ミラクルの種
「汲んだ給仕の者たちは
それがどこから来たのかを知っていたが、
世話役は知らなかった。」
(ヨハネ2:9)
普通では考えられない不思議なことが起こる
マジック。
ものすごく大仕掛けなものもあるし、
数人でテーブルを囲んでやるようなのもあります。
テレビに出るような人は、
魔法か? っていうくらいほんとに上手。
「おお〜〜!!」っていう歓声が
そのマジックをひときわ盛り上げます。
でもマジックは決して
魔法でも、超能力でもありませんね。
必ず“種”があるのです。
だけど見ている人はそれを知らないので、
まるで魔法のように見えてしまいます。
カナの町の結婚式の世話役さんは、
こんなにおいしいぶどう酒、
今頃になっていったいどこから出てきたの?
とびっくりしました。
世話役さんから見たら、
まさに魔法のようなことだったんです。
でも、汲んだ人たちは
その“種”を知っていました。
それはイエスさまだ、って。
クリスチャンとして生きる生き方は、
イエスさまっていう種をもっている生き方。
マジックにいろんなスケールがあるみたいに、
世界中が仰天するようなスケールから
まわりにいる数人が
こじんまりと喜ぶようなスケールまで
いろいろあるでしょう。
でも、神さまを知らない人から見たら、
どうしてそんなふうにできるんだろう?
って不思議に思える“種”を
私たちは持っているのです。
この種がマジックとちがうのは、
パフォーマンスで見せるためのもの
じゃないってこと。
イエスさまに言われたとおりにすることが、
ミラクルにつながっていくのです。
ちゃんとある
「あなたがたは
何を求めているのですか。」
(ヨハネ1:38)
何を求めているのですか?
っていうイエスさまの質問。
あなたは何と答えますか?
イエスさまを信じてついて行ったら、
なにをもらえるんでしょう。
私たちが住んでいる日本では、
神さまを信じるのはご利益をもらうため。
っていう考えが
深く深くしみわたっています。
神さまを信じたら、得があるはず。
受験は第一志望に合格。
仕事はすべてうまくいって出世コース。
商売ならどんどんもうかる。
病気にならないし、なってもなおる。
信じるのは、とにかく楽をして、
少しでもたくさんのご利益をもらうため。
そういう考え方。
だから、信じてもうまくいかないことがあると、
は、なんで?
じゃあ、信じる意味ないじゃん。
となってしまいます。
私たちは、
イエスさまがくれるのは罪のゆるし、
そして天国に行ける永遠のいのち。
って、信じたときにはわかっていたはず。
でもクリスチャンとして歩んでいるとき
困難にぶつかることがあると、
心の奥からこの考え方が
ふっと顔を出すことがあるかもしれません。
こんなに大変だったら、
神さまを信じてる意味あるのかな?
ちゃんとあります!
