神さまの“いいね!”

「そうすれば、隠れたところで見ておられる
あなたの父が、
あなたに報いてくださいます。」
(マタイ6:6



「いいね!」って言ってもらうとうれしい☆
それはだれでもいっしょです。
「いいね!」はまた次がんばろう
っていう励みになります。



みんなが
人がしているちょっとしたことに気づいて、
いいね!って心から言い合えたら、
きっとおたがいに気持ちよく過ごせるでしょう。



「だけど、いいね!を言ってもらうこと自体が
目的になっちゃだめだよ」
とイエスさまは言いました。



何かをするときに、
人にほめてもらうことが
目的になってしまったら・・・?



人が見てる時しかいいことをしない。
だれも気づいてくれないと不機嫌になっちゃう。
ほんとの中身よりも盛って見せるようになって、
時にはうそも混ぜちゃう。



・・・なんてことになってしまうでしょう。
「いいね!」をもらうために
食べない話題商品を買って、
写真だけアップして捨てる、
なんてことはしないように気をつけたいもの。



ここでイエスさまが言おうとしたのは、
人が見てたらいいことをしちゃだめだよ、
っていうことではありません。



いいことはどんどん、やっていいのです。
だけど、なんのためにやるのか。
それが大切。



人が見ててくれるかどうか、
ほめてくれるかどうか、に関係なく、
心をこめて人のために、神さまのためにする。



それを
神さまはちゃ~んと見てるよ。
そして、ちゃ~んと報いてくれるよ。
そう言っているのです。



人のほめ言葉など、その場限り。
すぐ過ぎ去ってあっという間に忘れられてしまいます。
でも神さまのほめことばは、
天に積んだ宝として永遠に残るのです。

あれ?…でもだいじょうぶ!

「アブラムはその地を通って、
シェケムの場所、モレの樫の木のところまで行った。
当時、その地にはカナン人がいた。
主はアブラムに現れて言われた。
『わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。』」
(創世記12:6,7



受験勉強とか、ダイエットとか、
少し長いスパンで目標を立てたことに取り組むとき、
始めてすぐには
なかなか成果が見えてこないことがあります。



思ったように点数がのびない…
期待したほど体重が減ってなかった…
そんなときはちょっとがっかりしますね。



でも、大事なのはそこでめげないこと。
長いスパンの目標を目ざすときには、
とにかくやり続けていくことが大切です。



ゴール地点をしっかり頭に入れて、
そこに向かって継続あるのみ!



クリスチャンの生活も同じです。
アブラムは神さまに
「わたしが示す地に行きなさい」
と言われたから来たのに、
そこにはカナン人が。



あれ? どういうこと?
このままじゃあ、自分たちは住めないよね?



今見えるところだけで判断したら、
神さまが言ってることなんて、
実現不可能なんじゃないの?
手に入らないんじゃないの?
って思えるようなことがあるかもしれません。



でも神さまはくれるって約束したものは
必ずくれる!
だからそこでやめてしまわないで
やり続ける、信じ続けることが大事。



アブラムは祭壇を築いて
見えるところよりも、約束してくれた神さまに
心を向けて礼拝しました。
それはこれからもあなたを信じていきます、
っていう意志表明。



私たちも、今見えるところで
もうできない、って思ってしまわずに、
これからも信じていきますから
よろしくお願いします。
と神さまにはっきり言いましょう。



神さまは、はっきり信頼する人に
はっきり答えてくれるお方です。

祝福となる

「あなたは祝福となりなさい。」
(創世記12:2



このままだと、
あと10年しか生きられませんよ。
脂っこいものはなるべく避けて野菜をたくさん食べましょう。
すぐ車に乗らないで、近い買い物は歩いていきましょう。



テレビの中でこんなことを言われている人を
けっこうよく見かけます。



アドバイスをもらって3週間。
もう一度検査してみると、
とてもよくなりましたね!この調子で続けましょう。
って言われる人もいます。



でも、本人は言われた通りやりましたって言ってるのに、
数値がほとんど変わらない。
よく聞いてみると、がまんできなくて
こっそり食べてた。
なんていう人もいます。
ほんとは言われたとおりにしてなかったんだね。



