せっかくのいい感じが吹っ飛ぶとき

「しかし、
イエスは彼らに言われた。
『わたしだ。
恐れることはない。』」
(ヨハネ6:20
 
 
 
さっきまで超うまくいっていた。
なのに急にトーンダウン・・・
いったいどうなっちゃったのか
よくわからない。
 
 
 
せっかくいい感じでいってたのに
急に風向きが変わって
あれ?と思うこと、
けっこうあると思います。
 
 
 
五千人の給食を見たばかりの
弟子たちがこぎ出した舟も、
強風の嵐にみまわれました。
 
 
 
こいでもこいでも前に進まない。
さっきまでの絶好調は
どこかに吹っ飛び、
こわいという気持ちだけに
支配されてしまいました。
 
 
 
何かがとてもうまくいったとき、
すばらしい光や興奮を経験するとき、
私たちは自分も
何だか強くなったような気がするけど、
それは実は気のせい。
 
 
 
見えていることがうまくいってるか、
それとも最悪か、
それは私たち自身の中身とは
関係ないのです。
 
 
 
私たちをほんとうに支え、
行くべき目的地に着けるように
してくれるのはイエスさま。
 
 
 
今日もイエスさまに
いっしょにいてもらいさえするなら、
どんなことがあっても
だいじょうぶです。
 
 
 
よろしくお願いします。
のお祈りで、
1日を始めましょう。

もうポチッとしたから

「その人は
イエスが語ったことばを信じて、
帰って行った。」
(ヨハネ4:50)
 
 
 
まだ何も起きていないのに、
お祈りしたことは
そのとおりになるって信じるなんて、
そんなことできる?
 
 
 
そんなの現実とかけ離れすぎてるし、
むずかしすぎて
どうすることかわからない。
だって、やったことないもの。
 
 
 
やったことないから
むずかしすぎる。
…そうでしょうか?
 
 
 
私たちは毎日の生活の中で
見てないけど信じることを
けっこうやっています。
 
 
 
ネットで品物を注文。
気に入ったものを見つけて、
ポチッとします。
 
 
 
お店で買うのとちがって
その時には、
品物はまだ手に入っていません。
 
 
 
だけど、「買った」
と思っていますよね。
次の日か、2日後には必ず来る。
今はまだ届いていないだけ。
 
 
 
届くまでずっと
そのことだけ気にしたりしない。
届いたら「ああ、来た」
って当たり前のように
受け取ります。
 
 
 
神さまの答えが
ネットショッピングと
少しちがうのは、
いつ来るかがわからない、
っていうところ。
 
 
 
でも、必ず来ます。
私たちは
安心して待っていればいいのです。

熱中症にやられないように

「この水を飲む人はみな、
また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、
いつまでも決して
渇くことがありません。」
(ヨハネ4:13,14)
 
 
 
今年も“熱中症に注意”
という言葉を聞く時期になりました。
水分補給などしっかりして、
乗り切りましょう。
 
 
 
水分補給と言えば、同じ水分でも、
スポーツドリンクなどは
ほんとに体を動かしてる時はともかく、
あまりガバガバ飲むと、
かえってカロリー取りすぎになっちゃうことも
あるから要注意だそうです。
 
 
 
それに、味が濃いものを飲むと、
のどの渇きが直るというより、
もっと水を飲みたくなったりしますよね。
水分補給の水は
シンプルな水がいちばんのようです。
 
 
 
私たちの心はどうでしょう?
自分が楽しいと思えることや
刺激で満たそうとすると
その時はいいけれど、
終わった後は
からっぽ感がかえって強くなることが
あるのではないでしょうか。
 
 
 
もちろん楽しんでいいのです。
でも、それがなければだめ、
となると、
楽しみや刺激がないと
耐えられないことになってしまう。
 
 
 
何もないただの毎日を
これでいいと思える納得と
そこから来る心の強さ。
それをくれるのが
イエスさまが与えてくれる水。
 
 
 
イエスさまを「自分の」罪の救い主
と信じる信仰がその水です。
 
 
 
今日もイエスさまは「私の」救い主。
この水分を心に補給して
今日も1日を始めましょう。

グリーン車と普通車

「御子を信じる者が
一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネ3:16
 
 
 
私たちの国日本では、
毎日毎日ものすごい量の食べ物が
まだ食べられるのに
捨てられているそうです。
 
 
 
どうして捨ててしまうのか?
それは、捨ててもまた手に入る、
と思うから。
いつでも買えるのがあたり前だと
思っているからでしょう。
 
 
 
これを捨てたら食べる物が
もう手に入らない
かもしれないとなったら、
簡単に捨てたりできません。
 
 
 
あることがあたり前だと思うと、
あることのありがたさが
よくわからなくなり、
捨てることも平気になってしまいます。
 
 
 
永遠のいのちも同じじゃないかな
と思います。
信じることが当然という中にいると、
すごさ、ありがたさが
逆によくわからなくなってしまう。
 
 
 
永遠のいのちがなかったら、
天国に入れないだけじゃない。
滅びて永遠に罰を受け続ける。
と聖書は言っています。
 
 
 
死後の世界に行くのはみんな同じで、
信じた人は少しマシなところに行く。
天国はグリーン車だけど、
入れなかった人は普通車。
くらいに思っていませんか?
 
 
 
守っていくことに意味ある?
なんて言ってる場合じゃありません。
 
 

フィルターなくちゃんと

「ダビデが主の宮の歌を
受け持たせるために立てた人たちは
次のとおりである。…
ケハテ族からはヨエルの子、
歌い手ヘマン。
ヨエルはサムエルの子…。」
(Ⅰ歴代6:31~33)
 
 
 
風評被害=根拠がないうわさが原因で
受ける被害のこと。
特に事件や事故の後、
本当は何も関係ないのに
勝手に関連づけて
「ヤバい」ことにされること。
 
 
 
福島の野菜や魚は、
検査ではまったく問題がないのに、
今でも買うのを避ける人がいたりして、
生産者のみなさんが困っているそうです。
 
 
 
そのものや、その人を
ちゃんと見ない。
私たちがおちいりやすい、
よくない傾向だと思います。
 
 
 
今日のみことばに出てくる
歌い手のヘマン。
お父さんはあの預言者サムエルの息子
ヨエルでした。
 
 
 
預言者サムエルの息子だから
さぞちゃんとしていたかと思えば、
(これ自体、色眼鏡だけど・・・)
まったく逆。
わいろを受け取ってさばきをまげる
かなり困った人だったって書いてあります。
 
 
 
親がそういう困ったことをすると、
「あの人の子なんだ」っていう目で
見られてしまうのは、
今もよくあること。
 
 
 
でもヘマンは、
そんなふうに、はじかれなかった。
主の宮の歌い手になって、
神殿でご奉仕しました。
 
 
 
神さまは私たちを
だれの子か、だれの親戚か、
そんなことはまったく関係なく、
私としてちゃんと見てくれます。
 
 
 
口先で言うだけじゃなく、
そのように扱ってくれます。
今日も色眼鏡やフィルターなく
ちゃんと見てくれています。