痛くもかゆくもなくても
「医者を必要とするのは、
健康な人ではなく病人です。
わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、
罪人を招いて悔い改めさせるためです。」
(ルカ5:31,32)
知っているある方が
すい臓の癌だということが
わかったそうです😨。
すい臓がんは
自覚症状が出にくくて、
病気があることがなかなかわからない
やっかいな病気。
自覚症状と病気は必ずしも一致しない。
自分ではどこも具合悪いと感じないから
どこも悪くない、
というわけではないんですね。
だから
自覚症状がないというのは
必ずしもいいことじゃなく、
時にはこわいことなんだなと思います。
私たちの心の罪は
少し癌と似ているところがあります。
最初はどこも痛くもかゆくもない。
でも放っておけば進行して、
やがてはいのちをおびやかす。
どこも悪く感じないから、ない。
のではありません。
癌はまだ必ず治るとは言えない病気。
でも罪は
イエスさまのところに行きさえすれば
必ず完ぺきに治ります。
だから一刻も早く
治してもらうことが必要
ってわかることがとっても大切。
そして治してもらったら
また元に戻らないように
ドクターイエスさまのアドバイスを
守ることが大切です。
くりくりお目めの視線の先
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは どこから来るのか。
私の助けは主から来る。
天地を造られたお方から。」
(詩篇121:1,2)
やっと歩き始めたばかりの
ベビーの動画を見ました。
たどたどしく1歩また1歩。
まだバランスがうまく取れないので、
しょっちゅうグラグラして
尻もち・・・
でもあきらめることなく
また立ち上がります。
かわいいーーー(≧▽≦)
とながめながら
ふと気がつきました。
ベビーの視線て
いつも上向きなんだな。って。
導いてくれるパパかママは
映ってないんだけど、
ベビーのくりくりの瞳は
ずっとしっかり導き手を見上げてる。
その視線は
心からの信頼に満ちています。
それを見て思いました。
私たちも神さまに
こうすればいいんだなって。
私たちを心から愛して
さあ、歩けるよ、歩いてごらん!
と励ましてくれる。
尻もちをついたときには
やさしい助けの手を
さしのべてくれる。
私たちは
この方にひたすら目を上げて
1歩また1歩と
進んでいけばいいのです。
余分がなくてもだいじょうぶ
「マナは、彼らがその地の産物を食べた
翌日からやみ、
イスラエルの子らが
マナを得ることはもうなかった。」
(ヨシュア5:12)
ものすごく忙しい時には、
毎日やらなくちゃならないことに
必要な時間がもったいない
と思うことがあります。
食事、睡眠、お風呂・・・
だけど絶対に必要なのに、
こういうことは“やりだめ”ができない。
これが困ったところ。
3日分まとめて食べて、寝て、
お風呂も入った!
だからそのあと3日はしなくていい。
ってできたらいいんだけどね。
そういうわけにはいきません。
でも逆に考えれば、
そういうものは
その日1日分があればいい、
っていうことでもある。
神さまからもらうもの。
少し多めにくれれば安心できるのに…
と思いがちかもだけど、
実際は今日に間に合う分があればいい。
マナは、イスラエルの人たちが
必要な間だけ、
でも毎日必ず降った。
神さまはその日に必要なものを
必ず与えてくれる方。
だから余分がなくてもだいじょうぶ。
自分の手もとにたまらなくても
今日使う分を今日もらえばいい。
必ず間に合うってわかってれば、
いろいろ持ちすぎて
身動きがとりにくくなるよりも
いいよね。
むずかしくないけどむずかしい?
「まことに、みことばは、
あなたのすぐ近くにあり、
あなたの口にあり、
あなたの心にあって、
あなたはこれを行うことができる。」
(申命記30:14)
自分の健康のために
甘いものは食べすぎない。
脂っこいものも食べすぎない。
そのこと自体は
むずかしいことでもなんでもない。
要するに食べすぎなければいい。
それだけ。
でもいざやろうとすると
ものすごくむずかしかったりする。
それってつまり気持ちの問題、
ってことなんだね。
わかってるけど、やめられない。
できない。
正直に言えばやりたくない。
みことばに従うことも、
ほんとうはむずかしいことでも
なんでもない。
でもそれをとんでもなくむずかしい
と感じてしまうのは、
やっぱり私たちの心の問題。
正直に言えばやりたくない
ってことなんだと思う。
だから、
それは自分にとってほんとに必要
と思ったら、「仕方ないよね」じゃなくて
助けてもらえるように
まじめにお祈りする。
そうすると神さまが
“できる”力を与えてくれる。
それは私たちが歯を食いしばって
がんばるんじゃなく
神さまが与えてくれる
神さまの力。
心のストレッチ
「わたしは彼らのからだから
石の心を取り除き、
彼らに肉の心を与える。」
(エゼキエル11:18)
みなさんは、体、
やわらかいですか?
かたいですか?
もともと持って生まれた体質も
もちろんあるけれど、
体はできたら
やわらかい方がいいらしいです。
体がかたいと
血の巡りもあまりよくなくて
こってしまったり、
うまく反応できなくて
怪我をしやすかったりする。
特別なことじゃなくても、
1日の終わりお風呂の後に
ちょっとストレッチ。
今日のみことばによれば
心にもかたい心と
やわらかい心があるみたい。
心もかたいとやっぱりこわばって、
柔軟に対応できなかったり、
少しのことに耐えきれなかったり
折れやすかったり。
つらくなりやすい。
じゃあ心のストレッチって?
それは神さまのことばに
耳を傾けようとする心がけ。
聞こえている声に
耳をふさいでいると、
心はどんどんかたくなる。
声そのものも聞こえづらくなってくる。
でも聞こうという気があれば
神さまはちゃんと語ってくれる。
そして神さまのことばが
私たちの心を
やわらかくしてくれるのです。
やわらかい体も心も
持てれば自分が楽になる。
心のストレッチ、
ぜひ心がけましょう。