ほんとの私でだいじょうぶ

「ユダヤ人たちが…
『あなたはどなたですか』
と尋ねたとき、
ヨハネはためらうことなく告白し、
『私はキリストではありません』
と明言した。」
(ヨハネ1:19,20)
 
 
 
人間どうしだとしょっちゅうある
誤解やかんちがい。
 
 
 
あの人ってこんならしいよ。
誤解と言えば、
悪く思い込まれる方を
思いうかべることが多いかなと思います。
 
 
 
でも、悪い方だけとは限りません。
よい方にかんちがいされることも。
ほんとはそんなじゃないのに
すごいね✨、とか
きっとできるよ、とか。
 
 
 
いやいや、そんなふうに
買いかぶられても…
と思ったり言ったりするけど、
いい方にかんちがいされるのは
悪い気はしなかったりする。
 
 
 
えー、そんなことないよー、
と言いつつ、
はっきりは否定しなかったり。
 
 
 
でもヨハネは
「私はキリストじゃありませんよ」
とはっきり言いました。
 
 
 
自分は自分。自分以下ではない。
でも自分以上でもない。
ほんとうの自分を知って認め受け入れる。
それでいいんだ、ってほんとうに思える。
それは神さまを信じて
神さまを後ろ盾にしたとき
はじめてできること。
 
 
 
他人がどう思っていても、
自分がどう思っていても、
神さまは自分を認め
受け入れてくれている。
 
 
 
だから今日も私は
ほんとの私でだいじょうぶ。
安心して過ごしましょう。

無事がわかってるって、いいよね

「主は私を、
どんな悪しきわざからも救い出し、
無事、天にある御国に
入れてくださいます。」
(Ⅱテモテ4:18)
 
 
 
私たちは毎日、
いろんなことを目ざして
いろんな努力をしています。
 
 
 
入試や就職試験にパス。
部活の試合に勝つ。
仕事のノルマのクリア。
レポートの提出期限。
片づけとかダイエットとか…
それこそいろいろ。
 
 
 
いろんな目当てがあるけど、
クリア度がむずかしいほど、
プレッシャーも高まる。
 
 
 
がんばれば必ずクリアできる
と思えれば
安心してがんばれるけど、
 
 
 
がんばってもクリアできるかどうか
わからないとなると、
このままがんばり続けていいかどうか
わからなくなる。
がんばるエネルギーをキープするのも
大変です。
 
 
 
天にある御国。
そこは私たちの目当ての
最終地点にあるもの。
ずいぶん先のことのように思えるけど、
もしかしたらすぐそこかもしれない。
 
 
 
私たちが
クリスチャンとして歩むがんばりは、
みんなそこを目ざしています。
 
 
 
そしてそのがんばりは
ぜったいに報われる。
ってわかっている。
神さまは「無事に」私たちを
御国に入れてくれるから。
無事がわかっているって、
いいよね。
 
 
今日の努力も
ぜったいにむだではありません。

やわらかくてしなやかに強い

「ですから、私の子よ。
キリスト・イエスにある
恵みによって強くなりなさい。」
(Ⅱテモテ2:1)
 
 
 
あなたのまわりにいる強い人は
だれ?と聞かれたら、
だれの顔が思い浮かびますか?
 
 
 
その人はどんなふうに
強いのでしょう?
気が強くて、ゆずらない。
主張がはっきりしていて
声が大きい。
腕力・体力が強い人を
思いうかべた人もいるかもしれませんね。
 
 
 
この世の中には
いろんな強さがあるけれど、
近寄ると何かしら巻き込まれるような
強さは、ちょっとね。
 
 
 
みことばは私たちに
強くなりなさい。と言っています。
ただしその強さは「恵みによって」。
 
いったいどんな強さなんでしょう?
 
 
 
「キリスト・イエスにある」
ということばがカギ。
 
 
 
イエスさまが私の代わりに
十字架にかかってくれたこと。
イエスさまが
どんなときにも私といっしょにいて
必ず私の味方をしてくれること。
 
 
 
この二つがほんとにわかると、
自分は今の自分でだいじょうぶ
必ずやっていかせてくれる
って心の底から思える。
 
 
 
だから今いる場所に
立ち続けていける力を持てる。
これが恵みによる強さです。
 
 
 
しかもこの強さは人を巻き込まない。
傷つけない。
強いんだけどやわらくてしなやか。
 
 
 
神さまだけが与えてくれる
ふしぎな強さ。
でも心から求めれば
だれにでも与えてくれる
私も必ずもらえる強さです。

永久サポーター

「わたしが父にお願いすると、
父はもう一人の助け主を
お与えくださり、
その助け主がいつまでも、
あなたがたとともにいるように
してくださいます。」
(ヨハネ14:16)
 
 
 
サポーター。
サッカー関係で使ったのが
始まりみたいだけど、
まあ要するにファンのこと。
 
 
 
成績がいいか悪いかに関わりなく
応援してくれる。
応援するためなら、
どんな遠くからでもかけつけてくれる。
作業やお金なんかの必要があったら
喜んで犠牲を払って助けてくれる。
それがサポーター。
 
 
 
サポーターが増えると
いろんな面でとっても助かるし、
活動も安心して進めることができます。
 
 
 
聖霊の神さまは、
言ってみれば私たちのサポーター。
私たちの調子に関係なく、
いつでも味方でいてくれて、
決して見捨てることなく
いつも助けようとしていてくれる。
 
 
 
人間のサポーターは、
「ひどいからもうやめる」
と言わないとは限りません。
前は熱心だったけど今はあんまり、
ってなるかもしれません。
 
 
 
でも聖霊サポーターは
私たちを助けるのをもうやめる
ということが決してない方。
熱量も変わらない方。
 
 
 
私たちの方から拒絶しないかぎり
いつまでも私たちのサポーターで
いる気まんまん。
助けを求めるのを待っていてくれます。
助けることをとても喜んでくれます。
永久サポーターです。
 
 
 
だからすぐそこにいるのに
活用しないのはもったいない。
もっともっと
助けてもらいましょう。
今日も助けてくれますよ。

真に受けてだいじょうぶ

「あなたがたを召された方は
真実ですから、
そのようにしてくださいます。」
(Ⅰテサロニケ5:24)
 
 
 
「必ずもうかります」
こんな甘い言葉にだまされて、
大切な貯金をだまし取られた。
という事件がよくあります。
 
 
 
ついこの前も、
そういうことで
20代の女性が銀行を訴えた
というニュースがありました。
 
 
 
うますぎる話には、
ほぼ必ず裏がある。
そんなうまい話があるわけないから、
気をつけよう。
それが世間の常識。
 
 
 
人のことばには
ちょくちょく“うそ”が
まじり込んでいる。
 
 
 
だから、どんなにいい話でも、
出所が信用できるかどうか、
よく確かめないと、
とんでもない被害にあう可能性が
あります。
 
 
 
だけど「神さまは真実」。それは、
神さまにはそういう心配がない。
つまり、決してうそがない。
ということ。
 
 
 
信じるだけで救われる
というのも、
言ってみればうまい話。
 
 
 
でも神さまが救うと言っているなら、
そのとおり必ず救ってくれる。
きよめると言っているなら、
必ずきよめてくれる。
いっしょにいると言っているなら、
必ずいっしょにいてくれる。
助けると言っているなら、
必ず助けてくれる。
 
 
 
ぜんぶそのまま
真に受けてだいじょうぶ
なのです。