わかってるだけじゃなく

「ルツが自分と一緒に行こうと
固く決心しているのを見て
(ルツ1:18



馬を水辺に連れて行くことは
できるけれど、
馬に水を飲ませることは
できない。
ということわざがあります。



いくらできるように
状況を整えてあげても、
それがどんなにいいことであっても、
実行するかどうかは
本人のやる気次第。という意味。



神さまはいつでも私たちの前に
「わたしの手をにぎれば、
わたしの祝福を受けることができるよ」
と手をさし出してくれています。



でもそれをにぎるかどうかを
決めるのは私。



どんなにたっぷりの水ぎわに
どんなに長い時間立っていても
飲まなければ
のどの渇きはいやされない。



神さまは恵みを与えてくれる
とどんなにわかっていても、
自分がそれをもらうと決めて
手をのばさなければ
それは自分のものにはなりません。



ルツは「私は必ずもらう」
と固く決めました。
そして、異邦人なのに
なんと救い主の系図(マタイ1章を見てね✌)
に名前がのっちゃった!



信じればいいとわかっている。
だけじゃなく、
信じると決めて信じましょう。
頼ればいいとわかっている。
だけじゃなく、
頼ると決めて頼りましょう。

この人とならいつまでも?

「いつまでも主に信頼せよ。
ヤハ、主は、
とこしえの岩だから。」
(イザヤ26:4
 
 
 
ついこの間まで
超ラブラブだったはずの2人が
もう破局・・・
よく見聞きしますね。
 
 
 
「すべてが好き」
「一生いっしょに過ごしたい」
「この人となら
明るくて楽しい家庭を築いていける」
…などなど、次々にくり出されていた
あの甘い言葉はいったいなんだったのか…?
 
 
 
破局するには
いろんな原因があるんだと思うけれど
大きくひとくくりにしたら、
思っていたのとちがった。
っていうことなのかなー
と思います。
 
 
 
それは最初からそうだったのに
見抜けなかった
のかもしれないし、
ほんとうに変わってしまった
のかもしれません。
 
 
 
人間の「ぜったい」は
まことに当てにならないもの。
 
 
 
でも神さまは
“とこしえの岩”。
つまり永遠の昔から永遠の未来まで
動かない確かな存在ってこと。
 
 
 
だからいつ変わってしまうか
という心配がない。
「いつまでも」信頼できるお方です。
 
 
 
いつまでも信頼すると決めましょう。
そうすれば
全き平安のうちに守ってあげる。
神さまはそう約束してくれています。
ほんとうかどうか。
ぜひためしてみましょう。

いつだって行ける?

「狭い門から入るように
努めなさい。
あなたがたに言いますが、
多くの人が、
入ろうとしても
入れなくなるからです。」
(ルカ13:24
 
 
 
もう40年も昔のことだけれど
サンシャイン60というビルが
池袋に建ちました。
 
 
 
その頃アジアでいちばん高くて、
今で言えばスカイツリーみたいな感じ。
週末ともなれば
たくさんの人たちが
押し寄せていました。
 
 
 
でも私は行きませんでした。
その頃私が住んでいたところは
サンシャインから歩いて20分くらい。
家の窓からいつでも見えたし、
何となくわざわざ行く気がしなかったから。
 
 
 
とても近くにあると、
いつでも行ける気がして、
さあ行くぞ、とはなりにくいもの。
 
 
 
子どもの頃から
神さまのことを知っていると、
今行かなくても
その気になれば
いつだって行けるんじゃないか
という気持ちになりやすいかなー
と思います。
 
 
 
いつでも行ける。
今はそのとおり。
でも、行こう、行きたい
とどんなに思っても
行けなくなるときが来る。
 
 
 
だから今のうちに。
今なら行こうと思いさえすれば
だれでも行けるから。
聖書はそう言っているのです。

全部そろっているお店ごと手に入る

「むしろ、
あなたがたは御国を求めなさい。
そうすれば、これらのものは
それに加えて与えられます。」
(ルカ12:31
 
 
 
たとえば23日の旅行に
行くとしたら、
あなたはどのくらいのバッグに
どのくらいの荷物を持って行きますか?
 
 
 
小さめのキャリー?
大きめのキャリー?
キャリー1つじゃ足りない?
 
 
 
なくて困るといけないから、
自分で持って行かないと。
と考えると
荷物はどんどん増えていく。
 
 
 
旅上手な人は身軽。
どうしても困ったときには
行った先で対処すればいい、
と考えるんだそう。
 
 
 
お店が1つもない南極に
行くわけじゃあるまいし。
というわけ。
 
 
 
確かに行った先で手に入れられる
ってわかってれば、
使うかどうかもわからないものを
かかえていくことはないよね。
 
 
 
神さまは何でも売っている
お店(失礼、神さま!)のようなもの。
行った先々で私が本当に必要なものは
必ず神さまのところにある。
 
 
 
だから自分であれがなかったら、
これがなかったら、と心配して
全部自分で持ち運ばなくてもいい。
 
 
 
あれやこれやではなく
御国を求める。
それは、本当に必要なものが
全部そろっているお店が
お店ごと手に入る。ということ。
 
 
 
だから気をもまなくてよいのです。