あれ、いつの間に?
「神は真実です。
その神に召されて、
あなたがたは神の御子、
私たちの主イエス・キリストとの
交わりに入れられたのです。」
(Ⅰコリント1:9)
消費税が上がりました。
正しく使ってもほんとうに足りないなら、
仕方ないことなのかな
と思います。
でも、
今回どうしても上げなくちゃならないのは
お年寄りが増えて、
社会保障費が足りないから。
っていう話がいつの間にか
保育料がタダになるという話になり、
キャッシュレスなら還元する
という話になり、
お年寄りに回る分は
あまり残っていないらしい。
???
なんだかちょっとだまされた気分です。
一部分だけ言って賛成してもらい、
いつの間にか話がすり替わる。
そういうやり方はずるくて
どうもすっきりしません。
みなさんのためと言いながら、
結局は自分のため、
自分たちのためなんだろうと考えると
さめてしまいます。
でも神さまには
いつの間にか話がすり替わった、
なんてことはぜったいにない。
そしてあなたたちのためと言いながら
実は自分のため、
ということもぜったいにない。
神さまは真実。
それは今日も、今週も変わりません。
なんで?がずっと減る
「天が地よりも高いように、
わたしの道は、
あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、
あなたがたの思いよりも高い。」
(イザヤ55:9)
2才の孫に会ってきました。
お夕飯はたこ焼きパーティー。
おいしそうに焼けるたこ焼きを
目の前にして食べる気満々。
でもたこ焼きって、
焼けるのにけっこう時間がかかる。
おまけに焼きたては
めちゃくちゃ熱いよね。
だから「もうちょっと待って」。
ちゃんと焼けて、
食べられるくらいに冷めるまで。
それはその子のため。
でも2才の子にとっては
自分が食べたいものが目の前にある。
それがすべてだから、
すぐにもらえないことは
ひどい、としか思えなくて、大泣き・・・
私たちと神さまも
同じようなことがあるかもしれません。
神さまには全部がわかっているけれど
私たちは一部分しか見えていない。
だから、ほんとは私たちのためでも
意地悪みたいに思ってしまう。
神さまは私よりずっとよく知っている。
そして神さまは
どんなときも私のためを
思ってくれている。
それがわかれば、
「なんで?」がずっと減る。
ペグをしっかり
「あなたの天幕の場所を広げ、
住いの幕を惜しみなく張り、
綱を長くし、杭を強固にせよ。」
(イザヤ54:2)
先日会った人が
最近キャンプにはまっている
と話してくれました。
始めてあまりたっていないけど
テントも買って、
まずはソロキャンプから
おためししているそうです。
やがては家族みんなでキャンプが夢、
なんだそう。
アウトドアを楽しむためには
ルールやマナーにプラスして、
危険を避ける知識が大切です。
テントは、水が入らないこと。
風で飛ばされないこと。
ふさわしい場所を選ぶことと
ペグがちゃんと打てるかどうかは
押さえなきゃいけない重要ポイント。
どんなにかっこよくて大きいテントでも、
ペグが弱くて風に飛ばされたんじゃ
台なしです。
この世で送るクリスチャン生活も
いつも戦いや試練の風にさらされている
テントのようなものとたとえられるかも
しれません。
だから、飛ばされないために
しっかりペグ。
クリスチャン生活のペグは“信仰”というペグ。
そのペグを、みことばという土壌に
少しでもしっかりと打ち込むこと。
ペグがしっかり打ってあって
ロープがきちんと固定してあれば
風が吹いてきても心配なく
安心して楽しむことができるのです。
お金はわいて出てこないよね
「彼への懲らしめが
私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに
私たちは癒やされた。」
(イザヤ53:5)
“大人になる”には
いろんな意味があるけれど、
落とせないポイントの一つは、
自分(たち)で働いて、
自分(たち)が生きていくためのお金を
手に入れる。
ということだと思います。
お金は決してどこかから
降ってくるものじゃないし、
わいて出てくるものでもない。
それは必ずだれかが働いたから、
あるもの。
何もしないのに手に入れたお金が
あるとしたら、それは
自分の代わりに働いた人がいる。
ってこと。
少なくとも大人なら、
それを知らないで大きな顔をしていたら
とても恥ずかしい(;’∀’)
私たちの罪が赦されるのも、
“ただ”ではありませんでした。
イエスさまが代わりに罰を受けて
十字架にかかってくれたから、
私たちは信じさえすれば
何事もなかったかのように
天国に行くことができます。
それがあたり前と思ったり、
大したことじゃないと思ったりするのは、
お金ってわいて出てくるんでしょ?
って平気な顔で言うようなもの。
かなり恥ずかしい(;’∀’)
あたり前じゃない。
だから今日も
めいっぱい感謝しましょう。
ぜったいに間に合う
「わたしは、わたしの義を近づける。
それは遠くはない。
わたしの救いが遅れることはない。」
(イザヤ46:13)
台風19号の被害が半端ないです。
80人を超える方々が
亡くなったり、
行方不明になっているとのこと。
あまりの被害の大きさに
ことばが出てこないけれど、
救出や復旧が少しでも早く進むように
お祈りしなければなりません。
大きな地震や災害があったとき、
72時間という時間が
とても重要だと聞きます。
それを越えてしまうと、
いのちが消えてしまう確率が
ぐっと上がってしまうから。
捜索に当たる人たちも
なんとかそれまでにと力を尽くすそうです。
間に合う。
それは私たちにとって
とても大事なこと。
もし間に合わなかったら
どんなに一生懸命やったことも
意味がなくなってしまうことに
なりかねません。
神さまの救いと助けはどうでしょう。
これじゃ自分には遅すぎる。
もっと早く、と感じることが
けっこう多いかもしれません。
でも、あなたたちがそう感じたとしても
わたしの救いと助けが
最終的に間に合わないことは
ないんだよ。
そう神さまは言っています。
それは何も困ったことが起こらない
という意味ではない。
でも、神さまは必ず助けてくれる。
今ごろ来ても遅すぎ、
ってことはぜったいにない。
今日も、今週も
神さまの助けは必ず間に合います。