
 
 
 
私たちにとって
経験はとても大事。
 
 
 
同じことをするのでも、
初めての時はかなり緊張するけれど、
回数を積み重ねていけば、
だんだん慣れてきて、
最初ほどの緊張や不安は
なくなっていくでしょう。
 
 
 
それは自分で
こうなったらこうなる。
こういう問題が起こったら
こう対処すればいい。
ということがわかっていくから。
 
 
 
それは、教科書とかで読んでいた時とは
全く別の確信や安心感。
 
 
 
でも信仰となると、
私たちはその経験値を働かせるのが
どうも苦手みたい。
 
 
 
前に神さまが助けてくれた
同じ問題なのに、
まるで初心者かっていうくらい
不安になっちゃう。
そういうことはないでしょうか。
 
 
 
どうしてだろう?
してもらったことは
忘れやすいからかな?
 
 
 
何かが起こりそうなとき、
心配する前にいったん深呼吸して
考えてみましょう。
前にも同じようなことがなかったか?
その時神さまはどうしてくれたっけ?
 
 
 
神さまはここまで私たちを
助けてくれました。
同じようにこれからも助けてくれます。
だからだいじょうぶ。
今週も助けてくれます。

毎日毎日延々

「そのささげ物が
牛の全焼のささげ物である場合には、
傷のない雄を献げなければならない。
その人は自分が
主の前に受け入れられるように、
それを会見の天幕の入り口に
連れて行き・・・・・・・・・。」
(レビ1:3
 
 
 
今年こそは聖書を通読!
とがんばって読み進めてきた人が
力尽きる最大の難所。
それがこのレビ記かもしれません。
 
 
 
こういう場合はこう、
ああいう場合はこう、
って延々とこれでもかって続く。
 
 
 
はっきり言って
今の私たちとは何の関係もない。
いったい何のために
こんなに長々おもしろくないことが
書いてあるの?
 
 
 
確かにそうなんだけど、
見方を変えればこういうこと。
つまり、もしイエスさまがいなかったら、
私たちは今でも
これをやり続けていなきゃならなかった。
毎日毎日それこそ延々と。
 
 
 
でもイエスさまが来てくれた。
そして、ここに書いてある全部を
一気に完ぺきクリアしてくれた。
 
 
 
どんだけのことをイエスさまが
してくれたのか教えてくれる。
それがこのおもしろくない(苦笑)個所。
なんだね。
 
 
 
これをやらなくていいように
してもらった。
私のために全部引き受けてくれた
イエスさまの恵み。
 
 
 
今日改めて覚えましょう。

良縁にする努力

「歌をもって
私は神の御名をほめたたえ
感謝をもって
私は神をあがめます。」
(詩篇69:30
 
 
 
野球界のレジェンド
野村克也さんが亡くなったそうです。
 
 
 
ご本人が選手としても監督としても
すばらしい方だったわけだけど、
すでに亡くなられた奥さんとの関わりも
みんなの注目の的でした。
 
 
 
野村さんについて
いろいろ取り上げられている中で
二つ心に留まったことがあります。
 
 
 
一つは野村さんが言ったという
「結婚した以上は、
相手が自分にとっていいかどうか
じゃなくて、
お互いにとって良縁だったと言えるように
努力していかなくちゃならない」
ということば。
 
 
 
もう一つは
奥さんにいろいろなことがあったときも、
悪口を決して人に言わなかった。
ということ。
 
 
 
それは決して偽善や建前じゃなく、
自分がすべて受けとめていく、
という覚悟のようなもので、
それが人を感動させるんだなと思いました。
 
 
 
自分の気に入ったかどうか
だけでいろいろ言いやすい私たちだけど
一度決めた以上は引き受ける覚悟も
大事なんだろうなと思います。
 
 
 
水がのどに入ってきて
深い泥沼に沈み
足がかりもなく奔流に押し流されてる。
そんな状況で神さまをほめたたえる。
って言ってるダビデも
きっと同じ覚悟を持っていたのでしょう。
 
 
 
今日は1
神さまに文句や不平ではなく
ほめたたえる心と言葉だけをもって
過ごせたらいいですね。

どんなにしょっちゅうでも

「ほむべきかな 主。
日々 私たちの重荷を担われる方。
この神こそ 私たちの救い。」
(詩篇68:19
 
 
 
困ったときは
一人で抱え込んで無理せずに
助けてもらう。
いい意味で必要なことだし、
とてもいいことです。
 
 
 
それが、どうしても無理なとき。
ときどき。しばらくの間。なら、
ぜんぜん問題ないでしょう。
 
 
 
でも、同じことを
毎日毎日延々と、となったら、
少し話がちがってくるかもしれません。
 
 
 
最初のうちは
気持ちよくやってくれてても、
あんまり重なると
だんだんいやな顔をされたり、
いやみを言われたり、
なんてことにもなりかねない。
 
 
 
お願いする方も、
だんだんお願いしづらくなります。
 
 
 
でも神さまは
「日々」重荷を担ってくれる方。
日々、ってことはつまり、毎日。
それがどんなにしょっちゅうでも、
どれだけ同じお願いでもOK
 
 
 
またか、といやな顔をしたり、
ちょっとは自分で
できるようになったらどう?
なんていやみを言ったり、
そんなことはぜったいにない。
 
 
 
逆にお願いすればするほど
喜んでくれる。
何回でも毎日でも
「またよろしくお願いします」
って言いさえすれば
喜んで「いいよ!」
って引き受けてくれます。
 
 
 
今日も引き受けてくれますよ。