まんま受け取っちゃってOK
「主のことばは、
混じり気のないことば。
土の炉で七度試され、
純化された銀。」
(詩篇12:6)
ふだん自分がしゃべっている言葉。
その中で何の混じり気もない言葉って
何パーセントくらいだろう。
考えたことありますか?
ほんとうは思っていないけど、
機嫌をそこねないために、
相手に合わせて言う
適当なことば。
自分はわかっている
と思われるように、
ほんとうは知らないことを
知っているかのように言うことば。
うそをついてるつもりは
なくても、
なにかが混じっていること、
けっこうあると思います。
だからって、ほんとのことなら
なんでも言っていいかっていうと、
そういうわけでもないから、
むずかしい。
お互いに何パーセントかずつ
割り引きしながら
しゃべったり、聞いたり。
それでけっこう疲れたり。
でも神さまのことばは
混じり気がない。
混じりもの、不純なもの、裏、
そういうものが
いっさいないというのです。
だから、真正面から
まともに受け取っちゃってOK。
気遣いも忖度もいっさい不要。
人のことばを
真に受けるとひどい目にあうことが
あるけれど、
神さまのことばには
ぜったいそんなことがありません。
ぜったいに安全な場所
「主は虐げられた者の砦。
苦しみのときの砦。」
(詩篇9:9)
「大気の状態が不安定で
竜巻注意情報が出ています。
急に空が暗くなったり
冷たい風が吹いてきたら
頑丈な建物に避難してください。」
最近、気象情報でよく聞くことば。
これを聞くたびに思います。
竜巻がきてもだいじょうぶなくらい
頑丈な建物ってどこだろう?
鉄筋ならいいってこと?
竜巻はまだ外側だけだけど、
原発とか核ミサイルとか、
放射能がおそってきたら、
コンクリートだって通過しちゃうから
どこに隠れたらいいのか…
家庭用核シェルターなんていうのも
売ってるみたいだけど、
700万円とかするらしいです・・・。
いざというときどこに逃げるか。
ここならほぼ大丈夫。
というところがあったら、
ほんとに安心ですよね。
私たちの心のシェルターは神さま。
神さまの陰には、
どんな攻撃もぜったいに届かない。
完ぺきなブロックです。
そこはぜったいに安全な場所。
だから、これはやられそう、
と感じたらすぐに逃げ込む。
習慣にしておくといいですね。
あったかいお風呂みたいにしみわたる
「あなたは喜びを
私の心に下さいます。
それは、彼らに穀物と新しいぶどう酒が
豊かにある時にもまさっています。」
(詩篇4:7)
おもちゃ売り場で
これは特別!これじゃなきゃだめ!
熱いアピールのすえにゲットしたおもちゃ。
子どもは満面の笑みで大喜び。
ほしいものが手に入る。
それは確かに喜びです。
でもその喜びって、
何日くらい続くでしょうか?
大喜びで抱えて帰ってきたおもちゃ。
2、3日は大切に遊ぶけど、
その後はそこらへんにほったらかし。
かなりあるあるです。
何かがゲットできた喜びは
あまり長続きしない。
だからまた新しいもっと大きい刺激を
求めることになってしまいます。
神さまがくれる喜びも
そういう喜びを思い浮かべていたら
喜びなんてあるの?
と思ってしまうかもしれませんね。
神さまがくれる喜びは
何かをゲットできる喜びとはちがうんだよ。
と今日のみことばは言っています。
それは、全部ゆるして
受け入れてもらった喜び。
ほんとうの自分が
どんなにだめだめかがほんとにわかり、
その自分に神さまが
目を注いでくれていることが
わかるときに知る喜び。
花火みたいにボンボンはねるんじゃなく、
あったかいお風呂みたいに
(めちゃくちゃ季節はずれでごめん)
しみわたる喜び。
この喜びは、私たちの心を
何をゲットできたかに左右されない心に
してくれる。
アリ地獄に落ちないように
「金銭を愛する生活をせずに
今持っているもので
満足しなさい。主ご自身が
『わたしは決してあなたを見放さず、
あなたを見捨てない』
と言われたからです。」
(ヘブル13:5)
自分が1か月暮らすのに、
どうしても必要なのはいくら?
家賃。食費。
電気や水、ガスなども
ただではありません。
それから、スマホ代…?。
お金はどこかから
わいて出てくるものではなく、
自分か家族のだれかが働いたから
あるもの。
あったらいいな、
と思うものはたくさんある。
でもそれを全部買っていたら
いくらあっても足りない・・・
基本は自分(家族)が働いて
手にできる金額の中に生活をおさめる。
だれかがくれるべき、
という考えは×。
借りればいいという考えはもっと×。
持っているもので満足できない心は
アリ地獄みたい。
どこまでがんばっても
ああよかった、にたどり着けない。
結局自分が苦しいだけ。
今持っているもので満足する。
それは、
神さまがどんなときにも
見放さず見捨てない
だからほんとうに必要なものは
必ず与えてくれる
ってわかるときに持てるもの。
自分が歯をくいしばるんじゃなく
「すべての人との平和を追い求め、
また、聖さを追い求めなさい。
聖さがなければ、
だれも主を見ることができません。」
(ヘブル12:14)
すべての人。
それは自分が好きな人、
相性がいい人、
自分によくしてくれる人
だけではありません。
自分が苦手な人、
どうも馬が合わない人、
自分からするといやなことばかり
してくる人も入っている。
そういう人といっしょにいると
心がザワザワして、
こちらの態度も不愛想になりがち。
そんな人と平和って、どうやって?
まず、
できる限りほかの人と同じように
接することができるように。
とお祈りすること。
されたら同じようにしていい、
という思いを捨てること。
少なくとも自分からは
つっかかるようなことはしないこと。
それは不公平だ!
と思うときには、
イエスさまがなにをしてくれたかを
思い出すこと。
イエスさまは、私たちが
声をかけてくれても無視したり
せっかくしてくれたことに
気に入らないと文句を言ったりしても、
いつもおだやかに
接し続けてくれますよね。
私たちがせっかく平和に接しているのに、
それを相手が受け取らないことが
あったとしても、
それは相手の問題。だから、
決着は必ず神さまがつけてくれます。
「向こうがこんなひどいことを
したから!」と言っても、
「でも、あなたもしたよね?」
と言われないように。
自分が歯を食いしばるんじゃなく、
神さまに助けてもらって。