心にも栄養補給
「何を見張るよりも、
あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれから湧く。」
(箴言4:23)
地方から関東に上京して
ひとり暮らしをしていた学生さんが
亡くなりました。
原因は何と、栄養失調…!
その学生さんは、自炊するのが面倒で、
でも、毎食レストランに入るお金もないし、
すべての食事を
カップラーメンですませてたんだって。
カップラーメンと言えば
ほとんどが炭水化物と油。
タンパク質やビタミンは、ほぼゼロ。
栄養失調っていうと、
食べる物がないからというイメージがあるけれど、
お腹はすいていなくても、
なる可能性がある。っていうことですね。
ただお腹をいっぱいにするだけじゃなくて、
バランスはどうかをちょっとは考える。
自分でご飯を準備している人は、
特に気をつけてくださいね。
体だけじゃなく、心についても、
どうにかなるでしょ、って放っておかないで
ちょっとでも(ほんとはちゃんと)
考えることがとても大事。
何も考えないで何となく過ごしても、
毎日は過ぎていく。
でも、あまりに放置していると
心も栄養失調になってしまう可能性あり。
そうならないための心の栄養、
どこで補給できるでしょうか?
それは、神さまから。
この世のものだけで満たせると考えるのは、
カップラーメンだけで生きていける
と考えるようなもの。
“自分”という存在の核である心を大切に。
そのために、栄養補給、忘れずに。
神さまにしっかりつながりましょう。
いちばんかんじんなもの
「主は私の光 私の救い。
だれを私は恐れよう。
主は私のいのちの砦。
だれを私は怖がろう。」
(詩篇27:1)
光と救いといのち。
これがなかったら私たちは
生きていくことができません。
なかったら
生きていくことができないんだけれど、
どれも自分では手に入れることができないし、
自分ではどうにもできないものばかり。
そして、だれか他人が奪うことも
できないものばかり。
それはぜんぶ、
もともと神さまが持っていて、
私たちにくれたものです。
え、でも殺されたら?
うーん、確かに奪ったように見えるけど、
人が殺すことができるのは、
体のいのちだけ。
永遠に残るたましいのいのちは
やっぱり神さまの手の中にあるもの。
だから、いちばんかんじんなものを
どうすることもできない人を
恐れたり怖がったりしなくてもいいよね。
今日のみことばは
そう言っているのです。
でも、だいじょうぶなんだよね
「どうか、希望の神が、
信仰によるすべての喜びと平安で
あなたがたを満たし、
聖霊の力によって
希望にあふれさせてくださいますように。」
(ローマ15:13)
喜び、平安、希望、
いらないと思う人はいないでしょう。
だれでも、あったらいいな~
と思うものだと思います。
どんな時にもうれしくて、
何があっても心配にならなくて、
いつでも前向きで落ち込んだりしない。…
だけど毎日の生活の中では
そういうわけにいかないことが
たくさんある。
だから、神さまが喜びや平安や希望をくれるって、
「そういうことになってます」
っていうただのきれいな言葉なの?
って思いたくなるかも。
そういう時にチェックしたいことは、
自分が神さまを信じてる、
って、何を信じてるのかな?ってこと。
喜びや平安や希望のもとになる信仰は、
ただ神さまがいることを信じる
っていうだけの信仰。ではないんだね。
持ってたままじゃほんとにヤバい罪が
自分にあることがわかること。
(ない人はだれもいない)
それを神さまがゆるしてくれこと。
そのために十字架で
イエスさまがいのちを捨ててくれたこと。
そのことを信じて受け入れる信仰です。
それがほんとうにわかると、
毎日の生活には悲しいことや
心配したくなることがたくさんあり、
将来がよくなるとはとても思えない社会に
生きていても、
「でも、だいじょうぶなんだよね」
っていう不思議な納得を
心の底に持つことができるのです。
愛してるからあきらめない
「永遠の愛をもって、
わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに
真実の愛を尽くし続けた。」
(エレミヤ31:3)
健康診断、うけていますか?
血液検査や尿検査、
心電図、胸のレントゲン…
ざっとだけど、全体に問題がないか見てくれます。
もし、あれ?と思うことがあれば、
くわしく検査をしたり、
血圧や血糖値、コレステロール値が高かったら、
食事や生活を改善するように指導があります。
指導があるとめんどくさい、
うるさいと言う人がいるけれど、
その指導はだれのためかと言えば
私たちのため。
病気になって苦しんだって知らないし、
それで死んじゃったって知らない。
どうでもいい、と思えば、
指導する必要もありません。
なかなか耳を傾けない人に言うのは、
エネルギーが要るし、
相手のことをほんとうに思う気持ちがなければ
気力もなくなってしまいます。
この時、イスラエルの人たちは
自分たちの罪のために
バビロンという国に滅ぼされることが
決まっていました。
神さまがそうされたのです。
でも神さまは
「永遠の愛をもってあなたを愛した」
と言っている。
愛してるなら滅ぼさなければいいのでは?
と思うかもしれないけど、
もし神さまが罪を見逃したら
イスラエルの人たちは罪を犯し続けたでしょう。
一度国を滅ぼしてでも
罪を何とかやめさせたい。
神さまの愛はそこまで強くほんものでした。
私たちのためなら決してあきらめない。
どこまでいっても言い続けてくれる。
今も同じ愛で
私たちを愛し続けてくれているのです。
人生のコンパス
「私はいつも 主を前にしています。
主が私の右におられるので、
私は揺るがされることがありません。」
(詩篇16:8)
方位磁石(コンパス)。
丸い枠の中に揺れる針があって、
どこに置いても
赤く塗ってある“N”は必ず北をさします。
私たちが普段の生活で使うことは
ほとんどないけれど、
山登りをする人たちや
何も目印がない海を航海する人たちにとっては
なくてはならない必需品。
自分がいる位置をちゃんと知るために、
向かおうとしている目的地の方向を
知るために、
コンパスはとても役に立ちます。
変わらない基準。
それは私たちがもともとは持っていないものだから、
迷わないためにはどうしても必要。
そして、ぜったいに確かなものじゃなければ
困ります。
神さまをいつも前に置く。
それは、私たちの人生のためのコンパスを
持っているようなもの。
いつでも決してまちがうことなく
正しい方向をさし示して、
私たちが迷ったり、
そのまま遭難してしまったりしないように
導き守ってくれます。
大事なことは
このコンパスをちゃんと自分の前に置くこと。
いつでも見えるように。
後ろに置いたり、棚の上にあげたり、
持ち物の中に突っ込んじゃったりしてると、
迷ってしまうかもしれません。