少しでも楽に持ち上げられるように

「すべて疲れた人、
重荷を負っている人は
わたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って
わたしから学びなさい。
そうすれば、
たましいに安らぎを得ます。」
(マタイ11:28,29
 
 
 
最近話題になっている
重いものも楽々持ち上げられるよ~
っていう装着型ロボット。
 
 
 
これをつけると
30キロくらいは
かなり楽々持ち上げられるらしいから、
引っ越し輸送とか介護とか、
実用に期待がかかっているみたい。
 
 
 
私たちにも毎日かかってくる
いろんな重荷。
イエスさまが休ませてくれる。
って聞くと「それが全部なくなるの?」
と思うかもしれないけど、
そういうことではないよね。
 
 
 
生きているかぎり
何の重荷も負わなくてすむ
なんていう状況は
残念だけどまずこない。
 
 
 
どっちにしても負わなきゃいけない。
それなら、
少しでも楽にかつげる方法を
使わない手はない。
 
 
 
ポイントは
最後にある「たましいの安らぎ」。
これがまるで装着型ロボットみたい。
同じ荷なのに
楽にかつげるようにさせてくれる。
 
 
 
イエスさまにありのまま話して
ゆだねるとき、
イエスさまがくれる
「たましいの安らぎ」
 
 
 
ぜひあなたの心にも
装着しましょう。

神さまのおためし

「こうしてわたしを試してみよ。
わたしがあなたがたのために天の窓を開き
あふれるばかりの祝福を
あなたがたに注ぐかどうか。」
(マラキ3:10
 
 
 
食わず嫌い。
食べてみたことがないのに、
見た目などでおいしくないと
決めてしまうこと。
 
 
 
そこから派生して、
よく知らないことをイメージだけで
きらうことにも
このことばを使います。
 
 
 
やってみたこともないのに
あれはだめだとか
きらいだというのはよくないし、
ほんとはいいものだったら
もったいない。
 
 
 
そういうことにならないように
でしょうか。
最近はいろんなものに
“お試し”があります。
 
 
 
ほんとうにおいしいかどうか。
ほんとうに効き目があるかどうか。
自分で食べてみる、使ってみるお試し。
 
 
 
今日のみことばは
神さまがすすめてくれている
お試しです。
 
 
 
神さまについても、
よく知らない、やってみていないのに、
どうせ、と勝手に思っていること、
ないでしょうか。
 
 
 
神さまはあふれるばかり
祝福してくれる方。
やってみないまま決めてしまうのは
あまりにももったいない。
今年はぜひ「やってみる」
一年にしましょう。

してほしいなら

「ですから、
人からしてもらいたいことは何でも、
あなたがたも同じようにしなさい。」
(マタイ7:12


 
 
もうかなり前のことだけど、
「宣教地の子どもたちに服を送ろう」
という呼びかけに応えて
集まった服を見て、
係の人たちが頭を抱えたそうです。
 
 
 
なぜって、
宣教地ではとても着られないような
フリフリのワンピース、
着古したヨレヨレのシャツ、
泥だらけですり切れそうなスニーカー
そういうものがたくさん入っていたから。
 
 
 
ほんとうならもう捨てるもの。
自分の子どもにはもう着せられない。
でも宣教地なら・・・?
 
 
 
ただであげるんだから。
という思いだったんだろうけれど、
あまりにも相手を考えていない行動でした。
とても送れないから、
結局処分によけいな手間がかかることに。
 
 
 
そういうことが
災害の支援やチャリティーバザーでも、
くり返し起こったから、
今では
日用品や食品は未開封で期限内のもの。
服などは新品同様のもの。
という条件がついてることが多くなっています。
 
 
 
自分がしてほしいことをしなさい。
とイエスさまは言いました。
それは、自分がされたらどう感じるかを
よく考えてね。ということ。
 
 
 
相手の立場を考える。
それは「愛」のスタートポイント。
そして、人との関係がうまくいくために
ぜったい抜かせないポイントです。
 
 
 
してくれない。
ばかり言っているのも同じ。
してほしいなら、自分もしないとね。

片方だけ大きいと曲がる

「人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る
一つひとつのことばで生きる。」
(マタイ4:4
 
 
 
最近は一口にペットと言っても、
いろいろ珍しいものが
増えているみたいです。
ハリネズミとか、フクロウとか
手のひらサイズのサルとか。
爬虫類系もいろいろ。
 
 
 
何かを飼おうとするとき、
とても大事なのは
その動物が何を食べるかということ。
動いてる虫じゃないと。
なんていうと、けっこうハードル高め。
 
 
 
他の動物にとってはものすごいごちそう。
でもその子が食べられなかったら
どんなにたくさんあげても
あげていないのと同じ。
 
 
 
私たちが生きるために
“パン”はもちろん必要。
私たちの体をキープして
生きていくことができるようにしてくれるもの。
それがパン。
 
 
 
でも私たちの心は、
目に見えるパンで養うことはできません。
 
 
 
心が育つ養分を持っていて、
活動する力と元気を与え、
成長させてくれるもの。
それは神さまのみことばです。
 
 
 
体だけがどんなに元気でも、
それだけじゃあ
二つある車輪の片方だけが大きい感じ。
片方だけ大きいと
まっすぐ前に進むことはできなくて、
曲がって行ってしまいますね。
 
 
 
体を養う。
同時に心もしっかり養う。
みことばから心にも栄養、忘れずに。

わかってくれない人がいてもだいじょうぶ

「そうすれば、
隠れたところで見ておられる
あなたの父が、
あなたに報いてくださいます。」
(マタイ6:4,6,18
 
 
 
自分のしたことを
人が認めてほめてくれる。
だれにとっても悪い気がすることじゃないし、
うれしいことです。
 
 
 
認めてもらえれば、
がんばりがいがあるし、
お互いに相手の努力を認めて
評価できたら、
人間関係的にもうまくいくでしょう。
 
 
 
ただし、認めてもらう、ほめてもらう。
それはあくまでも結果の話。
それが目標になってしまったら
本末転倒です。
 
 
 
ほめてもらうことが目標になると、
そこに偽りが生まれてきたり、
話を盛ってしまったり、
なんてことになりかねません。
 
 
 
加工写真。
やっちゃいけないことの動画アップ…。
しないのはもちろんだけど、
見るときにも気をつけないとね。
 
 
 
人は一部分だけ見て評価することが多いし、
そのときのその人の気分で
時によってまったくちがったりする。
それを当てにしていたら、
こっちもふり回されてしまいます。
 
 
 
神さまは隠れたところで
全部をちゃんと見ている方。
そして、ちゃんと報いてくれる方。
その報いは、
したことにふさわしい報いです。
 
 
 
今年も神さまはちゃんと見ています。
そして報いてくれます。
わかってくれない人がいてもだいじょうぶ。
自分がすべきことに励みましょう。