まだ途中
「ですから、
主が来られるまでは、
何についても
先走ってさばいてはいけません。」
(Ⅰコリント4:5)
スポーツ観戦は好きですか?
スポーツのおもしろいところは、
最後まで結果がわからない
というところ。
野球で言えば、
9回までめちゃ負けしていても、
それで決まり、ではない。
9回裏に満塁逆転ホームランが
ぜったいに出ないとは言い切れない。
だから途中経過で
この試合は負けだと決めないように。
最後のスリーアウト試合終了まで
あきらめない。
と言っているのをよく聞きます。
野球の試合だと、
満塁逆転ホームランは
出るかもしれないけど
出ないかもしれない。
でも神さまについては、
「主が来られるとき」
神さまの側に立っている者が
正しいと認められる
ということは、もう決定事項。
途中経過がどんなであっても、
それは変わりません。
だから人については
こんな人だと決めつけてはいけないし、
自分については
こんなもんだとあきらめてはいけない。
イエスさまがよみがえって
今もう一度来る準備をしているから、
確かです。
ロックしないために
「それからイエスは、
モーセや
すべての預言者たちから始めて、
ご自分について
聖書全体に書いてあることを
彼らに説き明かされた。」
(ルカ24:27)
「イエスさまを信じていたのに、
何もうまくいかなかった。」
エマオに向かっている
二人の弟子たちの心にあったのは
こんな思いでした。
なぜそう思ったのか?
それは、自分たちが望みをかけていた
イエスさまが殺されてしまった。
その出来事で
思考がロックしてしまったからです。
イエスさまに望みをかける。
それはすばらしいことです。
イエスさまは私たちが
望みをかけるべきお方。
だけど、
イエスさまへの望みが
自分の願望とごちゃまぜに
なってしまっていたんだね。
だから実は
自分たちの願望よりずっとずっと
すごいことが起きていたけれど、
それがまったく目に入りませんでした。
どうすれば
目の前のうまくいかないことで
思考がロックしてしまわずにすむか。
そのかぎは、みことばです。
イエスさまの十字架と復活も、
みことばにちゃんと書いてあったけれど、
この二人の弟子たちは
そこんとこ、スルーしてたらしい。
イエスさまがそこのところを
説明してくれるうちに、
二人のがっかりはいやされていきました。
みことばはなんて言ってる?
そこにしっかりとどまっていれば、
私たちの希望が完全になくなってしまう
ということは決してありません。
死んだまま?
「あなたがたは、どうして
生きている方を
死人の中に捜すのですか。
ここにはおられません。
よみがえられたのです。」
(ルカ24:5,6)
神さまを信じていない人の
生き方の明るさが
明るさ50だとします。
あなたのクリスチャン生活は、
それよりも明るくて
明るさ70、80・・・?
もしかして90?
それとも
神さまを知らない人に比べて暗くて、
明るさ40、30・・・
まさか10…とか…?
その答えは、
十字架に死んだイエスさま
よみがえったイエスさま、
どっちが自分の中で強いか
で決まるかもしれません。
そしてもし神さまを知らない人よりも
暗いと感じているなら、
イエスさまを死人の中に
捜しているのかもしれません。
イエスさまは十字架で死んだ。
だから自分もいろんなことをがまんして、
願望に死ななきゃいけないんだ。
・・・そればっかりじゃ、
そりゃ暗いです・・・。
イエスさまは確かに死んだけど、
今は死人の中にはいません。
よみがえったから生きています。
しかも今イエスさまが生きているのは、
死からよみがえらせた
ものすごく大きな神さまのいのちの力。
私たちもその力によって
「生きる」ことができるのです。
グッドフライデイ
「私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために
死なれたことによって、
神は私たちに対するご自分の愛を
明らかにしておられます。」
(ローマ5:8)
自分を裏切って離れて行った人が
困ったり苦しんだりしている。
あなたは助けの手を
さしのべますか?
向こうから「助けてください」
と言って来なくても、
自分から「助けましょうか?」
と言えますか?
神さまから見て私たちは
恩を仇で返し、
後ろ足で砂をかけて去って行った人。
そんなことをしたら
大変なことになるよ
と言われてわかってたことをやって、
大変なことになっている人。
だから言ったじゃん。
さんざん言ってあげたのに
わざとやったんだから知らないよ。
と言われても仕方ない。
でもそんな私たちが
もとに戻れるように
神さまの方からしてくれた。
それがイエスさまの十字架です。
神さまはそれほどまで
私たちのことを
大切に思ってくれました。
今日は救い主イエスさまが
十字架にかかってくれたことを
記念する特別な日。
神さまの広い心と大きな愛に
特別に感謝しながら
1日を過ごしましょう。
幸福度アップ
「あなたがたの間で
一番偉い人は、
一番若い者のようになりなさい。
上に立つ人は、
給仕する者のようになりなさい。」
(ルカ22:26)
自分たちの中で一番偉いのはだれか、
最後の晩餐の席で
弟子たちは議論していました。
「おれだ」「いや、おれだ」
イエスさまは
自分がこれから受ける苦しみのことを
話していたけど、
弟子たちは聞いちゃいなかった。
イエスさまがどうなるかよりも
自分がどうなるかの方が大事。
それが人の本性。
だけどそれは
「おれだ」「いや、おれだ」
と永遠に争う道。
どこまでいっても決着がつきません。
「おれだ」じゃなくて「どうぞ」
支配するんじゃなくて、
仕えることだよ。
とイエスさまは言いました。
仕えるってどういうこと?
そのお手本が十字架です。
イエスさまは自分の権利を
いっさい主張しないで
十字架にかかってくれました。
自分を捨てて人に仕える。
そんなバカバカしいこと。
と思えるけど、
これを喜んでできると
幸福度は必ずアップするから
不思議です。
そうできたら幸福になるように
私たちは造られているのです。
そこに戻れるように
イエスさまは
十字架にかかってくれたのです。