心と生活の重り

「彼の容貌や背の高さを見てはならない。
わたしは彼を退けている。
人が見るようには見ないからだ。
人はうわべを見るが、主は心を見る。」
(Ⅰサムエル16:7


だれも自分の気持ちをわかってくれない。
こんなに悲しくて、苦しくて、つらいのに。
自分の大変さをわかってほしいとき、
私たちはそう思います。


わかってもらえないと感じるときは、
自分の心を相手に見せてやりたい、
そうしたらわかるはずなのに。
って思うかも。


見せたいところだけ見せられれば
それもいいかもね。
でももし自分の心が奥底まで

全部人に見えちゃったらどうなんだろう。



心の中には人に見られたら困るものも
きっとたくさんある。
自分が見たくないものもあるかも。
だから人には見えないことで私たちは
逆に助かっているのでは? と思います。



いい意味でも悪い意味でも、
人はうわべしか見られない。
だから、人の評価はうわべによって
左右される。


すべてを見ることができるのは神さまだけ。
神さまの評価は
うわべによって左右されることがありません。


神さまはちゃんと全部を見ていて、
人がわかってくれないことも
全部わかってくれる。
人が認めてくれないことも
ちゃんと認めて評価してくれます。


人に知られたら困る醜いこと、
汚いこと、冷たいことは
神さまだけが解決できる力を持っていて、
きっちり解決してくれます。



神さまが見ててくれる。っていう事実は
心と生活の重りになって、
うわべしか見られない人の評価に
一喜一憂してふり回されることから
守ってくれるのです。

愛のオファー

「あなたの神、主は、
あなたのただ中にあって
救いの勇士だ。
主はあなたのことを大いに喜び、
その愛によってあなたに安らぎを与え、
高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」
(ゼパニヤ3:17
 
 
 
何をかん違いしたか、一方的に怒って、
「お前なんかとはもう絶交だ!」
と捨て台詞を吐いて去って行った人が
困っている。あなたはどうしますか。
 
 
 
当然の罰だから少しは困ればいい、
いい気味だ、と知らん顔?
いい気味とまでは思わないけど、
自分に助ける義務はないと思う?
 
 
 
向こうから謝って助けを求めてきたら、
助けてあげてもいいかな、と思う?
 
 
 
それとも自分の方から
何か自分にできることはないかと
声をかける?
 
 
 
「こうすべき」っていう正解じゃなく、
正直に考えてみてください。
 
 
 
私たちは神さまにとって、
そういう存在でした。
何もしてくれなかったとしても
文句は言えなかったのです。
 
 
 
でも神さまは、
自分の方から助けてあげようかと
声をかけてくれました。
考えられないくらいものすごい
愛のオファーです。
 
 
 
自分から突っ込んで抜けだせなくなった
罪の泥沼から救い出してくれました。
 
 
 
救ってあげたんだからもういいよね、
ではなく、
私たちの小さく狭い心の中に
住んでくれました。
 
 
 
それだけじゃなく、
私たちのことを大いに喜んでくれています。
その証拠に高らかに歌を
歌ってくれているのです。

口に出して言ってみよう

「私は主に申し上げよう。
『私の避け所、私の砦、
私が信頼する私の神』と。」
(詩篇91:2
 
 
 
心の中で思うことと、
それをはっきり口にして言うこと。
それはまったく別の話であることが
多いです。
 
 
 
たとえば、感謝の気持ち。
心の中では感謝している人は多くても、
それを相手にちゃんと伝えている人は
少ないと言った方がいいかもしれません。
 
 
 
特に相手が身近な人であるほど、
改まってそんなこと、言いにくい、
ということがあったりします。
 
 
 
言葉にしなくたって、
わかってくれるはず。
って自分に都合よく考えたり。
 
 
 
どうしてなかなか口にできないんだろう?
口にしてしまったら
決定的になって後戻りできないから?
 
 
 
そう考えると、
口にすることで、
あいまいにしようとしている自分が
後戻りできないようにする、
という方法もありかな、と思います。
 
 
 
この詩篇のように神さまに向かって
「あなたは私の避け所、砦、
私が信頼している私の神さまです」
ってちゃんと言ったこと、ありますか?
 
 
 
私の心は
神さまがだれよりもわかってるはず。
 
 
 
確かにそうだけど、
その信頼を自分の口でちゃんと言う、
時には自分の耳で聞こえるように
声に出してはっきりと。
 
 
 
これ、意外と大事で、
そうやって告白することは、
自分が心を定めるのを助けてくれます。
 
 
 
ぜひ今、口に出して言ってみましょう。
「あなたは
私が信頼している私の神さまです」

最強のサポーター

「同じように御霊も、
弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは、何をどう祈ったらよいか
分からないのですが、
御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、
とりなしてくださるのです。」
(ローマ8:26
 
 
 
お祈りにはすごいパワーがある。
私たちがいつも
教えてもらっていることですね。
 
 
 
お祈りしていたら起こった
すばらしい出来事や奇跡の数々を聞くと、
すごいなーと思います。
 
 
 
でも、じゃあ自分も?となると、
そこにはちょっとした壁があるように感じる、
という人、
少なくないのではないでしょうか。
 
 
 
お祈りはしているけれど、
あれとこれを祈ったらあっという間に終わり。
30分お祈りするなんて、
とてもじゃないけどムリ・・・。
 
 
 
だれでもできる、
ある意味では簡単なのがお祈り。
でもいざ力をこめて
大きな課題のために祈ろうとすると
とてもむずかしく感じるのもお祈り。
 
 
 
あの有名なパウロ先生でさえ、
「何をどう祈ったらよいか
分からない」と言っています。
 
 
 
やればいいことがわかっていても、
それができない。
そんな弱さを持っている私たち。
 
 
 
でも、そこを助けてくれる方がいる。
それが御霊の神さまです。
 
 
 
御霊の神さまは最強のサポーター。
お祈りするのがむずかしいなと思うとき、
「御霊の神さま、私の祈りを助けてください」
とまず祈ってみましょう。

生き返らせてくれる

「主はわたしを青草の原に休ませ、
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。」
(詩篇23:2,3 新共同訳)


夏も終わりに近づき、
やっと涼しくなってきました。


これからの時期は、
暑かったときの疲れが
まとまって出てきたりするので
気をつけましょう。


自分が持っている体力や気力は、
底なしではありません。
キャパオーバーで使いすぎると
うまく動かなくなってしまいます。


自分のキャパはどれくらいか。
使い切って倒れてしまう前に上手に充電。
持続可能。大事です。


体ならゆっくり睡眠やスタミナがつく食事。
気持ちなら、好きな音楽を聴いたり、
気分転換にお出かけ。・・・


といっても、自分が直接
パワーをチャージできるわけじゃない。
回復する力は神さまがくれたもの。
私たちができるのは
その回復力がうまく働くための手助けです。


私たちのも弱ることがあります。
生き返らせてくれる、
って書いてあるということは、
魂が死んだような状態になるのを
この詩篇を読んだダビデも何度も経験したのでしょう。


その回復のためには
羊が羊飼いにまかせてついて行くように、
神さまについて行くことだよ、
とダビデは言いました。


神さまといっしょにいる。
それが、体にとっての睡眠や食事、
心にとっての気分転換のように、
魂の回復のための手助け。


そうすると神さまが
回復する力を与え、
生き返らせてくれるのです。