よーく考えて

「彼らはよく知りもせず、
理解もしない。…
彼らは考え直すこともなく…」
(イザヤ44:18,19
 
 
 
大きな木を切り取ってきて
半分に割り、
1つはたきぎにして
パンを焼いたりあったまったり。
 
 
 
それから残ったもう1つで像を掘って、
「あなたは私の神だから
私を救ってください」と祈る。
 
 
 
どう考えても変だよね?
そんな像が
私たちを救う神のはずがないよね。
それがここで神さまが言ってること。
 
 
 
木だけじゃない。
石だって、金属だって同じ。
ネジの型に流し込めばネジになる金属を
像の型に流し込んで神にする。
そんな神が私たちを救えるわけないよね。
 
 
 
よーく考えたら
あれ?ということを
大真面目な顔で言ったりやったり。
今も身の回りでけっこう見かける。
 
 
 
別にいいんじゃないの、
その日の気分で。
で済ませられることもあるかもしれないけど
神さまのことはそうはいかない。
 
 
 
自分の今の生き方が
このまま続けて行ってだいじょうぶかどうか
ちゃんと考える。
 
 
 
めんどくさいから考えない。
とりあえず今日が過ごればいい。
それだとやがて自分が困るから。

パスって言えたらね

「あなたが水の中を過ぎるときも
わたしは、あなたとともにいる。
川を渡るときも、
あなたは押し流されず、
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない。」
(イザヤ43:2
 
 
 
トランプの“七並べ”。
最近あんまり見ない気がするけど、
知ってますか?
 
 
 
配られたカードを
ルールにしたがって
場に出していき、
早く手持ちがなくなった人の勝ち。
 
 
 
自分の順番が来た時に
出せるカードがなかったら
“パス”することができる。
ただし3回限定だけど。
 
 
 
「出すカードがない」状況を
回避できるパス。
私たちの人生にもあったらね。
と思わなくもない。
 
 
 
いやなこと、つらいことは
「パス」って言えたら。
 
 
 
でも現実はそうじゃない😢
いやなこともつらいことも
起こる。
それは神さまを信じていても同じ。
 
 
 
でも神さまは、
そういう中でもいっしょにいてくれる。
そして、そのことで
私たちがやられてしまわないように
守ってくれる。
 
 
 
いやなこともつらいこともなければ
だれだってうまくやれる。
でもそういうことがあっても
ぜったいにいっしょにいてくれる神さまが
守ってくれるから
決してやられてしまわない。
それが私たちの特権。

は? あたりまえでしょ

 
「ただ、あなただけが、
地のすべての王国の神です。
あなたが天と地を造られました。」
(イザヤ37:16
 
 
 
「おれはこの神も、あの神も
やっつけてやった。
おれに太刀打ちできる神など
どこにもいないんだ。
 
 
 
それなのにお前は、
お前の神が救えるとでも
言うのか?」
自信満々で言う敵の大将セナケリブ。
 
 
 
ここを読むたびに思います。
「は、何言ってんの?
もちろんあたりまえでしょ」
 
 
どれだけほかの神(々)が
やられたとしても、
神さまは神(々)とはちがう。
 
 
 
なぜってほかの神(々)は
人が考え出したり作ったりしたもの。
 
見ることも聞くことも
しゃべることもできないし、
自分で動くこともできません。
 
 
 
でも神さまは
天と地を造った方。
見えるし聞こえるししゃべれるし
どこにでも自分で行ける。
 
 
 
神(々)の一人じゃない。
一人しかいないほんとうの神さま。
 
 
 
人間「が」作った神(々)なら
人間がやっつけられるだろうけど、
人間「を」造った神さまを
人間がやっつけることはできません。
 
 
 
私たちの神さまは
そういう、他にはいない
ただ一人の神さま。

こんな所には何もない?

「荒野と砂漠は喜び、
荒れ地は喜び踊り、
サフランのように花を咲かせる。」
(イザヤ35:1
 
 
 
南アメリカにあるアタカマ砂漠。
本当に乾燥していて、
場所によっては40年間も
雨が降らなかったとか😲
 
 
 
もちろん一面茶色の険しい景色なんだけど、
本当に時々(十数年に一度!)
一面花畑になることがあるそう。
それはもうすばらしい絶景だそうです。
 
 
 
そうなるのは異常気象で
砂漠に大量の雨が降り注いだとき。
何もないように見える地面にも
いのちの芽が眠っているんですね。
 
 
 
長い間の乾燥に耐えながら、
眠っているけれどちゃんと生きている。
 
 
 
そんなことができるのは
もちろん神さま。
人にはとてもじゃないけどできません。
 
 
 
こんな潤いのない乾いた所には
なんの楽しみもない。
と私たちが思うような状況にも
神さまは花を咲かせる力を
持っている。
 
 
 
だからこんな所には何もない
と決めてしまうことはありません。
神さまがどんな花を咲かせて
楽しませてくれるのか、
期待することができるのです。
 
 
 
神さまはそうできる力を持っている。
だから期待していいのです。
 

逃げたら逆にもったいない

「それゆえ主は、
あなたがたに
恵みを与えようとして待ち、
それゆえ、あわれみを与えようと
立ち上がられる。…
幸いなことよ、
主を待ち望むすべての者は。」
(イザヤ30:18
 
 
 
奈良公園にたくさんいる鹿。
秋はオスの角が
いちばん立派になる時期なんだそうです。
 
 
 
立派なんだけど、
いろいろ傷つけちゃったりして
危ないから、
捕まえて切り落としてしまうんだとか。
 
 
 
のこぎりでギコギコするから
びっくり。
でも鹿はぜんぜん痛くないし、
角はまた来年生えてくるんだって。
 
 
 
今は麻酔銃で眠らせるから
比較的簡単だけど、
昔は逃げ回る鹿をつかまえるんで、
ものすごく大変だったみたい。
 
 
 
人間からすると
「きみのためなんだよ」
なんだけど、鹿にすれば
つかまえられるなんて
ただの恐怖。
だから必死で逃げ回る。
 
 
 
人間と神さまもちょっと似てる。
神さまは恵みを与えるために
こっちにおいで、って言ってるけど、
人間はつかまったら大変
って逃げ回る。
 
 
 
神さまがこっちにおいで
と言ってるのは、
つかまえてこわいことをするためじゃなく、
恵みを与えるため。
 
 
 
逃げる必要はぜんぜんないし、
逃げたら逆に自分が損をする。
そのことが少しでも
わかっていきますように。