どっちがどっちについていく?

「主にすがるなら…
あなたがたは、
自分たちよりも大きくて強い国々を
占領することができる。」
(申命記11:22,23)
 
 
 
「わかりました、ご主人さま」
と言って何でも言うことを聞いてくれる
メイドや執事。
 
 
 
現実の生活では
ほぼないことだけれど、
それをテーマにしたアニメとかお店とかは
けっこうな人気みたいです。
 
 
 
人の心の中には
そういう存在がいてほしい
という気持ちがある、
ということでしょう。
 
 
 
神さまを信じて頼っています。
と私たちはお証ししたり
お祈りしたりしてると思うけど、
ほんとのとこはどうなの?
 
 
 
よくよく考えると
メイドや執事を求めちゃってる
なんてことはないでしょうか。
 
 
 
私が行ったとき
面倒なことが起こらないように、
全部前もって準備しておいてね。
じゃまものはどけておいてね。
 
 
 
うまくいかなかったときには
ちゃんと後片付けをして
最後はうまくまとめてね。
 
 
 
結局やっているのは私です。
だからなかなかうまくいきません。
 
 
 
どんな小さなことも
神さまにすがる。
神さまに後をついて来てもらうんじゃなく、
私が神さまの後をついて行く。
 
 
 
そうすれば、自分の力ではとても
できないことをさせてあげる。
自分の力ではとてもなれない心に
してあげる。
神さまはそう言っているのです。

「ついにはあなたを

幸せにするためだったのである。」
(申命記8:16)
 
 
 
あと1年で東京オリンピック。
だんだんと、
出場内定が決まる選手たちも
出てきています。
 
 
 
オリンピックに出場するには
種目ごとに
基準があるらしい。
標準記録をクリアする、とか
このレースで優勝する、とか。
 
 
 
聞いていると、
出るだけでもものすごく大変
っていうことがわかります。
 
 
 
目ざしている人たちが
重ねている日々の練習。
それはきっと私たちには想像もつかない。
 
 
 
トレーニングメニューはもちろん、
起きる時間、寝る時間、食べる時間、
何をどのくらい食べるか。
全部がオリンピックにまず出場。
そしてメダルを獲得。
につながっているのでしょう。
 
 
 
目標がはっきりしているから、
地味で厳しくてつらいトレーニングも
食事制限なども、
いやなことじゃなく
取り組めるんだと思います。
 
 
 
私たちの人生のコース、
クリスチャンとしての歩みのコースにある
いろんなことも、
いったいなんのため?
わからなくなると、
大変さや、いやだという気持ちの方が
大きくなってしまうかもしれません。
 
 
 
でも神さまは、全部は
「あなたを幸せにするため」
と言っています。
私たちをいじめたり、苦しめたりするため
ではありません。
 
 
 
この神さまのことばを信じて、
今日も1日
放り出したり投げ出したりせず
歩めますように。

今日もばっちり有効

「主はこの契約を
私たちの先祖と結ばれたのではなく、
今日ここに生きている
私たち一人ひとりと
結ばれたのである。」
(申命記5:3)
 
 
 
契約書。
みんなにはまだ
あまりなじみがないかもだけど、
大事なポイントがいくつか。
 
 
 
まず、だれがだれと結ぶのか。
どんなにいい内容が書いてあっても、
それをもらう人のところに
自分の名前がなかったら、
自分にとっては何の意味もない。
 
 
 
それから期限があるかどうか。
有効期限がある契約は、
期限が過ぎてしまったら
中身がどんなによくても
ないのと同じ。
 
 
 
内容がよければいいほど、
それがもらえないわけだから、
逆にがっかり度倍増です。
 
 
 
神さまと私たちの契約書である
聖書。
 
 
 
この契約書の受け取り手は
“わかりました”と受け取るすべての人。
あなたはだめ、
と言われる人はだれもいない。
受け取りさえすれば、
書いてある恵みや祝福は
全部私のもの。
 
 
 
二千年以上前の契約書が
自分と何の関係があるの?
と言う人がいるけれど、
この世界が続いているかぎり
この契約書には期限もない。
 
 
 
だから、
受け取っていることが確かなら、
今日も私にばっちり有効です。

忘れがちないちばんだから

「ただ、あなたはよく気をつけ、
十分に用心し、
あなたが自分の目で見たことを忘れず、
一生の間それらがあなたの心から
離れることのないようにしなさい。」
(申命記4:9)
 
 
 
自分には見覚えがない人が
ものすごく親しげな笑顔で
「あー、こんにちは!」
と近寄ってくる。
 
 
 
こっちも笑顔で
「どうも…」などと返しながら
頭の中はいそがしい。
「この人だれだっけ?
どこで会った人だっけ?」
 
 
 
それほどでない関わりの人なら
まだしも、
実はとってもお世話になった人に
「忘れてました」
なんて言っちゃったら大変。
 
 
 
でもなぜか私たちは、
良くしてもらったことの方が
よく覚えていなかったり、
忘れてしまったりしがちです。
 
 
 
いやなことはきっちり
覚えてるんだけどね…。
 
 
 
そして忘れがちないちばんが
なんと神さまのこと。
神さまは見えないから
ますますかもね。
 
 
 
だから、“よく気をつけて”
“十分に用心して”
忘れないようにしてね。
って念押しされています。
 
 
 
私たちに永遠のいのちを
与えてくれるのは
神さま以外にはいないから。
忘れちゃったらそれこそ
“まあ、仕方ない”ではすまないから。