義務はなくても
「パウロは、
このテモテを連れて行きたかった。
それで、
その地方にいるユダヤ人たちのために
彼に割礼を受けさせた。
彼の父親がギリシア人であることを、
皆が知っていたからである。」
(使徒16:3)
♪まわりの人が君のことを
どう思うかは、
そんなに問題じゃないよ〜
それよりもイエスさまが君のことを
どう思うかがずっと大事〜♪
教会学校さんびかの1節。
人はどっちにしてもうわべしか見ない。
ほんとのことを知ってるのは
神さまだけ。
だから、神さまがどう見てるかを
気にすればいい。
人がどう思うかはどっちでもいいんだ。
人に良く思われようと
がんばりすぎて疲れても意味ないよ。
人の評価ばかりを気にしいの
私たちに、よく語られる
メッセージです。
だけどそれは、
神さまがわかっててくれるんだから、
人がどう思おうと関係ない。
っていう意味ではないよね。
パウロはテモテに割礼を受けさせた。
すぐ前の15章で、
割礼を受けていない異邦人も
ユダヤ人と同じに救われることができる
って、みんなで確認した直後のこと。
割礼を受けてるかどうかは
関係ないんだから、
テモテが割礼を受けてなくてもいいじゃんね?
と思いそうだけど。
神さまがわかってればいい。
確かにそうなんだけど、
え?と思われそうなことをわざとしない。
やる義務はないかもしれないけど、
やった方が受け入れられやすかったら
そうする。
これも、愛の配慮の一つ。
すぐにわからなくても
「そのとき、
ペテロは我に返って言った。
『今、本当のことが分かった。…』」
(使徒12:11)
主の使いに起こされて
牢から連れ出されている途中、
ペテロは今起こっていることは
夢なのか幻なのか、という気分でした。
本当に外に出て、
み使いが離れて行ったとき、
初めて我に返って、
これは神さまがしてくれたことなんだ!
とわかったのです。
起こっている最中には
わけがわからない、
どうしてこんなことになるんだ?
人生にはそういうことが、
ほぼ必ずと言っていいくらい
あります。
私たちがそう思うのは、
たいてい
好ましくないことが起こった時。
思ってもいなかった得をした、
というときには、
なぜ?とは思わない。
人って現金なものですね。
起こっていることは全部
神さまのお許しの中にあると考えると
なおさら
その思いは強くなるかもしれません。
でも、なぜと思える中を
通ることがあっても、
わからないからといって
良くないこと、あってはいけないこと、
とすぐに決めてしまわないで。
神さまは必ず
よいことを進めてくださっている方。
「そうか!」とわかるときを
やがてきっと与えてくれます。
神さま領域
「この方こそまさしく神。
世々限りなく われらの神。
神は 死を越えて私たちを導かれる。」
(詩篇48:14)
大使館。
たとえば日本にあるアメリカ大使館なら、
アメリカから来た特命全権大使
(今はハガディさんという人らしい)
がいて、いろんな公務をする場所。
私たちが関わることがあるとしたら、
海外旅行をしようとする時ですね。
ビザ(入国許可証)を発行してくれるのが
その国の大使館や領事館です。
大使館の領地は、
日本にあってもその国の領地と同じ、
って法律で決まっているそうです。
アメリカ大使館なら、
大使館の敷地はアメリカの領土。
だから、許可がなければ
日本人が勝手に入ることはできません。
大使館領内に逃げ込まれちゃって
警察も手出しできない〜、
みたいな映画もあったような。
私たちの体が死んだ後の世界。
そこは、人の力の及ばない神さまの領域。
人が勝手に入ることができないところです。
そこで私たちを導く力と権力を持っているのは
神さまだけ。
大使館に招いてもらうのは、
ものすごく特別な人だけで、
庶民の私たちに招待状が来るってことは、
まずないでしょう。
でも神さまの招待状は
いつでも発行されている。
私たちは感謝して受け取れば
いいだけです。
そだね~
「神がきよめた物を、
あなたがきよくないと言ってはならない。」
(使徒10:15)
2018年の流行語大賞
グランプリは「そだね〜」。
平昌オリンピック、カーリング女子チームから
広がったことばでした。
相手が言ってることを
「そのとおりだね」とそのまま受け取る
「そだね〜」。
私たちが神さまを信じる信仰を
2018年ふうに言ったら、
まさにこのことばがぴったり。
と思います。
信仰って、
なんだかふわふわっとしたイメージを
持つ人が多いけど、
神さまが言ったことに対して
「そのとおりです」と言う。
これが、信仰。
聖書に書いてあっても人は、
えー、ほんとにそんなことあるのかな、
でもさー、などなど、
いろいろ思うことが多いです。
神さまはそう言うけどそんなのやだな、
そうじゃなくてこうがいいな、
と思うことも多いです。
たとえば、
信じなくても全員救ってくれればいいじゃん?
とか、
やりたいことなんでもかなえてくれるのが
神さまでしょ?とか。
だけどそれがもしほんとになったら、
世の中も天国もめちゃくちゃになります。
みんながほんとによかった、
って思える世界にもならないでしょう。
言わない自由も私たちは持っている。
でも、言うことが救われるためのただ一つの道。
そして私たちにとっていちばんいい生き方。
神さまはそう言っているのです。