ありがちだけど
「弟子たちはイエスを起こして
『先生。私たちが死んでも、
かまわないのですか』と言った。」
(マルコ4:38)
あなたたちがどうなっても
知らない。
とイエスさまが言ったのではありません。
嵐の激しい突風で
波が舟の中にも入って来る中、
イエスさまは眠っていただけ。
でもお弟子さんたちは、
イエスさまがまるで
ものすごく冷たい非情人みたいに
責めました。
それはきっと、
こういうときはこうしてくれるはず、
っていう自分の想像と
ちがっていたから。
お弟子さんたちは
何を期待していたんでしょう。
頼まなくても起き上がって
水をかき出すのを手伝ってくれる?
風を静めてくれる?
何も言わずにただ信じるのが
むずかしかったら、
せめて助けてください!
って言えばよかったのにね。
いきなり
死んだってかまわないと思ってるんだ
と決めつけ…、責め…
気の毒なイエスさま。
自分の思いどおりの反応でないとき、
お弟子さんたちみたいに
“すね”マインドになってしまう。
けっこうありがち、
よく見かけがちな気がするけれど、
気をつけたいところ。
イエスさまが、
私たちがどうなってもかまわない
と思うことは決してない。
必ず越えられるようにしてくれるから。
となりはとなり
「イエスは…
『わたしについて来なさい』
と言われた。」
(マルコ2:14)
人間が日々、
どれだけお互いに比べっこをしているか。
それはもう、休むことなく、
って言ってもいいレベルですね。
比べるだけで止まってれば
いいんだけど、
ほぼたいていその先がある。
自分の方がいい、上、と思うときは
相手を見下げたり、バカにしたり。
何か成功すると、
とたんに態度が大きくなる人、います。
逆に自分の方がだめ、下、と思うと、
ねたんだり、引きずり下ろそうとしたり、
どうせ自分なんか、とすねたり。
優越感も劣等感も、
人にいい影響をあたえることはほぼなし。
いつまでもその中にとどまっていると、
心がむしばまれるから要注意。
そこから離れるにはどうしたらいいか。
それは、イエスさまに目を向けること。
イエスさまはいつでも
一人ひとりを個別扱いにします。
私へのことばは私へのことば。
となりの人へのことばではありません。
となりの人がどうしてるか。
それはとなりの人とイエスさまの問題。
あなたはあなたにかけられたことばに
応えなさい。
それがあなたの幸いの道なんだよ。
とイエスさまは言います。
一人ひとりちがっていい
と言われると、
自分が損をする気がする。
それは人の心にある
自分中心スピリットが発する欺きの声。
だまされないで。
決して引かずに
「イエスは深くあわれみ、
手を伸ばして彼にさわり、
『わたしの心だ。きよくなれ』
と言われた。」
(マルコ1:41)
白洋舎。
クリーニング屋さんの代表
みたいなお店です。
ちょっとお高め、
だけど、仕上がり品質で勝負してるのかな
っていう印象。
しばらく前に
このお店ができた時の話を読みました。
創業者の五十嵐さんはクリスチャン。
もともと有名デパートと
きちんとした取引がある仕事を
していたんだけど、
日曜日が休めない。
だからその安定した仕事をやめて、
クリーニング業を始めたんだって。
当時は人の汚れ物で商売なんて。
っていう空気があったらしい。
でも五十嵐さんは
イエスさまが自分の汚れを
全部引き受けてくれたことを思えば、
自分が人の汚れ物を洗うくらいなんでもない。
そう思ったそうです。
ツァラアト。それは、
当時の人にとってはあってはいけない汚れ。
さわるなど、ぜったいあり得ない!
でもイエスさまは
手を伸ばして直接さわりました。
それだけでもこの人は
どんなにうれしかったでしょう。
私たちの心がどんなに汚れていても、
イエスさまは
いやな顔をしたり、目をそむけたり
引いたり、決してしない。
あっちへ行けと言わず、
手を伸ばして、直接ふれてくれます。
きれいにしてくれます。
抵抗力
「なんと幸いなことでしょう。
主よ あなたに戒められ
あなたのみおしえを教えられる人は。
わざわいの日に あなたはその人に
平安を与えられます。」
(詩篇94:12,13)
今、“はしか”にかかる人が
関西地域を中心に増えていて、
これからもっと広がるんじゃないか、
っていうおそれがあるそうです。
はしかは、1度かかれば免疫ができて
2度かかることはない。
このしくみを利用しているのが
予防注射。
かからない薬ではなく、
少しウィルスを投与して
わざと軽くかからせているのです。
それで免疫ができて、
もうかからないようにするんですね。
今回かかっている人の中には、
この予防注射をしていない人も
けっこういるみたい。
一生ウィルスが完璧にないところで
生活できる。っていう保証があれば
予防注射はいらないんでしょうけど、
それは絶対と言っていいくらいあり得ない。
いろんな“菌”も同じ。
今はなんでも除菌だけど、
あんまりやりすぎると、
抵抗力もなくなってしまうから要注意。
これは私たちの心にも通じるのでは、
と思います。
いやだなと思うことが何も起こらない。
だれにも注意されない、叱られない。
一見いいことのように見えるけど、
それがずっと続くと
抵抗力もなくなっちゃうかも。
自分にとってよくないと思えることに
一生ふれずに生きていくことは、
無菌室で一生過ごすくらい、
あり得ないこと。
その時はいやだな、
という気持ちがするかもしれないけど、
小さい積み重ねが大事。
少しずつ抵抗力がついていきます。
戒められ、教えられることが幸い。
相手が人の場合は、
戒め教える側に問題ありのこともあるけど、
神さまなら、
全部必ず私たちの益につながる。
いやだいやだ、ではなく、
ありがたい、と思えるといいね。
それが自分のためだから。
竜巻注意情報
「主の真実は大盾 また砦。」
(詩篇91:4)
私が子どものころ。“竜巻”は
「オズの魔法使い」の物語の中、
つまりお話の中の出来事でした。
家ごと飛ばされるなんて、
そんなすごいことがあるんだなぁ
と思ったものです。
でも最近、竜巻はもはや
物語の中のお話、
遠いどこかの国で起こること、
ではなくなりました。
天気予報で
竜巻注意情報が出るのも
珍しいことではありません。
「急に空が暗くなったり、
急に冷たい風が吹いてきたら、
頑丈な建物の中に避難しましょう」
これを聞くたびに思います。
頑丈な建物って、どこ?
学校?
校舎ならいいかもしれないけど、
体育館はだめそうですね。
どうも教会堂も無理そうです。
そういう時、
ここなら大丈夫、っていう当てが
すぐ近くにあるといいんだけど。
神さまは私たちの砦になってくださるお方。
どんな大風も、竜巻であっても、
神さまを吹き飛ばすほどの力は
ありません。
だから、すぐに神さまの陰に隠れる。
このくらい大丈夫、と油断しないで、
風が来そう、と思ったら
すぐ神さまの陰に。
この習慣をつけておけば
いざっていう時もだいじょうぶ。
安心です。