真に受けてだいじょうぶ

「…神の子キリスト・イエスは、
『はい』と同時に『いいえ』
であるような方ではありません。
この方においては、
『はい』だけがあるのです。」
(Ⅱコリント1:19
 
 
 
京都で「ぶぶ漬け(お茶漬け)でも
どうどすか(どうですか)?」
と言われたら、それは
「そろそろお帰りください」という意味らしい。
…こんなこと、聞いたことありますか?
 
 
 
なのに、これを真に受けて、
「それでは、いただきます」なんて言ったら、
それこそ空気読めない人に
なってしまうらしいです。
 
 
 
大人同士の会話で、
「今度ぜひお立ち寄りください」
なんていうのも、
ほんとに来てね、というわけじゃなく、
いわゆる“ご挨拶”。
 
 
 
「ぜひ伺います」と答えている人も
ほんとに行く気はぜんぜんなし。
 
 
 
まったくその気がないことを言い合う。
でもうそをついている
っていうわけではない。
 
 
 
外国から来た人とかには、
ほんとにわかりにくくて
めんどくさいだろうなーと思います。
 
 
 
「ほんとはどっちなの?」
っていちいち空気読むのは
神経使うし、大変です。
 
 
 
でもイエスさまには、
そういうことがいっさいないんだよ。
と言ってるのが今日のみことば。
イエスさまのことばには
裏の意味はありません。
 
 
 
ふだんのおつき合いのクセで、
ついいろいろ考えすぎてしまわないように。
イエスさまが言ったら、
それこそそのまま真に受けてだいじょうぶ。
安心です。

はげんでだいじょうぶ

「ですから、私の愛する兄弟たち。
堅く立って、動かされることなく、
いつも主のわざに励みなさい。
あなたがたは、自分たちの労苦が
主にあって無駄でないことを
知っているのですから。」
(Ⅰコリント15:58
 
 
 
自分の楽しみをけずって、
体もキツいけど、
がんばってバイトしたのに、
バイト代が出ないとわかったら
どうでしょうか。
 
 
 
そんなバカな・・・
あの苦労は一体何だった?
ぼーぜんとしてしまうでしょう。
 
 
 
これがバイトじゃなくて仕事だったら
もっと大変。
現実にそんなことがあったら、
訴訟ものです。
 
 
 
バイト代がもらえると思うから
がんばるモチベーションもでるわけで、
何もないんだったら、
こんなにバカバカしいことはありません。
 
 
 
私たちが神さまのためにとすることは、
この世の中では
あんまり価値あることと認定されないことが
多いです。
 
 
 
あんまり人目につかない陰の働きだったりすると、
世の中どころか教会の人たちでさえ
気がつかなくて、
だれにもほめてもらえない
なんてことがあるかもしれません。
 
 
 
そんな時は、
こんなことやってて
いったい何の意味があるんだろう
っていう疑問がわくかもしれませんね。
 
 
 
でもそれは全部決して無駄じゃない。
必ず私たちのしたことに
ちゃんとふさわしい報い、
私たちが納得できる報いがあるんだよ、
だから心配しないで。
と言っているのが今日のみことば。
 
 
 
それは、イエスさまがよみがえって
最終的に勝利することが
もう決定しているから。
 
 
 
私たちがしていることが
なんの意味もなかった、ということは
決してないのです。
安心して、今日もはげみましょう
 

ネタバレなしで

「イエスはその話をそばで聞き、
会堂司に言われた。
『恐れないで、ただ信じていなさい。』」
(マルコ5:36
 
 
 
本を読むとき、
読み始めてしばらくすると、
どうしても最後が気になってしまって、
最後を先に読んでしまう。
 
 
 
そんなの邪道だ!
という意見も多いでしょうね。
最後を先に読むってことは、
要するにネタバレですから。
 
 
 
まだ読んでない人に
うっかり結論をしゃべっちゃうと、
めちゃくちゃ怒られることもあります。
 
 
 
結論を知って安心して読む。
知らずにハラハラを楽しみながら読む。
あなたはどちら派?
 
