だれでも掘れる

「わたしが与える水を飲む人は、
いつまでも決して
渇くことがありません。」
(ヨハネ4:14
 
 
 
自分の家でも井戸が掘れるよ!
という記事を読みました。
もちろんそれなりの“庭”がないと
ムリだけど。
 
 
 
ちょっとしたDIYができれば、
ホームセンターで普通に買える物で
けっこうちゃんと掘れるらしい。
 
 
 
私が見た記事の人は、
8m掘って、
くみ上げ続けても涸れない井戸が
掘れたんだって。
 
 
 
8mも掘れる。
しかも今どきでも水がちゃんと出る。
かなり意外。
 
 
 
井戸があれば断水もこわくない。
飲めなくても
水やり、トイレ、お風呂なんかには十分。
とっても便利で安心。
 
 
 
だけど掘る前にチェック点が。
“そもそも掘ろうとする場所に
水脈はあるのか?”
水脈がないところを
あてずっぽでただ掘ってもだめだって。
確かにね。
 
 
 
私たちの心を満たしてくれる井戸の水脈は
イエスさまにある。
浅く掘ってちょっと出たからいいや、
じゃなくて
きれいな水がいつでも出るまで
しっかり深く掘る。
その井戸が通じてればどんな時にも安心。
 
 
 
そこを掘ればいいとわかっている。
掘ろうと思えばだれでも掘れる。
だから、あとは掘るだけ。
あなたはもう掘り当てましたか?

あの人の息子なの?!

「奉仕をした者たちとその一族は
次のとおりである。
ケハテ族からはヨエルの子、
歌い手ヘマン。
ヨエルはサムエルの子、…」
(Ⅰ歴代6:33
 
 
 
?! ヘマンて、サムエルの孫?
じゃあ、お父さんは
神さまに従わなかったっていう
サムエルの2人の息子のうちの1人?
 
 
 
サムエルの息子たちは
神さまに従わないで、
みんなの献げものを横取りするような
ひどい人たちでした。
それもあってイスラエルの人たちは
王さまを求めたんでした。
 
 
 
なのにその息子、
つまりサムエルから見たら孫を
ダビデははじかず、
ちゃんと取り立てて
いっしょに働いたんだね。
 
 
 
ヘマンは
たくさんの詩篇に名前が出てくる
アサフといっしょに、
賛美の奉仕をした人。
 
 
 
親がこうだからどうせ、
という色目がねなく、
ちゃんと本人を見る。
それは律法の中にもちゃんと
決められている。
 
 
 
それは神さまが
私たちを私たちとしてちゃんと見てくれてる
っていうことの証し。
 
 
 
神さまにとっては
どんな悪い人の関係者でも関係ない。
逆にコネもツテも関係ない。
 
 
 
「わたし」を見てくれてる。
そのことを覚えながら
今日も1日歩みましょう。

しつこいほどいい?!

「彼らが神に拠り頼んだので、
神は彼らの願いを聞き入れられた。」
(Ⅰ歴代5:20
 
 
 
正式な仕事でもバイトでも、
最初はやり方を先輩に
教えてもらいながら始めます。
 
 
 
でもなるべく早く覚えて
聞かなくてもちゃんとできる。
それが目ざすところ。
 
 
 
いつまでも
「どうしたらいいですか?」
と聞いてたら、
「いい加減自分でできるようになれ」
って言われちゃうでしょう。
 
 
 
だれかに手助けしてもらわなくても
自分でできる。
それは成長の証し。
 
 
 
でも相手が神さまに限って、
それが逆なんだね。
だからちょっとわかりづらい。
 
 
 
信仰に限っては、
神さまに助けてもらわなくても
だいじょうぶになるのが
成長じゃない。
 
 
 
人間の上司には
あんまりしつこく何度も聞いたら
いやな顔をされるかも。
でも神さまは
聞けば聞くほど喜んでくれる。
そして助けてくれる。
 
 
 
自分では頼ってるつもりでも
意外と「だいじょぶです」
って言っちゃってるかも?
 
 
 
今日も神さまにいちいち頼って、
1日を過ごしましょう。

行動であらわそう

「彼らは、
神を知っていると公言しますが、
行いでは否定しています。」
(テトス1:16
 
 
 
「ちょっと手伝って」と言われて、
「いいよー」といい返事をしたけど
実際は何もしなかった人。
 
 
 
「えーー」と
返事はよくなかったけど
思い直して出かけて行った人。
 
 
 
言葉と行動が逆なんだけど、
どっちがその人のほんとを
表しているでしょう?
 
 
 
イエスさまもたとえで問いかけた
この問題。
答えはだれでもわかりますね。
 
 
 
口で「わかりました!」
「やっておきます!」
いいこと、立派なことを言うのは簡単。
 
 
 
でも大事なことは、
言うかどうかよりも
するかどうか。
 
 
 
ほんとのその人を表すのは
言葉よりも行動です。
だから私たちが
気をつけなきゃいけないのも
何を言うかより何をやるか。
 
 
 
私たちの言葉じゃなく行動が
「神さまを信じている」ことを
表わすように、
今日も1日お祈りしながら歩みましょう。

実はイケメン?

「自分に委ねられた良いものを、
私たちのうちに宿る聖霊によって
守りなさい。」
(Ⅱテモテ1:14
 
 
 
ブサイクでダサいやつかと思ったら
実はめちゃくちゃイケメンだった。
髪型を変えて眼鏡をはずしたら
めちゃくちゃかわいかった。
ベタなマンガによくありそうなお話。
 
 
 
自分のいいところって、
意外に自分ではわからない
ってことが多いんだね。
 
 
 
実際あなたのいいところは
なんですか?と聞かれたら、
だいぶ困っちゃう。
 
 
 
いいところより良くないところ、
これがなければよかった、
という方ばっかり見てため息。
なんてことも多いかも。
 
 
 
でも私たちはみんな
必ず良いものを持っている。
なぜって神さまが造ってくれた
一人ひとりだから。
 
 
 
今はまだ眠ってるかもしれない原石
それを磨いて光らせてくれるのは
造ってくれた神さま。
 
 
 
自分にはわからない。
あるとは思えない。
が今の本音だったとしても、
神さまにまかせれば
神さまは必ず生かしてくれる。
 
 
 
カギはそれで自分が得しよう、
じゃなくて、
神さまのため人のために
使ってもらう。ってことかな。