「永遠のいのち」は、だれにも必要で、
もってなかったら
いろんなことがうまくいかないよりもずっと
ものすごく困るもの。
そしてこのいのちは、
問題課題があってもそこを乗り越えていける力
を与えてくれるのです。
心が伝わる
「初めにことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。」
(ヨハネ1:1)
ことばって、不思議で便利なものです。
ことばがあるから、
自分以外の人に
自分を伝えることができます。
もちろんことばがなくても、
顔色や雰囲気、声のトーンなんかで
なにかうれしいことがあったな、
いやなことがあって悲しんでるな、怒ってるな、
くらいは伝わるでしょう。
でも、なんでそうなのかは、
ことばで言って初めてわかってもらえるのです。
そこにいなかった人にも、
こんなことがあったんだよ、って教えられるし、
明日何をしたいと思ってるかも
知ってもらえます。
ことばは、人と神さまだけが持ってる
とっても特別な便利ツール。
もしことばがなかったら、
ほんとに困ってしまうでしょう。
ことばはもともと神さまの中にあって、
神さまが私たちにくれたもの。
ご自分のことも、ことばを通して私たちがわかるように
してくれました。
みことばがあるから、
私たちは神さまの心を知ることができます。
きっとこんなんじゃないかな〜
みたいなぼやっとした何となくのイメージじゃなく、
くわしくわかるのです。
特にイエスさまを見れば、
神さまが考えてることがはっきりわかるんだよ。
イエスさまは神さまのことばだから。
とヨハネはイエスさまを紹介しました。
イエスさまは神さまの意思表示。
イエスさまがいるから、
神さまは私たちを愛してて、
全部を捨てても助けたいと思っててくれる
っていうことがわかるのです。
ありがたみ拡大中
「それは、偽ることのない神が
永遠の昔から約束してくださった、
永遠のいのちの望みに基づくものです。」
(テトス1:2)
クリスチャンでなかったとしても、
うそはいけない、ということは
ほぼだれでも知ってること。
じゃあ、ほんとのことなら
何でも言っていいのか、
っていうと、そういうわけでもない
っていうところがむずかしいとこだけど。
それにしても、
最近のニュースを見ていると、
見つからない、いや、見つかった。
会ったことない、いや、会った。
言ってない、いや、言われた・・・。
言ってることが笑っちゃうくらい真逆。
なのに、どっちもゆずらない。
いったいどういうこと?
明らかにどっちかがうそをついてる。
みんなもどっちがうそなのか、
ほぼわかってる。
なのに、ついてるだろうと思われてる本人は
うそじゃない、って言い張り続けてる。
社会の上に立つ人が
率先して「うそでも言い張り続けていいんだ」
っていうメッセージを
発信してるみたいなもんですよね・・・。
できますよ、だいじょうぶです
って言ってもらっても、
いつ「そんな約束はしていない」
って言われるかわからないとしたら、
ほんとに困ってしまいます。
そんな世の中に生きてる私たちにとって、
「神さまは偽ることのない方。」
のありがたみは、いよいよ拡大中
じゃないでしょうか。
神さまは、約束したことは絶対に守る方。
やる、って言ったら必ずやる。
人間やサタンがなんとか阻止しようとして、
一時的にはうまくいったように見えることが
あったとしても、
最後は神さまが言ったとおりになるのです。
だから、当てにできるし、
希望にできる。
ほんとにありがたいです。
いっしょならもっとよくなる
「この権威が私に与えられたのは、
建てるためであって、
倒すためではありません。」
(Ⅱコリント13:10)
積み上げたブロックや砂で作ったお城。
きれいに並べた積木。
まだ言葉がちゃんとわからないくらいちっちゃい子どもは、ほぼまちがいなくぐちゃぐちゃ、
めちゃめちゃにします💦。
そして、とってもうれしそうな顔をします。
こちらが悲しむとますます喜んで、
顔を見ながら、わざとこわしますよね。
こわさないで、っていう言葉もわからない、
せっかく作ったんだから、っていう配慮もない、
生まれたままの人間の心には、
どうやら破壊したい、めちゃめちゃにしたい、
っていう欲望があるみたい。
そんな子どもの心を持ったまま
大人になったのかな、っていう人が
何だか増えているような…
おもちゃや砂ならまだいいけれど、
せっかく積み上げた努力や人間関係、
相手の人格やいのちまでもぶち壊すとなったら、
だいぶ大変です。
破壊されないためには、
自分で自分をガードするしかない。
お互いにガードしながら相手のようすをうかがう。
そんな空気がいっぱいで、いつも気を張ってると、
息苦しくなってしまいます…
でも、神さまはいつでもどんなときでも
私たちを建て上げようとしてくれるお方。
こわすため、倒すために
なにかを言ったりやったりすることは絶対なし。
だから安心してね。
いいね、っていうときはもちろん、
それはよくないよ、って言うのも、
ダメなやつ、っていう意味じゃなくて
その方がもっとよくなるよ、
っていう意味だから。
神さまといっしょなら、
もっともっとよくなる。