 
 
私たちが聖書の物語を読むときには、
言ってみれば、
ネタバレ状態で読んでいます。
最後がどうなったかわかっているのです。
 
 
 
だから、はいはい、うまくいくんでしょ、
みたいな気持ちになる可能性も
あるかもしれません。
 
 
 
でも、その時の登場人物たちにとっては、
まったくちがいます。
この会堂司も、
イエスさまに来てもらおうとしている間に
大事な娘が死んでしまったという知らせが
届きました。
 
 
 
せっかくイエスさまに頼んだのに、
最悪の結果になった?
ように見えます。
 
 
 
そこでイエスさまが言ったのが
今日のみことば。
恐れないで、ただ信じていなさい。
 
 
 
結果がわかってからは、
もう信じる必要がありません。
わからないからこそ信じるのです。
そして、信じていればだいじょうぶなんだよ
とイエスさまは言っているのです。

神さまはうそをつかない

「約束してくださった方は
真実な方ですから、
私たちは動揺しないで、
しっかりと希望を
告白し続けようではありませんか。」
(ヘブル10:23
 
 
 
しばらく前だけど、
郵便屋さんが、
配らなきゃいけない郵便物を配達しないで、
自分が持っている空き家に隠していた、
というニュースがありました。
 
 
 
しかもそれがすごい数で、何と37千通!
いちばん古いものは、
10年も前のものだったというんだから
びっくりです。
 
 
 
郵便という制度は
ふだんとっても信頼されています。
手紙をいったんポストに入れたら、
入れた人にとってはもう着いたも同じ。
 
 
 
届かないことがあるかもしれないなんて
だれも思わないし、
まさか自分が送った手紙を
郵便配達員が捨てちゃうなんて、
想像もしません。
 
 
 
お金を払って切手を貼って出したのに、
もしかしたら着かないかも、
って心配しなきゃならなくなったら
困ってしまいます。
 
 
 
せっかく大きな信頼を得ているのに
それを裏切るというのは
ものすごくもったいないことだと思います。
 
 
 
人の社会では、
まさかと思う人が信頼を裏切ることが
あるけれど、
神さまはそうではありません。
 
 
 
神さまは真実な方。
それは神さまにはうそ偽りがないということ。
神さまが言うことが
適当なその場しのぎの言葉だったり、
ごまかしだったり、
自分を良く思わせようとする見栄だったり、
そういうことは一切ありません。
 
 
 
だから神さまが約束してくれたら、
その約束は必ず実現する。
どこまでも信頼して
希望を持ち続けてだいじょうぶ。
 
 
 
あなたに与えられた
神さまの約束は何ですか?
それも必ず実現します。
希望を持ち続けていきましょう!

よく思い出せばできる

「ある人は『私はパウロにつく』と言い、
別の人は『私はアポロに』
と言っているのであれば、
あなたがたは肉の人であり、
ただの人として歩んでいることに
ならないでしょうか。」
(Ⅰコリント3:4)
 
 
 
学校、会社、サークル、町内会…
人が集まるところには、
なんとなくグループができてくることが
多いです。
 
 
 
ただグループができるだけならいいけれど、
グループ同士が対抗、
となるとやっかい。
 
 
 
同じグループの中でも、
ちょっとでもちがうことは言えない空気が
ただよったり、
リーダーの言うことは絶対
みたいなしばりがかかったりすることも
ありますね。
 
 
 
気が合う人が仲良くすることは、
もちろんいいことです。
楽しみが倍になったり、
刺激し合って高め合ったり
プラス面がたくさんあります。
 
 
 
でも、敵対関係や仲間はずれが
生まれるようなグループ化は、
“分裂、分派”と言って、
それはいけないことだよ、
とみことばは言っているのです。
 
 
 
仲間ではない人とも
なるべく仲間と同じように接する。
それは簡単なことではないかもしれません。
 
 
 
でも少なくとも、耳も傾けない、
別グループだというだけで切り捨てる、
というような態度は
しないようにしたいものです。
 
 
 
なぜなら私たちは、
敵だったのに
神さまに受け入れてもらったから。
 
 
 
神さまがしなさい、と言うときには、
必ず神さまが先にしてくれたことがあります。
それをよく思い出せばできるよ、
と言っているのです。