押し流され注意報

「こういうわけで、
私たちは聞いたことを、
ますますしっかりと心に留め、
押し流されないように
しなければなりません。」
(ヘブル2:1
 
 
 
1時間に100ミリを越えるような
雨がふって、
道路や建物が水につかる。
最近はそういうことがよくあります。
 
 
 
あふれた水の力は
思ったよりずっと強いから
避難するなら
よっぽどの注意が必要。
 
 
 
水がひざまで来たら、
大人の男性でも歩いて避難するのは
むずかしくなるそうです。
 
 
 
それほどの深さに見えなくても
水が押し流す力って
ものすごいんですね😨
 
 
 
私たちが生きている社会にも、
目には見えないけれど
「神さまなどいない。」
という大きな流れがあります。
 
 
 
とにかく自分がよければいい。
見つからなければ
少しくらい悪いことをしても
かまわない。
正直に生きて損をするのはバカバカしい。
 
 
 
それは全部
人の人生は体が生きている間だけ。
という考えから来ているもの。
でも聖書はそうじゃない。
とはっきり言っていますよね。
 
 
 
いつの間にか
世の中の流れにどっぷりつかって
気がついたらすっかり押し流されていた
ということにならないように、
みことばをしっかり読んで
神さまに守ってもらいましょう。

あわてないで

「ファラオは人を遣わして、
ヨセフを呼び寄せた。
…ヨセフはひげを剃り、
着替えをして、
ファラオの前に出た。」
(創世記41:14
 
 
 
無実の罪で
牢屋に入れられてしまったヨセフは、
夢を解き明かしてあげた献酌官長に、
私の無実を伝えてくださいと
お願いしたのに、
忘れられてしまいました。
 
 
 
ヨセフの悪化には、
囚人の後にまだ続きがあったのです😨
ようやく牢を出られたのは、
それからまた2年もたった後でした。
 
 
 
遅すぎ?
でも実はこれが
ベストタイミングでした。
 
 
 
もし献酌官長がヨセフを覚えていて
頼んだ時に伝えてくれてたら、
ヨセフはただの一囚人として
釈放されただけだったでしょう。
ファラオに会うことなど
まずありえませんでした。
 
 
 
このタイミングだったからこそ、
ヨセフはファラオに会い、
ファラオに感謝され、
エジプトの大臣になったのです。
 
 
 
良くないことが起こったとき、
少しでも早い解決がいい解決。
と私たちは思います。
 
 
 
人の気持ちとしては、
当然のことです。
いやなことは少しでも短い方がいいです。
 
 
 
でも、「遅れたからこそ」
のこともある。
そのことは頭の片すみに
とめておきましょう。
 
 
 
遅い=悪いとは限らない。
それが神さまのもっと大きくてすばらしい
恵みの実現に向かう階段の
1ステップかもしれません。
 
 
 
あわてないようにしましょう。
待った方がいいことも
あるのです。

見てなくてもまちがいない

「その人は
イエスが語ったことばを信じて
帰って行った。」
(ヨハネ4:50
 
 
 
ポストに手紙を入れる。
荷物を宅配便に頼む。
その瞬間に
手紙や荷物はもう相手に届いたも同じ。
 
 
 
人手不足がかなり深刻で
大変みたいだけど
日本の郵便や宅配は
ほんとに確かです。
 
 
 
これが宣教地の話などを聞くと、
話はまったくちがうらしい。
送ってもらった荷物が
今回はずいぶん早く着いたね。
と思ったら、
去年送ったやつだった😨
なんてこともリアルにあるんだって。
 
 
 
ちゃんと届けばまだいい方で、
もしかすると
途中で抜き取られることもある
っていうからびっくり。
 
 
 
私たちにとって神さまは
日本の郵便や宅配?
それとも宣教地の郵便?
 
 
 
頼んだからもうまちがいない。
それとも頼んだけど
着くか着かないかわからない。
どっちだろう。
 
 
 
お願いしたからもうだいじょうぶ。
と帰ったこのお父さんみたいに
私たちも
お祈りしたからもうだいじょうぶ。
って神さまを信頼しよう。
 
 
 
まだ結果を見てなくても
なったように行動する。
それが“信仰”。
 
 
 
今週も1週間、
だいじょうぶな神さまに信頼して
歩みましょう。

それとこれとは

「しかし、主は
ヨセフとともにおられ、
彼に恵みを施し…。」
(創世記39:21
 
 
 
願っていることがかなわない。
どころか、逆に
どんどん悪化していく。
 
 
 
クリスチャンだったら
そんなことは起きないはず?
 
 
 
 
もしそんなことがあったら、
お祈りが聞かれてないってことだし、
神さまは自分のことなんか、
どうでもいいと思っている
っていうこと?
 
 
 
ヨセフはお兄さんたちに
売り飛ばされました。
お父さんとは、
「お使いに行ってきます」
と言って別れたままそれっきり。
 
 
 
それだけでも
そうとうあり得ない話。なのに、
わけがわからない奥さんの
わけがわからない訴えで
無実の罪を着せられて、監獄。
 
 
 
豊かな家のお坊ちゃん→奴隷→囚人。
これでもか。という悪化です。
でも、神さまはヨセフといっしょに
いました。そして助けていました。
 
 
 
私たちの毎日にも、
良くなるどころか悪くなってる。
ということが起こるかもしれません。
 
 
 
でも忘れないでください。
物事が悪化することと
神さまがいっしょにいるかどうかは
関係ない。ってこと。
神さまはどんなところにも
いっしょにいてくれます。
 
 
 
悪化したように見えても
神さまはその中で
必ず助けてくれます。
そして最後には大逆転。
だから今週もだいじょうぶ。

私の分もちゃんとある

「わたしは、
アブラハムとイサクに与えた地を、
あなたに与える。」
(創世記35:12
 
 
 
おじいさんやお父さんが
あんまりすごくて立派だと、
子どもたちは
けっこう大変です。
 
 
 
政治家、創業者、スポーツ選手、
歌舞伎や俳優、歌手などの芸能人。
そして、クリスチャンホームでも
あるあるですね。
 
 
 
いつも自分じゃなくて
「~~さんの息子(娘)さん」
「~~さんのお孫さん」
としてしか見てもらえない。
 
 
 
それはプレッシャーになるし、
つらかったり
悲しかったりすることもある。
 
 
 
自分は自分なのに。とか、
神さまは親には恵みや祝福を注いだけど、
自分はそうでもないよね。とか、
そんな気持ちになることもあるかも。
 
 
 
でも神さまは
だれかだけに特別たくさん
恵みや祝福を注ぐわけじゃない。
 
 
 
私にもちゃんと同じ恵みを
準備して注いでくれている。
「あなたの分もちゃんとあるよ」
そう言ってくれます。
 
 
 
もしちがいがあるとしたら、
それは受け取ろうとする
自分の姿勢かも。
 
 
 
受け取る気持ちが同じなら
私の分もちゃんとある。
神さまは
私を私としてちゃんと見て、
恵みも祝福も
ちゃんと準備してくれています。