見ている人はちゃんと見ている
「兵士たちは、
囚人たちがだれも泳いで逃げないように、
殺してしまおうと図った。
しかし、百人隊長は
パウロを助けたいと思い、
彼らの計画を制止して…。」
(使徒27:42,43)
最近あちらこちらで
刑務所から囚人が脱走したり、
保釈中の犯人が逃げたり、
という事件が続いています。
逃げた犯人がつかまらないと
子どもたちも外で遊べなくて
みんなびくびく。
せっかくつかまえた犯人を
逃がしてしまう。
というのはあまりにも困った話。
警察にはしっかりしてほしいなと
思います。
この時の百人隊長は、
今で言えば警察。
捕まえたパウロたち囚人を
逃がしてしまうのが
いちばんしてはいけないことでした。
だから、兵士たちは
いっそ殺してしまおうと考えた。
でも百人隊長は
パウロを殺したくなかった。
だからパウロはいのちを守られました。
吹き荒れる嵐にふり回された二週間。
でもきっとその間のパウロの姿を見て、
百人隊長は何かを感じたのでしょう。
真っ暗な中で
何の望みも見えないようなとき、
私たちはだれも自分のことなど見ていない、
と思いがち。
でも見ている人はちゃんと見ている。
神さまもちゃんと見ている。
そして神さまは
それを不思議な助けにしてくれる。
さすが神さま。
ちゃんと責任とってくれる
「しかし 私は聞きません。
聞こえない人のように。…
まことに主よ。
あなたを私は待ち望んでいます。
わが神 主よ
あなたが私に答えてくださいます。」
(詩篇38:13~15)
いいね、いいね。
そんなのはだめだ。おかしい。
自分の言うこと、やることに対して、
まわりにいる人が
あーでもない、こーでもない
と言う。
それは、昔からずっと
変わってないみたい。
この人だけはわかってくれる
と思ってたのに
ひどいこと言われたり、
SNSっていうツールのせいで
まったく知らない人から、
さんざん言われたり。
それを全部まともに受けていたら
こっちの身がもたない。
だから「私は聞きません」。
人が言うことを無視していい、
っていう意味ではないけれど、
「この人はこう思うんだな」
というくらいに受けとめる。
人はいろいろ言うけれど、
結局何の責任もとってくれない。
だから気にしてふり回されるのは
意味がないのです。
でも一人だけ
気にしなきゃいけない人がいる。
それは神さま。
神さまはどう思っているのかな。
神さまはきけばちゃんと
「これがいいよ」って教えてくれる。
それが私にとってベストの道。
そして神さまは
ちゃんと責任を取ってくれます。
反射神経は完璧
「主によって
人の歩みは確かにされる。
主はその人の道を喜ばれる。
その人は転んでも
倒れ伏すことはない。
主がその人の腕を
支えておられるからだ。」
(詩篇37:23,24)
道路と言えば
今はほぼ舗装してあるけれど、
私が子どもの頃には
ふつうにじゃり道がありました。
じゃり道にしいてある石は、
同じ大きさじゃなくて、
これはもはや砂利じゃないよね?
っていうけっこうな大きさの石が
ぼこっと盛り上がってたりする。
他のことに気を取られて
足元を見てないと
つまずいて
転びそうになります。
でも父がとなりにいると安心。
あ、転ぶ、と思った瞬間、
なかなかの反射神経で
ぱっと腕をつかんでくれるから。
私たちの歩む道にも
大きい石、小さい石、
いろんな障害があって、
つまずきそうになることが
あるかもしれません。
でも神さまは
いつもちゃんと見ていて
倒れてしまう前に
バシッと腕をつかんでくれる。
神さまの反射神経は完ぺき。
つかみそこなうことは
ぜったいにありません。
神さまのとなりにいれば安心です。
かみしめてみるとわかる味
「味わい 見つめよ。
主がいつくしみ深い方であることを。」
(詩篇34:8)
白いご飯、好きですか?
それなりにおいしいご飯が炊ける時の
いいにおい!
たまりません。
ところが最近は、
ご飯は味がないからきらい。
と言う人が増えているんだとか。
原因は、
ふだん味が濃いものばかり食べている。
よく噛まないでのみ込んでいる。
栄養―特に亜鉛―が不足している。
などだそうです。
病気が原因なのは仕方ないとして、
よく味わわないから
味がわからない、
というのはあまりにもったいない。
口に入れた瞬間も
もちろん味はするけれど、
ゆっくりかんでいると
中からさらに深い味わいが出てくる。
それがご飯です。
神さまがいつくしみ深い方、
ということも、
一瞬のうちにわかる濃くて強い刺激を
求めていると
わかりにくいかもしれません。
一つのことが起きたときに、
その瞬間の見た目で
すぐに結論を出してしまわない。
あわてないで
少しゆっくり時間をかけて
どういうことなんだろう?
かみしめ、味わってみる。
そうするとすべてのことの中に
必ず神さまのいつくしみ
という味わいが出てきます。
神さまの配慮の奥深さが見えてきます。
形態安定をめざして
「あなたに代わって
私の心は言います。
『わたしの顔を慕い求めよ』と。
主よ あなたの御顔を
私は慕い求めます。」
(詩篇27:8)
ふつうのシャツを普通に洗濯すると
けっこうなシワになる。
だから着る前にアイロンがけ
をしなくちゃなりません。
だけどアイロンがけって
けっこうな手間だし、
特にこう暑いと
なおさらおっくうです。
そんなとき、形態安定シャツは
とっても便利。
樹脂加工か何かで、
力が加わっても元の形に戻るように
できているらしい。
アイロンで元に戻さなくてもいい。
とってもグッドです☆
私たちの心も
ふつうに日々の生活にもまれると
神さまを忘れてしまう方向、
それどころじゃない
なんて思う方向にもっていかれる。
それがもともとの姿です。
だから、
神さまの方を向くようにするには
やっぱり何かしらの“加工”が必要。
良くない方向に
くせがついてしまったものを
正しい方向に向けるには、
それなりの力を加えないとです。
この詩篇を読んだ人は
自分で自分に
「神さまを慕い求めよう」と言う、
と言いました。
自分で自分に言って聞かせる。
私たちの心を
神さまを忘れない心に、
形態安定させるため、
必要な努力だと思います。
一度ではむずかしくても、
くり返していくうちに
だんだんその方向が自然になっていく。
私たちの心が
神さまに向かっている状態で
形態安定できたら
ほんとにいいですね。