どんなにこうした方がいいよって言ってもらっても、
それを実行に移すかどうかは
結局本人が決めること。



神さまと私たちの関係も同じ。
神さまは私たちに
「わたしを信じて従いなさい。
そうすれば祝福してあげます」って何度も言っている。
だけどそれを実行に移すかどうかは私が決めること。



「祝福となりなさい」っていう今日のみことば、
なんだかちょっと不思議な感じがする
みことばだけど、
わたしが言っていることを実行しなさい。
っていう意味なんだね。



人は神さまが言ったことをちょっとだけやって、
「どこが祝福なの? よくわからない」
って言いがち。



だけど、ちょっとじゃなくて、あくまでやる。
これが大事。
そうすれば神さまの祝福はぜったいなのだ。
このぜったいは、ほんとのぜったい。

まんま受け取る

「ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、
その日に、大いなる淵の源がことごとく裂け、
天の水門が開かれた。
大雨は四十日四十夜、地に降り続いた。」
(創世記7:11,12
 
 
 
ちょうど一年前、九州北部豪雨がありました。
40人の方々が亡くなり、
今でも2人が行方不明だそうです。
 
 
 
今回も、台風の影響であちこち大雨になり、
北海道とかでだいぶ被害が出たとか。
最近の雨の降り方って、
ほんとに普通じゃありません。
 
 
 
ノアの洪水のところを読んで、
少し前だったら、
雨がふったからって、全部が流されるとか、ある?
って思ったかもしれないけど、
最近よくあるような豪雨がもし40日間続いたら、
あり得る、ってことがよくわかります。
 
 
 
私たちが聖書を読むとき、
これはありそうか、ありえなそうか、
今の自分の“常識”で判断しちゃうことが
けっこうあるかもしれません。
 
 
 
でも、こんなことありえない
って思ったとしたら、
それって、私たちの方が聖書を判断しちゃってる、
つまり自分を聖書より上に置いちゃってる、
ってことなんだね。
 
 
 
神さまを信じるなら、
神さまのことばを信じるのは当然。
 
 
 
だれかを信じてるけど、
言ってることは信じない、って
あり得ない。
 
 
 
ひえ〜〜、ほんとだったらどうしよう、
へえ〜、ほんとだったらすごいね
聖書の中にはいろんなことが書いてある。
 
 
 
でもどれもまるごと受け取って
だいじょうぶなことば。
どのくらいまんま受け取れるかが
かぎなんだね。

もうもどらない~♪

「悔い改めなさい。
天の御国が近づいたから。」
(マタイ4:17


あいさつや演説などで
最初に言うことば、第一声
とても大事です。


そこで何を言うかによって、
よし、このあとも聞こう、っていう気持ちにさせるか、
もういいかな、っていう気持ちにさせるかが
決まることもあります。


だから話す方も、よくよく考えて
第一声を発すると思います。


イエスさまの第一声は、
「悔い改めなさい。」でした。
悔い改めなさい、とは、
神さまを信じる前の生き方をやめなさい。
ということ。


天の御国に入りたいと思うなら、
悔い改めることがまず大事なことです、
という意味です。


具体的に言えば、
いけないと示されたことをおわびして、
やめて、もうしないと決めること。
何より神さまを計算に入れないで
生きてきた生き方から回れ右することです。


それをしないでただ神さまを信じますと
いくら口で言っても、
私たちの心は変わらないし、
新しいいのちをもらうこともできません。


悔い改めることができたら、
そのあと大切なことは、
おわびしてやめたことに戻らないようにすること。


うそついてごめんなさい、
と言った後にまたうそをついたら、
さっきのごめんなさいは何だったのかな?
っていうことになるでしょう。



罪の駅から出て、もうもどらない~
今自分が歩んでいる方向は
悔い改めて回れ右した方向をキープできてるかな?
やめます、と言ったことをまたやっていないかな?
ときどきチェックしましょう。