天国の口座
「私が求めているのは、
あなたがたの霊的な口座に
加えられていく実なのです。」
(ピリピ4:17)
貯金、していますか?
お金をどう使うか、どうためるかについて、
考え方は人それぞれ。
お金はもちろん使うためにあるものだし、
ただためることが目的になったら
あんまり意味がない。
でもいざという時のために、
少しはあった方がいいんじゃないかな、
と思います。
貯金をするためにはまず
どこかの銀行などに口座を開設。
口座ができれば、
あとは毎月少しずつでもためていけば、
この世界の必要に役に立ちます。
今日のみことばによると、
同じ口座でも「霊的な口座」っていうのもあるみたい。
これは別の言い方をすれば、
天国の口座、っていうことになるでしょう。
この口座にためた「実」は、
魂の世界、私たちが天国に行ったときに
役に立つもの。
そこでは、この地上の口座にためたお金は
なんの役にも立ちません。
そこにためられる実は、
神さまを、人を愛して行うよいわざ。
イエスさまも
「自分のために天に宝をたくわえなさい」
と言いました。
地上の口座だけじゃなく、
天国の口座にも心がけて
少しずつでもたくわえていけるといいですね。
説明書を読もう
「ですから、
信仰は聞くことから始まります。」
(ローマ10:17)
機械でもおもちゃでもいいんだけど、
買って使おうとしたのにうまく動かない。
あれ、どうしたんだろう? 不良品?
買わなきゃよかったな?
ちょっとあせります。
それで説明書を引っぱりだしてよく読んでみると、
こういうやり方だと動かないよ、
っていうところにちゃんと書いてあった。
…なんていうことが(*’▽’)・・・
説明書はやっぱり
最初に読んでおく方がいいね。
神さまを信じる生活がどうもうまくいかない
…そんな時も、信仰の説明書、聖書を
もう一度よく読んでみる。
おかしいな、おかしいな、
ってひっくり返したり、
もう返品しちゃう? なんて考える前に、
まず説明書。
そうすると、
「こういう使い方をすると
動かなくなることがあるよ」
ってちゃんと書いてあることをやっちゃってた、
なんていうことがあるかも。
自分で勝手に
こうなるはず、って思いこんじゃってた、
っていうこともあるかも。
信仰は聞くことから始まります。
何を聞くかと言えば、
もちろんそれはみことば。
みことばがなかったら、
ほんとうの神さまがどんなお方なのかも、
信じることがどんなことかも
わかりません。
どんな時にもみことばに照らし合わせる。
いちばん大事なポイントです。
ものすごいアドバンテージ
「狭い門から入りなさい。」
(マタイ7:13)
昔のバラエティー番組で、
2つ並んだ紙の扉のどっちかを破って
向こう側に飛び込む、というのがありました。
向こう側の片方は
スポンジや風船がしきつめてあるプール。
勢いよく飛び込んでも、無事着地できます。
でももう一方は、
泥のプールだったり小麦粉のプールだったり。
そっちに突っ込んだ人は泥まみれ、粉まみれで
大変なことに。
もし最初から向こう側が見えていたら、
バラエティー的ウケをねらうんでもないかぎり、
わざと泥の方に突っ込むなんてことはしない。
ふつうは当然
安全に着地できる方を選ぶでしょう。
何を言いたいかというと、
狭い門と大きい門だったら、
やっぱりみんなと同じで入りやすい大きい門を
選ぶのが自然なんじゃないの?と考えるのは、
向こう側を知らない人の話だ、ってこと。
道幅が広くてたくさんの人が入っていく
大きい門の向こうに待っているのは滅び。
道が細くて見つける人が少ない狭い門が
通じているのはいのち。
聖書を通してそれぞれの向こう側を
教えてもらってる私たちが
それでもわざわざ大きい門を選んで
突っ込んでいくとしたら、
それこそ普通じゃありません。
バラエティー的にはアリかもしれないけど、
それで自分の永遠を棒にふったら、
それこそシャレにならない。
向こう側を知っているっていうのは、
テストの時に前もって
問題と答えを教えてもらっているようなもの。
これってものすごいアドバンテージです。
せっかくもらったアドバンテージ、
しっかり使いましょう。
目は前に
「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、
目を離さないでいなさい。」
(ヘブル12:2)
自転車や一輪車に乗ったり、
平均台やアスレチックの細い棒をわたったり…
最初はちょっとむずかしいけれど
一度できるようになれば、あとは楽勝☆
大切なのはバランス。
コツはいろいろあると思うけど、
ポイントの一つは
足元じゃなくて前をしっかり見ることかなと思います。
練習し始めは、こわいから、
ついつい足元や、すぐ前ばかりを見てしまいます。
でもそうすると、
視線が下がって、首もうつむきかげん。
体全体も前のめりになって、うまくいきません。
力を抜いて体はまっすぐ、
そして前方をしっかり見られるようになると、
バランスが取れてぐっと上達できます。
私たちの信仰生活にも似たところがあります。
私たちの目は、目の前の問題、自分の弱さ、足りなさ…
に向きがち。
だけどそうしていると、
自転車を練習し始めたときのように
なかなかうまくいきません。
じゃあ、前方を見るってどうすること?
それは、イエスさまにしっかり目を向けて
イエスさまから目を離さないようにすること。
イエスさまを見上げると、
視線も自然に上がって、
自分が向かう方向全体を見渡して進むことができます。
毎日起こる小さな一つ一つのことに
喜んだり落ち込んだり、
一喜一憂してふり回されることからも守ってくれます。
私ごと運んでくれる
「あなたの重荷を主にゆだねよ。
主があなたを支えてくださる。」
(詩篇55:22)
8月と言えば夏休み☆
キャンプに参加したり旅行したり、
きっといろんな計画があると思います。
泊りがけで出かけるときは
まず荷造り。
必要なものは忘れないように。
でもなるべくコンパクトに。
自家用車なら自分の家の玄関から
荷物を乗せられるけれど、
バスや新幹線、飛行機を使うなら、
駅や空港までは運ばなくちゃなりません。
だから、大きすぎたり
重くなりすぎたりしないように。
でも、預けてしまえばあとは楽チン。
目的地までゆったりです。
新幹線や飛行機に乗っているのに荷物を抱えて
「重い、重い」と言う人はいないし、
そんなことをしていたら変。
もし万一そんな人がいたら
「その荷物はそこに置いたらどうですか?」
って言いたくなるにちがいありません。
私たちが重荷を自分で抱えて
重いと言っているのは、
そうやって乗り物の中で荷物を抱えて
重いって言ってるようなものなんだよ。
とみことばは言っています。
私たちは神さまの御手
っていうどんなものも乗せられる大きい乗り物に
乗っている。
だから、荷物がどんなに大きくて重くても
自分で抱えてる必要はまったくなし。
そこに下ろして預けておけば、
神さまが私ごとちゃんと運んでくれる。
私たちはただ、
おまかせ安心で人生の旅を楽しめばいいのです。