こんなにあったんだ!

「わたしの恵みはあなたに十分である。
わたしの力は弱さのうちに
完全に現れるからである。」
(Ⅱコリント12:9
 
 
 
この前ラジオから、
“星空を見よう弾丸ツアー”で石垣島に行った人の
超ラッキー体験が流れていました。
 
 
 
そのツアーは何と12日。
つまり星空を見れるチャンスは1回だけ。
はるばる行っても、お天気によっては
なんも見えない、っていう可能性もあったんだって。
 
 
 
でもその日はガイドさんもびっくりのいいお天気で、
ほんとに満天の星空が見れたんだそう。
空一面、降ってくるくらいたくさんの星。
それはそれは感動の体験だった、っていう話でした。
 
 
 
降ってくるくらいたくさんの星。
実は石垣島だけにしかないんじゃありませんね。
日本中どこの空の上にも
まったく同じたくさんの星があるのです。
 
 
 
それなのに、私たちが住んでいるところでは、
よっぽど明るい星がいくつか見えるだけ。
なぜでしょう?
 
 
 
それは空気が汚れていたり、
ほかの光がありすぎて、
星の光をかき消してしまっているから。
ちゃんとあるのに見えなくなっているのです。
 
 
 
神さまの恵みと力も、
だれの上にもとても豊かに注がれています。
でも見えなくなっていることが多い。
なぜでしょう?
 
 
 
一つは、それを見えなくするいろんな汚れ。
そしてもう一つは、人間の力やがんばり、
っていうよけいな光。
それが、神さまの恵みと力の光を
かき消してしまっているんですね。
 
 
 
汚れがないところでほかの光を消せば、
星がとってもよく見える。
神さまの恵みと力も、じゃまするものを取りのけ、
心を静めれば、
そこにちゃんとあるのがわかります。
 
 
 
こんなにあったんだ!って驚くくらい
そこにもここにも満ちています。
 

変装にご用心

「しかし、驚くには及びません。
サタンでさえ光の御使いに変装します。」
(Ⅱコリント11:14


ご高齢の方々が大金をだまし取られる被害が
なかなか減っていかないそうです。
せっかくためてきたお金をだまし取るなんて、
ほんとにひどいですね。


だまそうとする人たちが使う方法は
大きくいって二つあるみたい。
一つはオレオレ詐欺みたいに、
お金を払わないと大変なことになるぞ!
っておどかす方法。


もう一つは、
ものすごく親切な話し相手になって、
「この人の言うことなら。」と思わせる方法。
お腹の中は真っ黒なのに、やさしい人のふり。


結局ものすごい値段のお布団を
買わされちゃった、
なんていう話をよく聞きます。


私たちをだまそうとするサタンが、
見るからに怪しくて悪そうな姿だったら、
だれでも「危ない、危ない」
って警戒するでしょう。


でも、光の御使いにも変装するっていうんだから、
まぎらわしい!
いったいどうやって見分けたらいいの?


一つはイエスさまが救い主
ってちゃんと認めているかどうか。

もう一つは、
教会やメンバーの悪口を言わないかどうか。
「教会やあの人には愛がない。
愛を持ってるのは私たち」
という言葉には特別注意!
本当に愛があるなら、
悪口を言ったりしないはず。だよね。


サタンは変装上手。
光り輝いて、うわーすごい!
っていう姿で近づいてくることもある。
だまされないように、ご用心。
 

神さま由来はパワフル

「わたしたちの戦いの武器は
肉のものではなく、神に由来する力であって
要塞も破壊するに足ります。」
(Ⅱコリント10:4・新共同訳)
 
 
 
最近スキンケアとか、
シャンプーやボディソープとか、
お肌関係で「天然由来」っていう言葉を
よく見かけます。
 
 
 
天然由来って聞くと、
何となくやさしい感じ、
安心な感じがしますね。
 
 
 
体に直接つけたり取り入れたりするものは、
ちょっと気をつけて、
なるべく自然に近いもののを選んだ方が
いいのかな、と思います。
 
 
 
もともとどこから来てるのか、
それはかなり重要ポイントです。
 
 
 
