スケールちがいにおっきい

「私たちのうちに働く御力によって、
私たちが願うところ、思うところの
すべてをはるかに超えて行うことのできる方。」
(エペソ3:20


夕方の情報番組で、
地元のおいしいお店を紹介するコーナー。


どういう系のお店だったか忘れたけど、
運ばれてきたお料理を見たMCの一言が
「うわぁ、サンプルよりずっと
すごいですね!」でした。


その時はきっと、
テレビカメラが来るというので、
お店の人もはりきったのかな。
そういうことって、あんまりないよね。


メニューを見ておいしそうだと思って頼んだお料理。
でも実際運ばれてくると
「あれ? 写真とだいぶちがう・・・
お肉ずいぶん少ないし、
色合いもかなり地味だね・・・」
っていうことが多いです。


自分が想像したものと実物がちがう
というのはよくあることだけど、
サンプルよりいい、ってあんまりない。
でも期待がそういうふうに裏切られるのは
なんだかとっても得した気分。


神さまが私たちのためにしてくれること、
私たちにあげようとしてくれているもの、
それは、私たちのイメージ的にはどんなでしょうか。


それほど大したことない、
あるかないかわからないくらい
なんて思ってることが多いかもしれません。


だから、実際に手にしたときは
きっと驚きます。


神さまは私たちに
私たちが願うところ、思うところのすべてを
はるかに超えたことをしてくれるから。


神さまがすることは、いい意味で
私たちの想像をものすごく裏切る、
スケールちがいにおっきいことなんだよ、
とみことばは言っているのです。


信頼するなら必ずしてくれるのです。

とっておきの特別ツール

「ですから、あなたがたに言います。
あなたがた祈り求めるものは何でも、
すでに得たと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。」
(マルコ11:24
 
 
 
幼稚園の子が
「夏休みにディズニーランドに行きたい!」
とパパに言ったとします。
 
 
 
パパが「いいよ☆」って言ったら、
その子は
もうぜったいに行けると信じて疑いません。
目をキラキラさせて
その日を指折り数えて待ちます。
 
 
 
そんな子どもを見たら
パパの方も、ますますぜったいにつれて行かなくちゃ!
と思うでしょう。
 
 
 
子どもはほんとうに素直です。
パパが言ってくれた、っていうことは、
子どもにとってはなによりも確かな保証。
 
 
 
祈り求めるものはすでに得たと信じる
ってどんなことなのか。
それは子どもたちが教えてくれます。
 
 
 
私たちが神さまにお祈りするときは、
どうでしょうか。
 
 
 
そんなふうに信じられたら
どんなにいいだろう・・・
でもやっぱりほんとにだいじょうぶだろうか、
っていう思いの方が強くなってしまう・・・
 
 
 
それがお祈りを始めたときの
正直な私たちの心の姿かもしれない。
だけど、そんなふうにまっすぐ信じる心を
持つのを助けてくれるのも
やっぱりお祈り。
 
 
 
お祈りは神さまがくれた
とっておきの特別ツール。
もっともっと活用しましょう。
 
 
 
お祈りし続けた人に神さまは
思っている以上のすばらしい神さまの答えを
必ず与えてくれます。

どんなときにも間に合う

「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのか。
私の助けは主から来る。
天地を造られたお方から。」
(詩篇121:1,2


どうしてもどうしても必要があって、
どこかから50万円借りなければならないとき、
10
万円しか持っていない人のところに
借りに行くでしょうか。


行きませんね。
どんなに一生懸命たのんだとしても、
足りないということが
わかっているからです。


その人がとっても親切で
困っている自分のことを心配してくれて、
何とかしてあげたいとどんなに思ってくれたとしても
持っていないものを
他の人に与えることはできません。


だから、何かを求めるときには、
求めようとする相手がそれを持っているかどうかを
見きわめることがとても大切。


私たちの主である神さまは、
どんな助けを求めても
「残念だけどそれは持ってないんだよ」
っていうことがありません。


なぜって、
神さまは「天地を造られたお方」だから。
私たちのどんな求めにも
間に合う助けをちゃんと持っています。


このお方に目を上げて、
このお方に助けを求めれば
どんなときにもだいじょうぶ。


今日も私たちが必要なすべての助けは
神さまのところにあります。

リセットはないから

「ですから、あなたがたの確信を
投げ捨ててはいけません。
その確信には大きな報いがあります。」
(ヘブル10:35
 
 
 
むかしガチャガチャで売っていたグッズ、
ブリキ製のおもちゃ、キャラクターのカード…
今も持っていると、
びっくりするような値段がつくことが
あるそうです。
 
 
 
それだけの価値があると知らないで、
今はもう遊ばないから、使わないから、
古いからと捨ててしまったら、
価値がわかったときには
めちゃくちゃ後悔するでしょう。
 
 
 
どうして捨てちゃったんだろう・・・
取っておけばよかった・・・
 
 
 
見えるものでも見えないものでも、
そのものの価値をちゃんと知っておくことは
とても大切です。
 
 
 
私たちが神さまを信じたという確信。
それはやがて大きな報いを与えてくれる、
と聖書は言っています。
 
 
 
その価値がはっきりわかり、
持っているかどうかで決定的にちがってしまうのは
私たちの人生が終わるとき。
またはイエスさまがもう一度来る再臨のとき。
 
 
 
おもちゃやカードなんかだったら、
まあ仕方ないね、ですむけれど、
これはそうはいきません。
 
 
 
今、この世の成功の方に目が向いていると、
その価値がよく見えなくなって、
持ってても持ってなくてもどうでもよくない?
ほとんど役に立たないじゃん?
と思ってしまう可能性があります。
 
 
 
ほんとうは今生きている間も
めちゃくちゃ役に立つものなんだけどね。
 
 
 
だから気をつけてね。
持ってても意味ないもの、と思わないように。
こんなもの、ってポイしちゃわないように。
 
 
 
私たちの人生には
タンマもリセットもないから。

最高で完璧なパスポート

「キリストは…、ご自分の血によって
ただ一度だけ聖所に入り、
永遠の贖いを成し遂げられました。」
(ヘブル9:12
 
 
 
遊園地に行くと、
とりあえず入場料だけ払って中に入り、
アトラクションごとにチケットを買う、
という方法と、
入場料と全部のアトラクションこみこみの
パスポートチケットを買う、
という方法があります。
 
 
 
幕張や大阪にある夢の国は
もはやパスポートしかないみたいだけど…
 
 
 
パスポートがあれば、
これはどうしようかな
っていちいち考えたり迷ったりする必要なし。
 
 
 
こみこみだから、
いったん入ればあとは自由に楽しめます。
一年間いつでもオッケーの
年間パスポートもありますね。
 
 
 
旧約時代のいけにえは、
アトラクションごとにチケットを買うようなもの。
神さまの国のメンバーになっていても、
一つ一つの罪ごとに
動物の血が必要でした。
 
 
 
でもイエスさまの血にあずかった私たちは、
パスポートを持っているようなもの。
それも「永遠の贖い」って書いてあるとおり、
期間の限定がない、どこまでも有効なパスポート。
 
 
 
イエスさまの血は、
人間の罪全部をカバーしているから、
これはどうかな、あれはどうかな、
っていちいち心配する必要がまったくありません。
 
 
 
「もう払ってあります」
ってどこに行っても胸を張って
言うことができる。
 
 
 
しかも高いお金を払う必要もなし。
信じるだけでだれでも手に入れられる
最高で完璧なパスポートです。