いいことの中でいちばんいいこと
「主を恐れる人は だれか。
主はその人に
選ぶべき道をお教えになる。」
(詩篇25:12)
〆切が迫ると、
突然机の引き出しを
整理したくなる。
部屋の模様替えをしたくなる。
そういう人が身近にいます。
引き出しの整理。
部屋の模様替え。
どっちもぜんぜん悪いことじゃなく、
かえっていいこと。
でも、「それ、今やる?」
なんですよね。
私たちのまわりには、
してもいいこと、した方がいいことが
たくさんある。
でも全部はできない。
だから、どれかを選ばなくちゃ
なりません。
たくさんあるいいことの中で
いちばんいいことは何だろう。
いいことはやってるけど、
いちばんいいこと、
今ほんとにすべきことを避けてしまう。
そんなこともけっこうあったりします。
主を恐れる
=神さまを意識して
お祈りしながら歩んでいると、
神さまが「今はこれだよ」
と教えてくれます。
ぐるぐる回って
結局かんじんなことがまだ。
ギリギリになって追いつめられる。
そんなことからも
守られる秘密だと思います。
人生100年時代でも
「ある者は戦車を
ある者は馬を求める。
しかし私たちは
私たちの神 主の御名を呼び求める。」
(詩篇20:7)
「人生100年時代。
だから引退後の生活には
年金だけじゃ足りないよ。
一人2000万円くらいは準備しとかないとね」
しばらく前、財務大臣がこんなこと言って、
世間が大きくザワザワしました。
いきなりそんなこと言われても。
そんな額、ぜったいに無理。
今まで年金でだいじょうぶって
言ってたじゃん?
老後だけじゃありません。
子どもを一人生んで
育てるのに何千万円、
大学に行かせるにも何千万円、
などの数字が踊って、
えー、どうすればいいの?
みんなの不安をかき立てています。
確かにある程度のお金があれば
それなりの見通しが立つし、
ないよりは安心でしょう。
でもその額があれば
ほんとうにだいじょうぶなのか
というと、
そうとは限りません。
お金は確かなもののように見えて、
今ある価値が明日もあるかどうか
わからない。
突然すっかり価値が下がることだって
ないとは言えません。
だからそればかりを追い求めたり、
これだけ持ってる、って安心したり
自慢したりするのはやめて、
神さまを求めよう。
神さまは私たちに
なくてはならぬものを必ず与えてくれる。
神さまを知って信頼することが
いちばんの保証なんだよ。
そう言っているのです。
いつポロが出るかという心配がない
「全き者として歩み、
義を行い、
心の中の真実を語る人。
…このように行う人は
決して揺るがされない。」
(詩篇15篇)
イソップ童話の
“卑怯なこうもり”というお話、
知ってますか?
獣と鳥が戦争をしたとき
こうもりは
獣が有利になると
「私は全身に毛が生えているから
獣の仲間です」と言い、
鳥が有利になると
「私は羽があるから
鳥の仲間です」と言った。
戦争が終わったとき、
こうもりはどちらからの信用も失って、
仲間はずれにされてしまった
というお話。
相手に合わせ、場面に合わせて
その場その場で
都合のいいことを言う。
一時的には上手にやっている、
うまくやった、と見えても、
やがてはわかってしまい、
そのうちに信用を失ってしまいます。
自分で自分の評価を下げてしまうのです。
どう言うかは
お祈りして考えてだけど、
ほんとうのことをちゃんと言う。
その時は“わからんやつ”と思われても、
相手や場面によって
言うことを変えない。
真実であるということは、
一見損のようだけれど実は
いつボロが出るかという心配がなく、
必死に空気を読んで
そわそわ、はらはらしなくてもよく、
揺るがされない“自分”を
持てる秘密。
それは、ほんとのことを
ちゃんと全部わかっている神さまを
知っている人ならすぐにできる特権です。
おまけに
人間関係でいちばん大事な
人からの信用も得ることができます。
どんなにいい成績を取るよりも大事
「愚か者は心の中で
『神はいない』と言う。」
(詩篇14:1)
「主を恐れることは
知恵の初め。」
(箴言9:10)
テストがあれば、
1点でも多く点を取るのがいいこと、
とみんな思っています。
確かにいい点数は、
勉強したことが身についた
ってことだから
悪いことではありません。
まわりの人にもわかりやすい成果です。
でも、テストの点がいいことと
賢い生き方を知っているかは
まったく別の話。
テストが全部100点満点でも
人としてはどうなの、
っていう人がいなくもない。
テストの点がいいからと言って
生き方もすぐれているとは限りません。
成績は、その人が持っている能力の
ごく一部分をはかるツールにすぎない。
人が賢く生きているかどうか、
それをほんとうにはかる方法は、
神さまをどういう存在と見て、
どうかかわっているか、です。
聖書は「神さまなんかいない」
と言う人は愚かな人。
神さまを恐れる人は賢い人。
と言っています。
なぜなら神さまを恐れる生き方は
自分をほんとうに知り、
ほんとうの自分にふさわしく生きる
生き方。そして、
今やっていることが
ちゃんとカウントされている生き方
だから。
どんなにいい成績を取ることよりも
こっちを気にする方が大事なのです。