別の道
「彼らは夢で、
ヘロデのところへ戻らないようにと
警告されたので、
別の道から自分の国に帰って行った。」
(マタイ2:12)
イエスさまを礼拝した博士たちは
来たときとは別の道から
帰って行きました。
それは夢で
ヘロデのところへ戻らないように。
と警告されたから。
ヘロデに挨拶しないで帰るのは
普通なら考えられないことだったけど、
博士たちがその警告に従ったので、
赤ちゃんイエスさまのいのちは
守られました。
たぶん博士たち自身のいのちも
守られました。
星に導かれてやって来た
博士たちは、
イエスさまにお会いした後は
直接に神さまの声を聞くことが
できるようになったのです。
イエスさまにお会いして
イエスさまを礼拝すると、
神さまの声がそれまでより
よく聞こえるようになります。
その声に、
それまでは思っても見なかった
別の道を通るように。
とうながされることが
あるかもしれません。
それが普通なら考えられない道でも、
その声に従うことが
神さまがしようとしていることに
プラスになり、
さらに自分自身を守ってくれることにも
なるのです。
邪魔者か王さまか
「これを聞いて
ヘロデ王は動揺した。…
その星を見て、
彼らはこの上もなく喜んだ。」
(マタイ2:3,10)
救い主イエスさまが
近づいてくるとき、
人がとる態度は二つしかない。
とある本に書いてありました。
一つはヘロデ王のように、
自分をおびやかす者、
自分のじゃまをする者として
排除しようとするか。
もう一つは博士のように、
自分の王として
心から礼拝をささげるか。
救い主をおびやかす者、
邪魔者と思う人が感じるのは
動揺であり、恐れです。
でも王として礼拝する人が
感じるのは
この上もない喜びです。
イエスさまは
自分のじゃまをする。
だからあまり干渉してほしくない。
と感じている部分があるなら、
その部分こそ、
自分が神さまに取り扱ってもらう
必要があるところ。
そこはゆずらない。ゆずりたくない
と思い続けているかぎり、
ほんとうの喜びを感じることは
できません。
そこを手放さないことが幸福。
ではなく、
手放すことこそ幸福。
その幸福が
喜びを与えてくれるのです。
ネットだけではわからないこと
「羊飼いたちは、見聞きしたことが
すべて御使いの話のとおりだったので、
神をあがめ、
賛美しながら帰って行った。」
(ルカ2:20)
新しい場所に行くとき、
行く前にまずネットで調べる。
もう当たり前のこととしてやっている人が
多いと思います。
まずはアクセス方法。
そしてお店ならメニューとか
だいたいの値段とか。
写真があると、
雰囲気もなんとなくわかっていいですね。
ネット情報はとっても便利。
出かけなくても家にいながらわかる。
これがなんと言ってもいいところ。
それでもやっぱり、
実際に行ってみたのとは大ちがい。
空気感とか、味とか、
それは行ってみて初めてわかる。
そして私たちの中に残るのは、
ネットでながめたことではなく、
自分が実際に行って見聞きしたことです。
羊飼いたちは
み使いの知らせを聞いて
「へえ〜、そうなんだ、すごいね」
で終わらせず、立ち上がって
生まれた赤ちゃんを捜し当てました。
だからうれしく、
賛美が口から出てきたのです。
イエスさまについて
どれだけたくさんのことを聞いても、
それで知識が増えても、
それだけでは私たちの心は変わりません。
聞いて知っているとそれだけで
なんとなく自分はわかっている
と思ってしまいやすいもの。
知ってるけど、やってるかな?
このクリスマスは、
そこをもう一度確かめましょう。
「それ知ってる」で終わらせたら
それは通り過ぎて行ってしまいます。
ぜひ立ち上がって
出かけていきましょう。
自分の口で自分のことばで
お祈りしましょう。
呪いの魔法が解ける
「いと高き所で、
栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。」
(ルカ2:14)
魔法をかけられちゃって
変だったり、こわかったり、
醜かったりする姿にされている王子さま
が出てくるお話。
すぐ思い出すのは
美女と野獣の野獣。
ハウルの動く城のかかしカブ
もそうでしたね。
野獣はベルが現れたことで
温かい心を取り戻していき、
最後には
本来の王子の姿を取り戻します。
罪におちいっている人間は
ちょうど魔法をかけられた野獣のよう。
お互いを愛し思いやり、
神さまのすばらしさをあらわす。
それが造られた時の
人間の本来の姿。
でも“罪という魔法”で、
神さまを無視して傷つけ合う
醜い姿になってしまいました。
ほんとうはそんなこと
したくないのに
互いに恐れ、傷つけてしまう。
自分も傷つき、苦しみます。
クリスマスに来てくれた
救い主イエスさまは
まさにその魔法の呪いから
私たちを解放してくれる方。
イエスさまによってだけ、
私たちは神さまが造ってくれた
ほんとうのじぶんの姿を
取り戻すことができるのです。
イエスさまにどんな時も
心を開き続けること。
それがその呪いの魔法を、
解いてもらうカギです。
やっとキタ――(゜∀゜)――!!
「私は、この民全体に与えられる
大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、
あなたがたのために
救い主がお生まれになりました。」
(ルカ2:10,11)
もう数年前の話になっちゃうけど、
スタバ鳥取店オープン!
がちょっとした話題になりました。
なぜニュースになったかというと、
鳥取県はスタバがなかった
唯一の県だった。
そこについにオープン!
だったから。
オープン当日は
記念の限定タンブラーも発売されて、
ものすごい行列だったそう。
おいしいよ。おしゃれだよ。
どんなにいい評判を聞いてても、
自分が行けるところにお店がなければ
意味がない。
やっとキタ——(゜∀゜)——!!
鳥取の人たちにとっては
まさにグッドニュースだったわけ。
救い主が来るよ。
それはもうとっくに告知されてたけど、
来ると聞いたままで
長い時間が過ぎていました。
ほんとに来てくれたら
どんなだろう?
夢はふくらんでも手が届かない。
その救い主がついに来た!
話は聞いてても
手の届かないところにあった救い主が
手が届く、いつでも行ける存在になった。
それがクリスマス。
あるのがあたり前だと
ありがたみもあんまり感じなく
なってしまうかもしれません。
でも、救い主がもう存在している世界に
私たちは生きている。
いつでもその方のところに行ける。
それはほんとうに
すばらしいことなのです。