私たちの戦いの武器は神さま由来、
つまりもともと神さまが持っていて
神さまがくれるもの、
とパウロ先生は言いました。
 
 
 
戦いって、何のことでしょう?
それは、私たちがクリスチャンとして歩むための
戦いのこと。
 
 
 
この世界で
クリスチャンとして生きようとするとき、
戦いを避けて通ることはできません。
なぜって、この世界は
神さまを認めない主義で動いているから。
 
 
 
私たちが自力で—肉によってー
何とかしようとしたらそれこそ大変。
負けちゃう可能性も大。
 
 
 
でも神さまがくれる神さまの力を
武器にすればだいじょうぶ。
それは罪に負けない力で、しかも相当強いらしい。
なにしろ要塞も破壊するに足りる
っていうんだから。
 
 
 
くれるって言うんだから、
ぜひもらいましょう!
もらうためには「必要ですからください」
っていうお祈り。
このお祈りで今日も一日をスタートしましょう。

喜んで!

「一人ひとり、いやいやながらでなく、
強いられてでもなく、
心で決めたとおりにしなさい。
神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。」
(Ⅱコリント9:7
 
 
 
いやいややるのはよくないことだし、
強いられてやるのもよくない。
だからやりたくないことはやらない方がいい。
このみことばは、そう言っているのでしょうか?
 
 
 
やりたくなかったらやらなくていいよ〜
みんながそういうことにしたら、大変です。
 
 
 
いろいろなことがとどこおっちゃって
普段当たり前にしている生活が
たぶんできなくなるでしょう。
みんながとっても困ることになります。
ご飯が食べられない、なんてこともあるかも。
 
 
 
やりたいかどうかに関係なく
やっている人がいるおかげで
私たちの生活は成り立っているのです。
 
 
 
自分がやってもらっているなら、
自分もやるべきことはやる。
たとえやりたくなかったとしても。
 
 
 
自分だけが一方的にやってもらう、
っていうのは、ないよね。
もちろん赤ちゃんとか、
ほんとうにできない人は別だけど。
 
 
 
「べき」っていう言葉を聞いただけで、
拒否反応を起こして、
それって義務でしょ、よくないものでしょ、
というイメージを持つ人がいるけど、
義務はただしい務め。
むしろよいものです。
 
 
 
ただしい務めなのにやりたくない。
だったら問題なのは、その務めの方じゃなくて、
やりたくない、っていう自分の心
なんじゃないのかな。
 
 
 
やるべきことだったら、
いやいやじゃなく、喜んでやりましょう。
そのパワーは、
神さまがくれた恵みの中にこもっているんだよ。
このみことばは、そう言っているのです。

使ってもへらない

「あなたがたは、私たちの主
イエス・キリストの貧しさを知っています。
すなわち、主は富んでおられたのに、
あなたがたのために貧しくなられました。
それは、あなたがたが、
キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
(Ⅱコリント8:9


イエスさまを信じたらお金持ちになれるの?
そうだったらかなりうれしいけど、
どうもそういうことではなさそうです。


ここに書いてある「富む者」は、
お金とか物とか、
そういう目に見えるものをどのくらい持ってるか、
っていうこととは関係なし。


イエスさまからしかもらえない恵み。
いのちをかけて罪のせいで死んでいた魂を
生かしてもらったこと。
それをもらった人はみんな
「富む者」になっている、という意味なのです。


だけど、いっぱいもらってよかったね。
で終わらないのがこの富。
自分がため込んで喜ぶためじゃなく、
それは人のために使うためにあげたんだよ、
ってイエスさまは言われます。


お互いに与え合う。そして補い合う。
神さまは人をそういう者として造りました。


けど、罪のせいで人は、
人にはあげたくない。
あげるどころかうばい取ってでも、
自分が人よりたくさん持ちたい。
そんなふうになっちゃった。


イエスさまは自分が先に全部を与えて、
与えるっていうのはこういうことなんだよ、
って見本を見せてくれています。


私たちもイエスさまにならって、
ちょっとした時間やちっちゃな猫の手
だったとしても、
とにかく与えることを実行してみましょう。


この富は、どんなに使っても
減ったりなくなったりしません。
使えば使うほど増える魔法の富なんです。