以上でもなく以下でもなく
「彼らがどれほどの者であっても、
私にとって問題ではありません。
神は人を分け隔てなさいません。」
(ガラテヤ2:6)
今年の秋はたくさんの場所が
台風で大きな被害を受けました。
あまりにたくさんの家が
同時に被害を受けたので、
ブルーシートが足りなかったり
修理の予約が2年先、
なんてこともあるらしいです。
そんな中、
限られた数のブルーシートを
自治会長さんの個人的知り合いは
たくさん回してもらっている
という話を聞きました。
困っているのはみんな同じ。
でも、そういう特別扱いが
人の社会には必ずあるんですね。
特別扱いやひいきがあると
何とも言えない
やりきれない気持ちになります。
でも神さまは
人を分け隔てしない方。
どんなときにも
「私」を「私」として扱ってくれる。
差別がない。
でも特別扱いもない。
「私」以上ではなく「私」以下でもない私。
差し引くことも盛ることもなく
ほんとうの「自分」と関わってくれる神さま。
だから神さまの前は
自分がほんとうの自分でいられる
ほんとうの自分でいていい
ただ一つの場所。
ちがった景色が見えてくる
「しかしわたしは、
この忌み嫌うべきことを行わせて
ユダを罪に陥らせようなどと
命じたことも、
心に思いうかべたこともない。」
(エレミヤ32:35)
私たちはうまくいったときより
うまくいかないときに、
神さまのことを思い出して、
どうして神さまはこんなことをするの?
と考えることが多い気がします。
私たちの国にある、
神さまは怒る方、バチを当てる方、
という考え方に
だいぶ影響されてるかも。
でもみことばは、
神さまが私たちを悪い方向に
向かせようなんていうことは
思いついたこともない。
と言っています。
今活躍しているタレントさんが
たくさんいるプロダクションの社長さんが
プロフェッショナルで
取り上げられていました。
タレントさんにとって
その社長さんは
だれが認めてくれなくても自分を認めて
ぜったいに味方でいてくれる。
そういう存在なんだって。
私たちにとって神さまは
まさにそういう方。
ケチをつけたり、おとしめたり、
お前なんかこうなってしまえ。
などということは決してない。
いつでも味方で、
私たちにとってプラスになることはなに?
それだけを考えてくれている。
神さまを考える前提を
罰を与える方じゃなくて
いつもプラスを考えてくれる方に
スイッチしましょう。
なぜってみことばがそう言っているから。
必ずちがった景色が見えてきます。
まさかそこまでとは
「わたしが彼らの不義を赦し、
もはや彼らの罪を
思い起こさないからだ。」
(エレミヤ31:34)
記憶が7秒しかもたないという
脳の障害があるそうです。
原因は病気とか大きなケガ。
それはもうほんとうに大変な障害です。
目が覚めたこと、
ご飯を食べたこと、
だれかに会ったこと、…
すべてを7秒後には忘れてしまう。
だから、
たった今名前を言ったばかりなのに
次の瞬間「で、あなたはだれ?」
と聞いてくる。
障害のことを知らなかったら、
ふざけているのか
バカにしているのか、
と思ってしまうかもしれません。
いくら覚えられないと言っても
まさかそこまでとは想像もつかない。
だから覚えていないということを
疑ってしまいます。
特になぜか自分がされた良くないこと、
いやだと思ったこと、
ひどいと感じたことは
忘れようと思っても思い出しちゃって
引きずりがち。
だから、あなたの罪を思い起こさない
と神さまが言うのを聞いても
ちょっと疑っちゃう?
心の底では「こんなことしたよね」
って思ってるけど、
建前上なんじゃないの?
でもそうではありません。
神さまが思い出さないと言ったら
ほんとに思い出さない。
私たちには想像もつかないけど、
なかったのと
まったく同じにしてくれる。
イエスさまの十字架を信じるなら、
そうしてくれる。
そう言っているのです。
神風は吹く? 吹かない?
「わたし自身、
あなたがたのために立てている計画を
よく知っている。…
それはわざわいではなく
平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を
与えるためのものだ。」
(エレミヤ29:11)
80年近く前に、
日本は戦争を始めてしまいました。
その戦争は、
日本の神である天皇陛下のため。
日本は神の国だから、
途中で敵が優勢になることがあっても
最後は「神風」が吹いて、
ぜったいに勝つ。
一般の人たちはそう教えられて
がんばったそうです。
でも現実は負けたのでした。
エレミヤの時代の人たちも、
自分たちは神の民だから、
神さまは必ず勝たせてくれるはず。
従わないくらいのことで
敵に負けるなんてあるはずがない。
と考えました。
「神の民」という名前を持っていれば
勝てる。
それは今の私たちに当てはめれば、
いったんクリスチャンになれば、
何をしてても最後は天国に入れてくれるはず。
と考えるようなものかなー?
でもそれって、
「最後は神風が吹く」的な、
ちょっと「あらあら」な考え方
と言われても仕方ないような。
将来と希望。
とても魅力的で
だれでもあったらいいなと思うだろうけど、
「神さまのことばに耳を傾け
受け入れ従うなら」
っていうところを忘れずに。
そこが確かなら
それこそ神風も妄想じゃありません。
大船に乗って
「何も持っていないようでも、
すべてのものを持っています。」
(Ⅱコリント6:10)
ミニマリスト。
前にも書いたことがあったかもしれないけど
持ち物をできるだけ減らして
必要最小限のものだけで暮らす人。
時々ミニマリストのお部屋が
映ったりすると、
ほんとうに何もない。
冷蔵庫さえない、
という人もいるようです。
「すぐ近くにコンビニがあるんだから、
必要になった時に
買いに行けばいい。」
というのがその理由。
それはコンビニがいつも開いている
っていう条件付きだし、
この前みたいな災害がきたら
どうする?
っていうのはあるけど、
考え方としてはなるほどです。
自分の手もとになくても、
必要になった時にあればいい。
私たちが神さまを持っているのは、
それに通じるかな、
と思います。
私たちは自分の手もとにないと
心配になる。
あーだったらどうしよう、
こーだったらどうしよう・・・
でも神さまは、
本当に必要なときには
必ず与えてくれる方。
ギリギリだったとしても
必ず間に合います。
だから今自分のところになくても、
だいじょうぶ。
それは、私たちが自分で
いろいろためこむよりもずっと
確かです。
今週も私たちに必要なものは
神さまが必ず与えてくれる。
だから大船に乗ったつもりで
安心して過ごしましょう!