ぜったい失敗しないので

「神は唯一です。
神と人との仲介者も唯一であり、
それは人としてのキリスト・イエスです。」
(Ⅰテモテ2:5



きのうと同じみことばだけど、
今日は後半の「仲介者も唯一」
っていうところについて。



だれかに何かを頼むとき、
この人が頼めばうまくいく、
っていうこと、ありますよね。



たとえば頼む相手がお父さんだったら、
次女とかが「ねえ、お父さん☆」
と言えば、ほぼまちがいなく大丈夫(*’▽’)



だれに頼めばいいかを知っている
ということは、
物事をうまく進めるコツの一つだと思います。



私たちの心の問題のことを頼む相手は
だれでしょう?
それはイエスさま。
しかもイエスさま以外にはいないんだよ。
と今日のみことばは言っています。



どうしてイエスさまだけなのか?
それは、神さまであり、
同時に人でもあるという存在が、
この世の中にはイエスさましかいないから。



イエスさまはもともと神さまだから、
神さまのことがよくわかる。
同時に人になったので、
私たちのこともよくわかる。



事情がわからない人に仲介を頼んだら、
どうなってしまうかわからない。
とんでもないことになってしまうかもしれません。
それでは困ってしまいます。



その点、イエスさまはどっちのことも
完ぺきにわかっておられる。
だから、お願いしておけば安心です。



しかもイエスさまは
”絶対に失敗しない”仲介者なのです。

本気度を示そう

「この人は、
友だちだからというだけでは、
起きて何かをあげることはしないでしょう。
しかし、友だちのしつこさのゆえなら
起き上がり、
必要なものを何でもあげるでしょう。」
(ルカ11:8
 
 
 
しつこくする?
今を生きる私たちには
ちょっとやりずらいことかもしれません。
 
 
 
なんといっても、
しつこいのはいやがられるし、
へたをするときらわれてしまいます。
 
 
 
一度は言ってみるけど、
だめそうな気配がちょっとでもしたら、
「あ、なんでもない、忘れて!」とか、
「なんちゃって、冗談、冗談」とか、
速攻なかったことにすることが
多いんじゃないでしょうか。
 
 
 
ぐいぐい押したりしたら、
あっという間に引かれてしまう。
 
 
 
だからお互い気配を察しながら
出したり引っ込めたり。
気を使って生活している人がたくさんいます。
 
 
 
そもそもなぜ神さまはそんなに
“しつこい”レベルに求めることを、
要求するの?
 
 
 
それはきっと、私たちの本気度を
ためしているんだと思います。
神さまが知らないからというより、
私たち自身がわかるために
時間をかけている、と言えばいいかな。
 
 
 
だめならまあいいや、と思う程度なの?
それとも、
ほんとにどうしてもしてもらわないと困る
と思ってるの?
 
 
 
ほんとにどうしても必要なら、
ここはがんばりどころ。
神さまはどんなにしつこくしても、
ぜったいに引かないし、
私たちをきらいになったり、いやがったりしない。
 
 
 
だからどこまでも求めて
私たちの本気度を示しましょう!

まずほめたたえてみる

「そこでイエスは、
五つのパンと二匹の魚を取り、
天を見上げ、
それらのゆえに神をほめたたえてそれを裂き、…。」
(ルカ10:16



テストまであと3日だとします。
あと3日はあなたにとって
「あと3日しかない」?
それとも「あと3日はある」?
どっちでしょうか。



これしかない、と思うとき、
私たちの気持ちは
そわそわ落ち着かなくなってしまって
やっていることが頭に入りにくくなり、
だれかや自分を責めたくなり、
そうして心がどんどん縮んでいってしまいます。




正直に言えば私たちはそんなふうに
「しかない」と感じることの方が
多いかもしれません。



お弟子さんたちも、
五つのパンと二匹の魚”しか”ない、
と言いました。



私たちから見たら、
それでほめたたえようとは思わないもの。
でもイエスさまは、
その五つのパンと二匹の魚の”ゆえに”
神さまをほめたたえました。
 
 

そしてそれがたくさんの人がお腹いっぱいになる
神さまのみわざの始まりでした。



私たちも、自分が持っているものを、
わずかでも、小さくても、
それがあることの”ゆえに”
まず神さまをほめたたえてみるというのは
どうでしょうか。



神さまはそこから
みわざを始めてくださいます。



ほめたたえる。
それは、それを用いることができる
神さまへの信仰の表れです。
神さまへの期待の表れです。



私が見たらこれだけ。
でも神さまは、
どのくらい増やしてくれられるんだろう?
楽しみにするくらいの気持ちを持てたらいいですね。



今日はまず神さまをほめたたえて
1
日を始めてみましょう!

人生の信号

「あなたのみおしえを愛する者には
豊かな平安があり
つまずきがありません。」
(詩篇119:165



今回の台風は風がものすごくて
教会も入り口看板が倒れてしまいました。
こういうことがあると、
いつもは見えない空気が確かにあるし、
ものすごい力を持っていることが
よくわかります。



そして停電。
みなさんのおうちはどうだったでしょうか。
教会は結局つくまでに
27
時間くらいかかりました。



この前充電のことを書いて、
まさかすぐにこんなことになるとは
思っていなかったけど、
ほんとに普段どれだけ電気のおかげで
生活しているか、身にしみました。



特に大変だなと思ったのは、
信号が消えていたこと。
それが原因で、
おとといはたくさんの事故があったそうです。



何もないときには、
だれも来ない信号で待つなんて。
なんて、思ったりするけど、
信号があるおかげで
みんなの安全が守られているんだなと
つくづく思いました。



みことばは、
私たちの人生の信号みたい。



みことばがあると窮屈、
と感じることがあるかもしれないけど、
実はみことばを守ることが
私たちの心と永遠を守ってくれるのです。



みことばは、
それでだいじょうぶという青信号、
ちょっと危なくない?という黄色信号、
それはだめ、という赤信号を
出してくれます。



自分は進みたいから、やりたいからと
強引に突き進めば、
どこで事故にあうかわかりません。



そういうことがないように、
どうすれば
罪から、滅びから守られることができるか、
それを教えてくれるのが、みことば。



みことばの光が灯っていることは、
とてもありがたい感謝なことなのです。

ほんとのそのまま

「神は不公平な方ではありませんから
あなたがたの働きや愛を
忘れたりなさいません。」
(ヘブル6:10



次女が生まれたときに、
固く決意しました。
「長女とおんなじに写真を撮る!」



決意どおり、
これは撮らなきゃ、っていう時には
必ず撮ったんだけどね



・・・過ぎてみれば、
だれがどう見ても同じとは言えない結果に。
ごめんね、次女・・



不公平は良くない。
だからなるべく公平に。
人がどんなに決意しても、
本当に公平にするのはなかなかむずかしい。



それは人間が見ることができる範囲が
とても限られているから。
そもそも見える結果だけで判断したら
とても公平とは言えません。



判断する自分の状況
慣れとか好みとかにも
どうしても影響されてしまいます。



人からの評価に
完全な公平を期待するのが
もともと無理なんですね。



でも神さまはかんぺきに公平な方。
見える結果だけじゃなく、
どういう状況で、どういう心でしたのか、
全部わかっています。



そして、それがまわりの人に
評判がよかったかどうかには
まったく左右されず、
私がしたその通りをそのままに
評価してくれます。



どんなに評判がよかったことでも人は時間がたつと忘れていきます。



でも神さまは、その時に「よかったよ」
って言ってくれるだけじゃなく、
私たちが天国に行く時まで
決して忘れないで覚えてくれているのです。



今日私たちがすることも
全部見てくれています。