うまくいってるときは
「レハブアムの王位が確立し、
彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、
彼とともにいた全イスラエルもそうした。」
(Ⅱ歴代12:1)
私たちが神さまに祈り求めるのが簡単なのは、
どんなとき?
それは、困っているとき、
苦しんでいるとき、悩んでいるとき。
じゃあ、神さまに祈り求めるのが
むずかしいのは、どんなとき?
それは、うまくいっているとき、
成功しているとき、
この世の力を手に入れたとき。
困難があるときには、
なんでこんなことが、神さまひどいんじゃないの、
とかなんとか言いながらも
人は神さまに助けを求めます。
でも、望みがかなったとき、
うまくいったときはどうでしょう。
何だか神さまがいなくてもだいじょうぶ
な気がしてくるのです。
ソロモン王さまの息子レハブアムも
そうでした。
そして、国全体も王さまにならってしまいました。
困難があって神さまにつながっているのと
うまくいって神さまから離れるのと、
どっちがいいか。
えっ、この二択なの?と思うかもしれないけど、
このどっちかに入る人が圧倒的に多いんだね。
うまくいって神さまにもつながってる。
それが一番いいに決まってます。
だれでもわかっています。
でも人の心は、それができないくらい
弱いのです。
神さまにつながっていることが
私たちにとって何よりも大切なこと。
だから、うまくいっているときこそ
自分の心を注意深く守る。
神さまがお祈りに答えてくれたことが
神さまから離れるきっかけになったりしたら
だからこそ見つかる宝
「しかし、サマリアを
通って行かなければならなかった。」
(ヨハネ4:4)
自分的にはあんまり行きたくないところ。
そうなったらいやだなと思っているところ。
神さまが守ってくれてたら、
そういうところは通らないですむはず?
もしそう思っちゃってると、
そこを通らなきゃいけないことになったときには、
こんなところを通らされるなんて、
なにか神さまを怒らせるようなことしたっけ。
とか、
神さまは守ってなんかくれないじゃん、
とか、思っちゃうかも。
サマリアは、
イエスさまや弟子たちユダヤ人から見ると、
できるかぎり通りたくないところ、
足を踏み入れないですむなら
自分からは行かないよ。なところでした。
でもこの時は、
なにが理由だったのかよくわからないけど、
そこを通らざるを得なかったらしい。
なんでこのルート?
だけど、そういうところに
お宝が隠れてることもある。
この時は事情アリの女の人に出会って、
サマリアの町の人たちが
たくさんイエスさまを信じました。
自分からは行かない場所。
もし自分にまかされてたら、
その人たちがイエスさまに会うチャンスも
なかったでしょう。
こんなところ来たくなかったのに…
っていうところに連れて行かれたときは、
いやだいやだ、ってうしろ向きに過ごすんじゃんなく、
せっかくだから、
なにを見つけさせてくれるんですか、
ってお祈りしてみましょう。
自分が行きたいところに行ってるだけでは
絶対に見つからない宝。
行かされる。
だからこそ見つかる宝がきっとあります。
いつでも頼みにおいで
「神は、実に、そのひとり子を
お与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、
一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネ3:16)
スマホやパソコンのセキュリティ対策、
してますか?
スマホやパソコンはいつも
ウィルス感染の危険にさらされてて、
しかもその危険度はどんどん大きくなってるんだって。
情報を盗んだり、乗っ取ったり。
自分のものだけど、自分の手に負えなくなっちゃう
可能性があるのです。
こわいよね。
いったん感染しちゃうと、
修復・復元できればラッキーだけど、
二度と使い物にならなくなることだってあり得ます。
だからその対策はもうオプションじゃなくて、
最優先事項。
人の中にある罪は、このウィルスみたい。
しかももうみんな感染しちゃってる。
人の心は罪に乗っ取られて、正常な働きができない、
自分の手にも負えないような状態に
なってしまっているのです。
だからまずは修復・復元作業。
これは、IT機器がほんとに感染したら
専門家にみてもらうしかないみたいに、
神さまにお願いするしかありません。
まずは一日も早くウィルスを除去してもらい、
その後は、二度と感染しないように、
神さまのセキュリティ対策で
しっかりガードしてもらいましょう。
これはオプションじゃなくて、
最優先事項。なぜって、
もし感染したままだったら滅びなきゃならない、
っていうことだから。
神さまはこの難題を解決するために、
何と、ひとり子を与えてくれました。
そして、いつでも頼みにおいで、
って言ってくれているのです。
喜んであげるよ
「人は、新しく生まれなければ、
神の国を見ることはできません。」
(ヨハネ3:3)
赤ちゃんが生まれる。
とっても大きな喜びです。
赤ちゃんが生まれると、
そのいのちは新しいメンバーとして
家族や町や国に認識されます。
メンバーになれば、いろんな権利をもらえるし、
守ってもらうこともできるようになります。
だけどそれは、
ちょっと変な言い方だけど、
その人が生きているからやってもらえること。
いのちが終わったら、
サービスも保護もそこで終わり。
そりゃそうだよね。
神さまの国の恩恵や祝福や保護も、
その国に生まれて
そこに生きてる人だからもらえるもの。
だからそれをもらうためには、
まずそこに生まれていないと。
じゃあ、生まれよう!と言って、
自分で自分のいのちを作り出せる?
それはムリ。
体のいのちも、たましいのいのちも
いのちは全部神さまがくれるから
持つことができるもの。
でも体のいのちとたましいのいのちには
大きなちがいが。
体のいのちは一回きりで、
どこにどう生まれるか、自分では決めらないし、
いつどう終わるかも決められない。
でもたましいのいのちは、
自分でもらおうと決めることができて、
信じている限りはキープ可。
いつでも喜んであげるよ、
って神さまが言ってるこのいのち。
もらって
今もちゃんとキープしてるかな?
心にぴったりストン
「イエスが死人の中からよみがえられたとき、
弟子たちは、
イエスがこのように言われたことを思い起こして、
聖書とイエスが言われたことばを信じた。」
(ヨハネ2:22)
ヨハネの福音書はまだ始まったばかり。
イエスさまはついこの前、
水をぶどう酒に変える、っていう
最初の奇跡をしたばかり。
そこでイエスさまが言ったことを
弟子たちは
イエスさまがよみがえった時に
思い出したって。
…ていうことは、
聞いてからわかるまでに3年以上…?
そんなにかかったのか、とも読めるけど、
3年以上覚えてた、
っていうのは逆にすごい。
私たちも、イエスさまのみことばが、
言われたとき、読んだときには、
なんのことを言ってるのかよくわからない、
ということがあるかもしれません。
でもだからってすぐ捨ててしまわず、
イエスさまが言ったことなら、
わからなくても心に留めておく。
これが大事。
いつかきっと
「あ〜、あのときイエスさまが言ってたのは
このことだったのか!」
ってわかるときが来るから。
そのときの「わかる」は、
読んだり聞いたりして文章の意味を理解した
っていう以上の「わかる」。
頭から心に落ちた、
っていう表現をする人もいるけど、
心にストン、ぴったりおさまるのです。
そうやっておさまったみことばは
簡単には動かされません。