え?今?

「そのころ、
全世界の住民登録をせよという勅令が
皇帝アウグストゥスから出た。」
(ルカ2:1
 
 
 
そのころ。というのは
聖霊によってみごもったマリアのお腹が
かなり大きくなってきたころ。
 
 
 
そのころ「住民登録をせよ。
しかも自分の生まれた町に戻って。」
という勅令を
ローマの皇帝アウグストゥスが
出しました。
 
 
 
その勅令が出たから、
ヨセフとマリアはベツレヘムへ。
それは仕方なくの旅でした。
 
 
 
ふだん住んでいるナザレからは
100キロ以上も離れています。
しかも標高はベツレヘムの方が
300メートルくらい高い。
全体的に上り坂の旅。
 
 
 
この勅令がなかったら、
2人がベツレヘムに向かうことは
絶対になかったでしょう。
 
 
 
皇帝アウグストゥスは異教徒。
神さまを信じていないし、
もうすぐ救い主が誕生するということなんか
まったく知りません。
 
 
 
自分が出した勅令で
マリアとヨセフが
ベツレヘムに行くことになる
なんてことも知ったこっちゃない。
 
 
 
でもそれで2人はベツレヘムに向かい、
ちょうどそこにいたとき
イエスさまが生まれたのです。
 
 
 
神さまは、
神さまを信じていない人も、
神さまが何をしようとしているか知らない人も
ご自分の働きを進めるために
用いることができる方。
 
 
 
はぁー? なんで今?
と思うようなあり得ないこと、
意味がないように見えること、
それは困ったなと思うこと、
それは必ずしも
神さまが働いていないしるしではありません。
 
 
 
神さまのみわざは今日も進んでいます。

そのためだったら

「主はあわれみを忘れずに、
そのしもべイスラエルを
助けてくださいました。」
(ルカ1:54
 
 
 
“あわれみ”
私たちが今生きている社会では
あまりよく思われていないことば
だと思います。
 
 
 
あわれむということは
自分はだいじょうぶっていうことで、
上から目線だから。
っていうことでしょう。
 
 
 
あわれまれたくない、
というような言葉も耳にします。
言っていることはわからなくもないかな、
という気もします。
 
 
 
でも神さまはちがいます。
だれがなにをしてくれなくても
だいじょうぶだから、
変な言い方かもしれないけど、
どんな時にもあわれむ資格があるお方。
 
 
 
それを上からでイヤだと思うなら、
それが問題のいちばんの中心、かも。
神さまが上にいることがいやだ、
という心こそ、
聖書が言っている罪そのものだから。
 
 
 
それでも神さまは、
だったら勝手にすれば? とは言いません。
そういう心を持っている人のことも、
いつでもあわれんでくれています。
心配してくれているのです。
 
 
 
その心を捨てて、
神さまのもとに帰るように。
そうしないと大変なことになるよ。
そのためだったら何でもするよ。
 
 
 
どんなに人が耳を傾けなくても、
無視しても、あきらめない。
いつまでもどこまでも
手をさし出して、
人がにぎり返すのを待っている。
 
 
 
あわれみを忘れない。
だから
イエスさまを送ってくれたのです。

おことばどおりって?

「あなたのおことばどおり、
この身になりますように。」
(ルカ1:38



いったいどういうことになっているか
さっぱりわからなかったけれど、
神さまのみことばを受け入れて
救い主の母になったマリア。



だから私たちもみことばどおりに、
と言われるけれど、
それは実際どうすることなんでしょう?



教会の先生が言ったとおり?
親がクリスチャンなら、
親が言ったとおり?



自分では聖書がよく読めない
というときには、
そういう形もあるでしょう。



でも高校生以上になったら、
自分で読むことが大切。
人から聞いただけでは、
部分的に強調されてかたよっていたり、
聞いた自分が思い込んでいたり、
することがあるからです。



きっとこんな感じ、どうせこんな感じ、
みたいな
かたよったり思い込んだりした情報を
もとにしていたのでは、
きちんと判断することができません。



ちゃんと読めば、
神さまが言われることは
たった一つのユニークなたましいである
自分のことをほんとうに大切に思っている
からこそなのだとわかります。



神さまが語る時には必ず意味がある。
これは自分に言っているのかな?
という思いが与えられた時は
神さまが何かを伝えようとしているとき。



マリアは救い主の母になりました。
私たちは?
わからないけれど、
みことばに従ったときには
神さまだけがくれる祝福が必ずあります。

システムわかんないけど

「聖霊があなたの上に臨み、
いと高き方の力があなたをおおいます。
…神にとって不可能なことは
何もありません。」
(ルカ1:35,37
 
 
 
マニュアル車とオートマ車。
今はほとんどがオートマですね。
 
 
 
マニュアル車を運転するときは
クラッチペダルを踏んでギアを合わせ、
スピードが出たらギアを上げていく。
運転する人が一つ一つ全部やります。
 
 
 
でもオートマ車は、
そこらへんを全部システムがやってくれる。
クラッチもギアも知らなくても、
アクセルを踏めば走る。
 
 
 
どういうことになっているか
システムがわかるまでは乗らない、
なんて言う人はいない。
 
 
 
もしそんなことを言う人がいたら、
はぁ? ごちゃごちゃ言ってないで
さっさと乗れば?
って言いたくなりますよね。
 
 
 
システムがわからなくても
メーカーを信頼しているから
ちゃんと動くかなんて疑いません。
 
 
 
イエスさまが処女から生まれた。
そんなことあり得ない。
どうしてそんなことになるか
わからないから信じない。
と言う人がたくさんいます。
 
 
 
でもそのイエスさまが
確かに生れて救いの道を開いてくれた。
聖書に書いてあるとおりにすれば
ちゃんと救われる。
心が変わることが自分でわかる。
 
 
 
だったら、そのとおりにして
救いをもらった方がいい。
システムは神さまが完璧に作ってくれている。
私たちはなんでそうなるか知らなくても、
そのとおりにすればいい。
 
 
 
そのとおりにする。
それが信仰です。

その時がきたら

「しかし時が満ちて、
神はご自分の御子を、
女から生まれた者、律法の下にある者
として遣わされました。」
(ガラテヤ4:4
 
 
 
クリスマスによく飾るポインセチア。
鮮やかな赤と緑の葉が
クリスマスらしい雰囲気を
かもし出してくれます。
 
 
 
ポインセチアが赤くなるには
日が当たらない暗い時間が
12時間以上ある日が
40日以上続くことが必要。
 
 
 
自然に放っておくと
赤くなるのは年明けだから、
クリスマスに赤くなっているポインセチアは、
9月頃から段ボールをかぶせたりして
人工的に暗い状態を作る
「短日処理」というのをしているそうです。
 
 
 
12時間×40日の暗い時間。
その条件さえ整えば、
必ずちゃんと赤くなってくれる。
 
 
 
でもその時間がたたなければ
どんなにあせっても✖
ポインセチアに組み込まれている時計
神さまが組み込んだ時計です。
 
 
 
神さまが働くとき
とても重要な役割をする時間。
イエスさまのお誕生も、
「時が満ち」て起こりました。
 
 
 
現代の目で見ても、
いろんな条件が整った
ベストなタイミングだった
ということがわかっています。
 
 
 
時が満ちたら
神さまの働きはちゃんと成る。
私たちはその時が来ることを信じて
あせらずに待っていればいいのです。