AI人間、ではない

「どうか皆が語ることを一つにして、
仲間割れせず、同じ心、同じ考えで
一致してください。」
(Ⅰコリント1:10
 
 
 
AI(人工知能)がどんどん発達しています。
AIを搭載したロボットとかCG人間なども
あちこちで見かけます。
 
 
 
今では、お決まりのパターンで
答えるんじゃなく、
AIがこれまでの膨大なデータをもとにして
自分で考えて私たちと会話ができる
っていうんだから、びっくりです。
 
 
 
確かに昔のロボットとかと比べると、
ものすごく賢いんだけれど、
AIロボットやCG人間は
言い方が一本調子だったり、抑揚がなかったりして、
何となく気味が悪い感じがすると思いませんか?
 
 
 
それは、当たり前と言えば当たり前だけど、
AIのロボットやCGはやっぱり表情がうすくて、
人間味に欠けるからでしょう。
 
 
 
クリスチャンが同じ心、同じ考えで一致する
と聞くと、
AI人間みたいにみんなが無表情で
同じことを言うようになれって言ってるの?
と思う人がいるかもしれませんが
そうではありません。
 
 
 
世の中には、そういう方向を目ざしている
“宗教”もあるけれど、明らかに不自然です。
 
 
 
ここで同じ心、同じ考えと言っているのは、
イエスさまの十字架を信じて
自分の罪をゆるしてもらった
っていうポイントがはっきり同じ。っていうこと。
 
 
 
十字架のおかげでゆるしてもらった者どうし。
このポイントが同じであれば、
というより、ここが同じであって初めて、
本当の意味でちがいを認め合いつつ、
心を一つにすることができます。
 
 
 
聖書が言っている意味で
愛し合うこともできるようになるのです。

ぐっと深まる

「イエスは彼を見つめ、
いつくしんで言われた。
『あなたに欠けていることが
一つあります。…』」
(マルコ10:21
 
 
 
体操競技のコーチが
暴力をふるったということで
無期限の登録抹消処分を受けました。
 
 
 
ところが、
そのコーチの指導を受けていた選手は
暴力の事実はあったことを認めた上で、
処分を軽くしてくれるように訴えています。
 
 
 
その厳しい指導は、
特に自分が命にかかわるようなミスをしたときに
行われたもので、
自分のことを考えた指導だった、
だからこれからも指導してほしいというのです。
 
 
 
録音したら同じことば、録画したら同じ行動
であっても、
それを言う人・言われる人
する人・される人がどういう関係かによって、
まったくちがうものになる。
 
 
 
あなたはそれがちがうということが
わかりますか?
 
 
 
そのちがいを生むのは信頼関係だけど、
最近は、それはまったく考慮に入れず、
言葉や行動だけを取り上げて批判し
ただ排除しようとする。
 
 
 
このままだと、
当たり障りのないうわべだけの人間関係が
どんどん広まっていくでしょう。
 
 
 
傷つけられないかもしれないけれど、
成長は少なくなり、
関係もとてもうすく寂しいものになることは
まちがいありません。
 
 
 
イエスさまは青年に対して
「あなたに欠けたことがあります」
と言いました。
それはイエスさまがこの青年を
“いつくしんで”いたからこそ言ったことでした。
 
 
 
ほんとにいつくしんでるから注意する。
神さまは必ずそうです。
それがわかると神さまとのつながりも
ぐっと深まります。

見極め力

「私にはあなたの戒めがあり、
見極めができます。
それゆえ、私は偽りの道を
ことごとく憎みます。」
(詩篇119:104
 
 
 
イミテーションやフェイク。
お花とか宝石とかいろいろあるけれど、
今はほんとうによくできていて、
造花にお水をあげてしまった、
なんていう話も聞きます。
 
 
 
本物じゃなかったからって、
それほど困らないものもあるし、
本物は高いから、知っててフェイクで、
っていうこともあるでしょう。
 
 
 
でも、実害をもたらすフェイクもあるから
要注意。
たとえばサイトやメール。
かなりうまくできているらしいです。
 
 
 
本物と思い込んで
払う必要がないお金を払ってしまったり、
クレジット番号やパスワードを教えてしまったり、
なんてことになったら大変。
 
 
 
いかにも偽物ならだれもまちがえない。
でも、あまりによくできているから、
引っかかってしまいます。
 
 
 
そこでためされるのが私たちの見極める力。
ぜひ気をつけたいものです。
 
 
 
クリスチャンとして歩んでいるときにも、
黒か白ならすぐわかるけれど、
グレーのとき、
やっぱり見極める力がためされます。
 
 
 
いかにも本物っぽい偽りの道に
迷いこまないように守ってくれるのは
神さまの戒め、つまりみことば。
 
 
 
見極め力は、自分を守る力。
しっかりみことばに親しんで、
みがいていきましょう。

神さまのミラクル

「あなたこそ 私の内臓を造り
母の胎の内で私を組み立てられた方です。」
(詩篇139:13
 
 
 
内臓と言えば体の中のいろんな器官のこと。
あなたは、必ず持っていると思うし、
私も持っているはず。・・・はず?
そう。だって、見たことないもの。
 
 
 
自分の内臓を直接見たことある人は
たぶんいないよね。
もし「あるよ」って言う人がいたとしたら、
事故か病気か、
とにかくものすごい大変なことになった人
っていうことでしょう。
 
 
 
見たことはないけれど、
体がいろいろちゃんと動いてるところを見ると、
どうやら自分にもあるべきものは
そろっているらしい。
正確に言えば、これがほんとうのところ。
 
 
 
人のからだはうまくできています。
いろんな臓器がそれぞれの役割を果たして
全体がうまくまわるようにできている。
 
 
 
これを機械でやろうとすると、
たった一つの臓器だけでも
ものすごい大事(おおごと)になってしまうらしい。
 
 
 
それがこの狭い体の中に
全部ちゃんと収まっている。
よく考えるとほんとうにすごいことです。
 
 
 
それは決して偶然のことじゃなく、
神さまがしたことなんだよ、
と聖書は言っています。
 
 
 
一つの受精卵が分裂して増えるうちに
あれは心臓になり、これは骨になる。
なんで? 考えてもだれもわからない。
神さまのミラクル。
 
 
 
そんなミラクルを
私たちはみんな持っているのです。