あれ、初めてだっけ?

「彼らはパンのことを理解せず、
その心が頑なに
なっていたからである。」
(マルコ6:52)
 
 
 
嵐で困っていた弟子たちの舟に
イエスさまが乗り込んだら
風がやんだ!
弟子たちはびっくり仰天😲
 
 
 
でもよく考えたら、
そんなふうに驚いている
弟子たちの方がびっくり。
 
 
 
だってついさっき、
5つのパンと2匹の魚で
5000人の人がお腹いっぱいになったのを
見たばっかりよ?
 
 
 
そんなにすごいことをする
イエスさまなんだから、
嵐がやむくらい当然だよね!
と思ってもいいのにね。
 
 
 
パンのことを理解しなかった。
それは、パンが増えた出来事は
イエスさまが神さまな証拠のしるし。
ってことがわかってなかった。
ただびっくりしただけだった、ってこと。
 
 
 
いろんなことが起きる時、
ただ「わーすごい!」って
手品かマジックを見た時のように
驚いて終わりにならないように。
 
 
 
同じようなことを見てるのに、
初めて見たかのように
びっくりしないように。
 
 
 
神さまなら当然よね。
って言えるようになったら
すごくいいね。
 
 
 
一つひとつのことを
神さまはこういうお方。
っていうことをわかっていく
積み重ねにしていけるといいですね。

ほんとはだれのため?

「安息日は
人のために設けられたのです。
人が安息日のために
造られたのではありません。」
(マルコ2:27)
 
 
 
学校とか会社、部活やサークル、
なにかグループに加わろうと思ったら、
そこのルールを守る。
これはある意味あたり前。。
 
 
 
いろんな人が集まるとき、
トラブルが起きないように、
枠組みを作る。
みんながその中で行動していれば、
全体がうまくいく。
 
 
 
世の中のルールは、
参加してくる人のためというよりは
グループを守るため。
 
 
 
「あなたのため」って言われても、
ほんとはそっちの体面やメンツを
守るためでしょ、
っていうこともあるよね。
 
 
 
いつも守るルールが
そういうふうに「そっちのためでしょ」
っていうのがほとんどだから、
神さまのルールも
そういうもんでしょ、
って私たちは思いがち。
 
 
 
神さまの顔がつぶれないように、
私たちにおりこうにさせるんだね。
仲間を増やして
力を見せたいんだね。
 
 
 
でも実は、
神さまが作ってくれたルールは
ぜんぶ正真正銘私たちのため。
 
 
 
それで神さまがいい気持ちになったり、
なにか自慢したりするため、
ということはぜったいにありません。
 
 
 
私たちの心が
罪や誘惑から守られて
永遠の刑罰を受けなくていいように。
神さまを忘れずに歩めるように。
 
 
 
そのために
「こうしているとうまくいくよ」
っていうルールを作ってくれた。
ほんとに私たちのためなのです。

聞き流しはいっさいしない

「窮した者の祈りを顧み
彼らの祈りをないがしろに
されないからです。」
(詩篇102:17)
 
 
 
ないがしろにする
=あってもないもののようにする
つまり、スルーする。
 
 
 
世の中にはこれが満ちていますね。
友だちだと思っていたのに
スルーされる。
 
 
 
がんばった仕事を
自分のものと認めてもらえない。
部署や上司のものにされてしまう。
 
 
 
心をこめて
いろいろしてあげたけど
なんのお礼も感謝もない。
 
 
 
そこにちゃんといるのに
いないかのようにされる。
ないがしろにされる方は
とても悲しい思いをします。
 
 
 
でも神さまは、
ほんとうに小さな私たちを
どんな時もないがしろにせずに
ちゃんと一人の人として
扱ってくれる。
 
 
 
神さまは、
私たちの祈りをないがしろにしない。
=スルーしない。
聞こえないふりをしない。
聞き流さない。
 
 
 
必ず耳を傾けてくれています。
注意深く聞いてくれています。
 
 
 
心から神さまの助けを求めて
祈るなら、
ちゃんと聞いて
ちゃんと答えてくれます。

なにかがあった時にちがいがわかる

「なんと幸いなことでしょう。
主よ あなたに戒められ
あなたのみおしえを教えられる人は。
わざわいの日に
あなたはその人に
平安を与えられます。」
(詩篇94:12,13)
 
 
 
日本の各地で大地震が
起こる回数が増えています。
震度6以上になると、
家もダメージを受けることが多くなる。
地面が揺れるって、
ほんとにこわいです。
 
 
 
ところが同じ揺れがきても、
壊れてしまう家と
もちこたえる家がある。
そのちがいを生んでいるのは
耐震構造。
 
 
 
今は家を建てようとすると、
それなりの耐震構造を
持っていなければ建てられないし、
その基準ができる前に建った
家や学校では、
補強工事をしたりしていますね。
 
 
 
地震に耐えられるかどうか。
それは、何も起きていないときには
まったくわからない。
 
 
 
ちがいがはっきりするのは
ほんとうに揺れが起きたとき。
来てしまう前に
しっかり準備しておくことが
大事です。
 
 
 
神さまの教えに従って歩んでいる人と
歩んでいない人。
その差は、何もない時には
あまりわからないかもしれない
 
 
 
それがわかるのは“わざわいの日”。
つまり、何かがあったとき。
その時に神さまの教えに従っている人は
神さまがくれる平安で守られる。
 
 
 
その時になって
しておけばよかったと後悔しないように
何もない時から
準備しておくことが大事です。

これくらいどうってことない?

「だれが御怒りの力を
あなたの激しい怒りの力を
知っているでしょう。
ふさわしい恐れを持つほどに。」
(詩篇90:11
 
 
 
ふだんはとてもやさしいけれど、
いざ怒ったらものすごくこわい。
あなたにとって、
そういう存在がだれかいますか?
 
 
 
たいていのことは
いいよと言ってくれる。
でも、ほんとうにまちがっていることは
きっちりちがうと言ってくれる。
 
 
 
これをあの人が知ったら、
きっと怒るだろうな。
そういう人の顔が思い浮かぶことは
とても大事です。
 
 
 
何かほんとうは良くないことを
しちゃおうかなと思うときに
ブレーキになり、
罪や誘惑から守ってくれるから。
 
 
 
神さまが罪をどんなに怒るか。
それは
「まったくしょうがないなあ」
と言ってすむようなもんじゃない。
 
 
 
その怒りの大きさを表しているのが
イエスさまの十字架です。
罪はそれほどに重大なことなのです。
 
 
 
私たちも罪を持ったままだったら、
その怒りを受けなきゃならない。
それは今もこれからも変わりません。
 
 
 
そのことをちゃんと知って、
それを赦してくれるっていうことが
どんなにすごいことかを知る。
それがとても大切。
 
 
 
このくらいどうってことない、
という大変な思いちがいからも
守られます。