劇的ビフォーアフター

「あなたがたも以前は、
そのようなものの中に生き、
そのような歩みをしていました。
しかし今は、…。」
(コロサイ3:7,8
 
 
 
ラ〜ララ〜ララ〜
「なんということでしょう…!」
一事とても人気だった
ビフォーアフターという
テレビ番組。
 
 
 
いろんな原因で
住みづらくなっている家を
匠がリフォーム。
 
 
 
リフォーム前のビフォーと
リフォーム後のアフターは
まるで別の家?!
っていうくらい変わって
“劇的大改造”がキャッチフレーズでした。
 
 
 
私たちがイエスさまを信じる前の
ビフォーと
信じた後のアフターも、
それどころでないくらいちがうんだよ。
と聖書は言っています。
 
 
 
ビフォーは
死んでいて、汚れていて、
神さまの怒りを受けなくちゃならなかった。
 
 
 
でもアフターは
生きていて、きよくされてて、
神さまの愛だけを受けられる。
 
 
 
死んでたのが生きた。
っていうだけでも
あり得ないすごい変化です。
それは神さまがしてくれたこと。
 
 
 
どのくらい実感できてるかは
別として、
もうそうなってる。ってこと。
忘れないようにしましょう。
 
 
 
イエスさまを信じたということは、
私たちが思う以上に
ものすごいことなのです。

何よりすばらしい財産

「神の栄光の支配により、
あらゆる力を持って強くされ、
どんなことにも忍耐し、
寛容でいられますように。」
(コロサイ1:11
 
 
 
忍耐と寛容。
今私たちが暮らしている社会では
あんまりいいイメージじゃない
かもしれません。
 
 
 
がまんして受け入れるのは、
弱い人がやむを得ずすること。
いやなことはいやだと
はっきり言えるのが強さだから、
そのために自分をしっかり持って
強い気持ちを持たないと。
 
 
 
確かにがまんする力がなければ
そうするしかない。
でも、がまんしないのが強さか
というと、決してそうではない。
と思います。
 
 
 
生きていると
ほんとうにいろいろと
好ましくないこともいやなことも
起きてくる。
 
 
 
がまんする力、
受け入れる力がなければ
そういうことが起きたら困るしこわい
ということになるでしょう。
 
 
 
でももちこたえて
受け入れる力があれば
何があっても心配いりません。
 
 
 
どんなことにも忍耐し、
寛容でいられる。
それは弱さのしるしどころか
最強のしるし。
 
 
 
神さまが支配していることが
わかるにつれて
それが私たちのものになる。
 
 
 
どんな状況にも対応できる力がある
ということは、
何を手に入れるより
すばらしい財産です。

いちばん自由で強い

「乏しいから
こう言うのではありません。
私は、どんな境遇にあっても
満足することを学びました。」
(ピリピ4:11
 
 
 
毎日の料理を作るとき、
大事なのは
“今あるもので何ができるか考える力。
そしてそれで良しとできる力。
 
 
 
メニューを先に決めてしまって
あれが足りない、
といちいち買いに行ってたら、
出かける時間とエネルギーをそのたびに使い、
お金も余分にかかってしまいます。
 
 
 
これは生活の全体にも応用できること。
 “これがないとだめ
というものが増えれば増えるほど、
私たちの生活は不自由になる。
 
 
 
あれがない、これがない、
だからだめだ、ムリだ、
と嘆き文句を言う生活はつまりません。
 
 
 
あるもので満足できる心。
実はそれがいちばん自由で強いのです。
 
 
 
その心はどこから与えられるでしょう?
なくてならぬものは
必ず与えてくれる
神さまを知って信じていること。
 
 
 
今持っているものがなくなったら
どうしよう?
という心配からも解放されます。

ほんのちょっとなんだけど

「わずかなパン種が
こねた粉全体をふくらませるのです。」
(ガラテヤ5:9
 
 
 
フレッツ光が今より安くなります!
という電話がよくかかってきます。
しかもNTTKDDIの名前を使うから、
とてもまぎらわしい。
 
 
 
実際はNTTKDDI
直接サービスを知らせることはなく、
電話をかけてくるのは販売代理店なんだって。
 
 
 
うっかり大企業の名前だけで
信用すると、
後で大変なことになることもあるから
気をつけないとです。
 
 
 
まあ向こうはそこがねらいで
わざとまぎらわしくしてるんだね。
 
 
 
私たちのまわりにあるたくさんの
まちがった教え。
それも、たとえば50%ちがっていたら、
だまされる人はたぶんだれもいない。
 
 
 
95%、もしかすると97%くらいまで
ほとんど同じ。
だからまぎらわしい。
 
 
 
でもその3%が決定的で、
とんでもないちがった教えに
なってしまうのです。
 
 
 
ちょっと聞いてだいたい同じだから
ということで仲よくしてると
いつの間にかとんでもない方向に
引っぱられることもあり。
 
 
 
わずかなパン種が
全体をふくらませる。
ちょっとだからだいじょぶでしょ
って油断しない。
自分を守るためには
どうしても必要な心がけです。

めちゃめちゃラッキー

「ですから、あなたは
もはや奴隷ではなく、子です。
子であれば、
神による相続人です。」
(ガラテヤ4:7
 
 
 
10月に名古屋であった大会の
講師の先生には
3人の娘さんがいるそうです。
 
 
 
そして3人の娘には
それぞれ3人の子どもたち、
つまり先生には9人のお孫さん。
 
 
 
でもそのうちの一人は
娘さんが養子にした
親がいないアフリカ人の子なんだそう。
 
 
 
その子が養子であることを
他の2人の子どもたちに伝えたとき、
弟にあたる子が言ったんだって。
「そうなの?! 
ぼく、ちっとも知らなかった!」
 
 
 
明らかに肌の色がちがうことも
弟くんにとっては
何の違和感もなかったみたい。
それだけご両親が
養子ちゃんをほんとうの子として
育てていたということでしょう。
 
 
 
先生の娘さんの子どもになれたことは、
その子にとって
めちゃめちゃラッキーだった。
 
 
 
神さまを信じたとき
神さまは私たちを
神さまの子どもにしてくれました。
 
 
 
ただ言いなりに働いて
それで終わりの奴隷ではありません。
やがては相続の権利がある子どもです。
 
 
 
何がもらえるの?
それはもう、私たちが想像してるより
ずっとずっとすばらしいもの。
 
 
 
信じているなら
その権利がもう私たちのものに
なっているのです。