クリスチャン5秒ルール

「私は天の神に祈ってから、
王に答えた。」
(ネヘミヤ2:4,5)
 
 
 
やらなきゃと思ったことが
できるようになる“5秒ルール”
っていうのがあるそうです。
 
 
 
方法はとっても簡単。
やらなきゃと思ったら、
5秒カウントダウンする。
5、4、3、2、1…
0になる前に実行する。これだけ。
 
 
 
なぜこれでできるかっていうと、
5秒以上たつと脳は
「やらない理由」を考え出すから。
だって。なるほどね。
やらない理由を思いつく前に行動。
ってわけ。
 
 
 
これ、けっこうきくらしい。
気持ち的にも
やらなきゃ…でもやりたくない…の
もんもんとした時間が
短くなるから、いいそうです。
 
 
 
私たちも
取り入れたらいいなと思うけど、
このカウントダウンの5、4を
「神さま、助けて」のお祈りにしたら
どうでしょう。
 
 
 
「神さま、助けて」のお祈りは
2秒で終わる。だから、
「神さま、助けて、3、2、1」
ってカウントダウン。
 
 
 
「どんなこともお祈りしてから。」
むずかしそうに聞こえるけど、
これならだれでもできるよね。
 
 
 
これをやらない理由を考える前に
さあ、実践!
神さま、助けて、3、2、1、
Go!

気がつかないわずかな段差

「あなたがたを、
つまずかないように守ることができ、
傷のない者として、
大きな喜びとともに
栄光の御前に
立たせることができる方…。」
(ユダ:24)
 
 
 
ちょっとつまずいた…
何でもないようだけど
思ったより大きなけがに
なったりするから要注意です。
 
 
 
もともとつまずくのは、
こんなところで、っていうような、
自分では
ころぶとは思っていないところ。
 
 
 
ある人は、
階段でつまずく人はあまりいない。
階段だ。って意識して、
気をつけるからだ。
と言いました。
 
 
 
たったこれだけ、
って思うようなわずかな段差が
かえって危ないんだそうです。
 
 
 
自分では危ないと思っていない、
気をつけなきゃいけないと
思っていないから。
 
 
 
私たちの信仰も、
大きな問題や試練の時には
一生懸命お祈りするからいいけれど、
特に問題ないと思っているときに、
ほんの小さいことで
あれ?と思ってしまうことがあるから
注意が必要です。
 
 
 
何かある時だけじゃなく、
今はだいじょうぶかな、
と思っているときにも、
守ってくださいと祈りましょう。
 
 
 
自分が気がつかないことからも
神さまは守ってくださる方です。
 

そのチケット、正規ルート経由?

「神の御子の名を信じている
あなたがたに
これらのことを書いたのは、
永遠のいのちを持っていることを
あなたがたに
分からせるためです。」
(Ⅰヨハネ5:13)
 
 
 
東京オリンピックの観戦チケット。
初回発売分の抽選結果が、
きのう発表になったそうです。
 
 
 
ここで運よく当選した人は、
来年の8月、まだ1年以上先だけど、
観戦できることが確定。
 
 
 
見に行く権利をゲットできて、
きっとワクワクが
始まっていることでしょう。
 
 
 
イエスさまの御名を信じている人は、
永遠のいのちを持っている。
天国に入る権利が
もう手に入っています。
その日を楽しみにできるのです。
 
 
 
ところで、今回の応募抽選は
ネット限定だから、
‟抽選結果発表をかたる偽メール”
に気をつけてね、
っていう注意が警察から出てるそうです。
 
 
 
偽サイトから当選のお知らせが来て
どんなに喜んでいくら払っても、
そのチケットじゃ観戦できません。
 
 
 
永遠のいのちをもらう正規ルートは
聖書の神さまの御子イエスさまを
自分の罪の救い主と信じる。
っていうルートだけ。
 
 
 
今自分が持っているチケットは
ちゃんと正規ルートかな?
しっかり確かめましょう。
 
 
 
もし少しずれていたら、
今のうち修正すれば
だいじょうぶ。

必ず勝てる

「神から生まれた者はみな、
世に勝つからです。
私たちの信仰、
これこそ世に打ち勝った勝利です。」
(Ⅰヨハネ5:4)
 
 
 
このみことばを読んで、
うーん、どうもそんなふうには
思えないけど…
と思う人もいるかもしれません。
 
 
 
信仰が世に勝つ?
でも、信仰を持ってたって、
うまくいかないことたくさんあるし?
 
 
 
私たちはやっぱり、
世に勝つってことはうまくいくこと。
うまくいかなければ認められない。
と思いがち。
 
 
 
そもそも世がだれかを認めるのは
自分が得をする、と思うときだけ。
なんの得にもならない、
役に立たないと思われたら
捨てられます。
 
 
 
だからみんな認められようとして
必死になっている。
認めてくれるかどうかに
ふり回されています。
 
 
 
そこをよりどころにしている人は、
認められない自分を
自分も認めることができません。
 
 
 
世が認めてくれたなんてことは
その一瞬かぎりのことで
何の保証もしてくれないのにね。
 
 
 
世に勝つというのは、
そういうことにふり回されないで
生きていくことができる。
ということ。
 
 
 
イエスさまは
神さまが送ってくれた救い主
とほんとうにわかる時、
私たちはそうなれるのです。
 

はぁ?って言うような人間のために

「私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての御子を
遣わされました。
ここに愛があるのです。」
(Ⅰヨハネ4:10)
 
 
 
何かいいことをしてもらったら、
こちらもいいことを返す。
感謝やお礼は、
とっても大切なことです。
 
 
 
忘れないようにしなさい、
と自分がいつも言われているからか、
逆に、してあげた人が
何も言ってこない、何もしてこないと
おかしいな・・・
と思うこと、ありますよね。
 
 
 
もらったらあげる。あげたらもらう。
“ギブアンドテイク”は
この世の常識になっています。
 
 
 
あげてもぜったい返って来ない
ってわかってる人、
してもらって喜ぶどころか
いやな顔をするような人にあげるのは、
ふつうでは考えられないことです。
 
 
 
でも神さまは、
神さまなんていらない。
救いが必要だなんてまったく思わない。
と言っている人間のために、
イエスさまを与えて、
私たちの身代わりにしてくれました。
 
 
 
それだけの犠牲を払っても
感謝するどころか
はぁ~?よけいなお世話、
って言うような人間のために。
 
 
 
それは私たちのことが大事だから。
私たちのためを本当に思ってくれる
愛があるからです。