ふりじゃなく
「その主権は増し加わり、
その平和は限りなく、…。」
(イザヤ9:7)
人の世界で「君主の力が増し加わる」
って聞くと、
あんまりいいことは起こらない予感がする。
どちらかと言えば
自由にものを言えない雰囲気や、
逆らったときのこわさの方のイメージが
強い感じ。
それは国でも、会社でも、
学校のクラスという集まりでも
この世で“宗教”と言われている集合体でも
同じ。
歴史を見ると、
キリスト教会でさえそうでした😞。
人は力を持つと、
自分のすることに口を出させないように
高圧的な態度を取ったり、
逆らったらどうなるかわかってるよね、と
おどかしを使うことが多いのです。
そして
自分が代わって支配したいと思う人や、
言いなりになるなんていやだと思う人たちと
権力争いが起こる。
それは平和とはほど遠い姿です。
でも私たちの救いのために生まれる‟君”の
主権は、増し加われば加わるほど
平和が実現していく不思議な主権。
この方が治めてくれれば
一人ひとりの心の中に、
この方が治めている人どうしの間に、
平和が広がる。
‟ふり”じゃなくほんとの平和。
それがどのくらい広がっているか。
それが、この救い主に
どれくらい治めてもらっているかの
しるしなのです。
ほんとうによかった?
「あなたがたの目は
見ているから幸いです。」
(マタイ13:16)
クリスマスにイエスさまが
生まれてくれたので、
罪の暗闇の世界に光がさし込みました。
今まで見えなかったものが
見えるようになる。
とってもすばらしいことです。
でもここが人間の複雑&素直じゃないところ。
見えるようになるのを
必ずしも喜ばない人がいる。
暗いままで見えない方が都合がいい人も
いるのです。
せっかく光がさしても、
見ようとしない人もいる。
明るい光がさし込んでいるのに、
目を開けようとせず、
自分から光のささない陰に入りこみ、
暗い暗いと言っているのは
あまりにももったいないと思いませんか?
イエスさまが
神としてのあり方を捨ててまで
持ってきてくれた光。
心の目を開いてその光を通して見るなら、
何がほんとうに大切なことで、
そのためにはどうすればいいか、
はっきりと見えるようになる。
その光は
私たちの心に永遠に生きられるいのちを
与えてくれる光です。
見えるようになってよかった。
心からそう言える私たちでありますように。
そのために来たんだよ
「罪を行っている者はみな、
罪の奴隷です。…ですから、
子があなたを自由にするなら、
あなたがたはほんとうに
自由になるのです。」
(ヨハネ8:34,36)
今の私たちにとっては
歴史の教科書の中でしか見ないことばだけど、
権利も自由もなく、
主人の所有物として取り扱われ、
全面的に支配されて服従させられる。
それが奴隷。
奴隷は、自分の力では
決して自由になることができません。
こんなのいやだとどんなに思っても、
どうすることもできない。
自由になる方法があるとしたらたった一つ。
だれかがお金を出して買い取ってくれて、
その人が自由にしてあげる、
って言ってくれること。
罪を心に持っている人は
罪の奴隷なんだよ。
とイエスさまは言いました。
心の中からわいてくる思いや、
その思いが引き起こす行動が
よくないとわかっていても、
自分では止めることができません。
一生しばられて言いなりにされ、
死んだ後もさばきと滅びに引きずり込まれる。
それが罪を持っている、ということ。
だから私たちを買い取るお金を払うために
イエスさまは生まれてくれました。
私を買い取るお金を払えるのは
イエスさまだけ。
だから自由になりたかったら、
イエスさまにお願いするしかありません。
でもお願いすれば、
だれにでもいつでもすぐに払ってくれる。
「わたしはそのために来たんだよ。
よく頼んでくれたね。
喜んで払うよ。」と言ってくれるのです。
もうそこにある
「闇の中を歩んでいた民は
大きな光を見る。」
(イザヤ9:2)
イエスさまのお誕生を待ち望む
アドベントのシーズン。
2017年のクリスマスが
ついこの間だったような気がするけれど、
ほんとに早いですね!
人が罪におちいった時から、
神さまは救いの道を与えることを
約束してくれていました。
いつか救い主が来る!
旧約聖書の時代の人たちは、
ずっと長い間
救い主が生まれるのを待っていました。
ずっとずっと、ひたすら待っていました。
救い主。それは、
罪のせいで暗くなってしまった心の
暗やみを追い払ってくれる光。
死の陰におびえている心に
希望を与えてくれる光。
待っていたけど
それを目にしないで生涯を閉じた
たくさんの人たちがいました。
でも今、私たちにとって、
救い主の誕生は
「いつか起こること」ではなく
「もうすでに起こった」事実。
いつなんだろう、
と待つ必要はありません。
ほしいと思えばいつでも手にできる。
もうそこにある。
ほんとうに感謝ですね!
目をそらさず
「ぶどう酒がなくなると、
母はイエスに向かって
『ぶどう酒がありません』と言った。」
(ヨハネ2:3)
自分の足りないところ。
自分が弱いところ。
自分が持っていないもの。
私たちは自分で
うすうす知っています。
でも、それをだれかに
はっきり指摘されたり、
自分の口で
言わなければならなかったりするのは、
あまりうれしくない。
それで怒っちゃう人も
たくさんいますね。
図星は人を怒らせる。
認めたくないからです。
ほんとのことをどう受けとめるか。
認めるか。
これは自分にとっても人との関係にとっても
けっこう大事なポイント。
相手が神さまでも、
私たちは同じことをしてしまうことが
けっこうあると思います。
ほんとうはだいじょうぶじゃないのに、
だいじょうぶです。自分でなんとかできます。
と言ってしまう。
ないものはない。
できないことはできない。
自分の今の状態から目をそらさずに、
それを口に出して神さまにちゃんと言う。
神さまの助けはそこから始まります。
まず神さまにちゃんと言いましょう。
持っていませんね。と言われたとき
そうです。と言う。
それがへりくだるということ。
そして神さまの助けは
へりくだる人に与えられるのです。