モチベーションキープ
「狭い門から入るように努めなさい。
あなたがたに言いますが、多くの人が、
入ろうとしても入れなくなるからです。」
(ルカ13:24)
むずかしい学校の受験を
「狭き門」なんて言うことがあります。
それは、みんなが通れるわけじゃない、
ってことや、
そこを通るためにはかなりがんばらないといけない
ってことを言っているのでしょう。
大変だってことは最初からわかってるけど、
そこに入りたいと思う人は一生懸命勉強します。
入りたいという思いが、
がんばるモチベーションになるんですね。
それでも長い受験期間、
モチベーションをずっとキープするのは
なかなか大変。
あ~、もうやめちゃいたい!
なんて思うこともあるかも。
そんなことがありつつも
なんとかがんばり続けられるのは、
目標がはっきりしてる、ってことと、
終わる時があるってわかってることかな。
天国の狭い門を目ざす私たちも、
途中でちょっとモチベーションが・・・
っていうことがあるかもしれません。
そんな時は、どこに向かってるか
まずしっかり確認。
それから、受験とはちょっとちがうけど、
やっぱり終わりがある、
ってことを知っておくこと。
天国の門は、閉まる時が来るんだよ、
とイエスさまは言いました。
一度しまっちゃったら、
入ろうとしても入れないんだよ。って。
だから、いつでもいいように。
今なら、まだちゃんとあいてるから。
まいてあれば
「神の国は何に似ているでしょうか。
…それはからし種に似ています。
ある人がそれを取って自分の庭に蒔くと、
生長して木になり、
空の鳥が枝に巣を作りました。」
(ルカ13:18,19)
からし種は、
ほんとにものすごくちっちゃい種で、
種というよりは粉みたいです。
もうだいぶ前だけど、
「これが聖書に出てくるからし種の木ですよ」
って、鉢植えをもらったことがありました。
けっこうな大きさの鉢に植わってて、
高さも80センチくらいはあり、
そのあと確か、私の背を越すくらいには
大きくなったと思います。
みことばや信仰が最初はどんなに小さくても、
いのちがあるから成長し、
とても大きくなる可能性をもっている。
イエスさまはそのことを教えるために、
このからし種をたとえに使いました。
信仰にはそれだけのパワーがある
っていう希望になるし、
最初から大きくなくてもだいじょうぶなんだ、
っていう励ましをもらえるたとえですね。
ところで、このみことばには
もう一つとっても重要なポイントが。
それは「庭に蒔くと」
っていうところです。
からし種がどんなにすごいパワーを秘めてても、
へえーすごいね、ってながめてるだけで
蒔かなかったら、絶対にはえてこないし、
当然大きくもなりません。
ずーっと待ってるけど、
何にも出てこない、っていうときは、
ちゃんと蒔いたっけ?
って、そこ、要チェックです。
すなおに受け取る心でみことばを読む。
すなおに期待する心で神さまを信じる。
蒔いたことが確かなら、
あとは種のパワーにおまかせ。
待っていれば、時が来ると
必ず芽がでてきます。
そくばっきー?
「この人はアブラハムの娘です。
それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。
安息日に、この束縛を
解いてやるべきではありませんか。」
(ルカ13:16)
友だちでも彼氏彼女でも、
興味と関心を持って気にするのは大事。
でも、好きだから、全部知りたいからって、
何から何までいちいちチェックして、
される方が“束縛”と感じるようになったら、
行きすぎです。
どこからを束縛と感じるかは人によってちがうから、
簡単には言えないけど、
される方がいやだと言ってるのにやめなかったら。
される方の意志が無視されたら。
っていうのが一つの基準でしょうか。
人が欲望のままに生きようとするのは、
サタンに束縛されてるんだよ、
とイエスさまは言いました。
やりたいと思うことをそのままするんだから
自由でしょ、と思いがちだけど、
そうじゃないんです。
えーでも、ほんとに束縛?
それがわかるのは、やめたい、やめなきゃ
と思ったときに、やめられるかどうか。
やめたいのが自分の意志なのにやめられない。
それは私の意志が無視されている、
つまり束縛されてる。ってこと。
やめようと思ってるのにやっちゃった時は、
めちゃくちゃ自己嫌悪。ですよね。
その束縛から解放してくれるのは、
イエスさまだけです。
私たちはイエスさまの方が私たちを束縛する
と思いがちだけど、
イエスさまは絶対に私たちを束縛しません。
信じたくない、って言ってるのに、
無理やり信じさせられたこと、ありますか?
あるじゃん、と思ったとしたら、
それは神さまじゃなくて、
それを言った“人”が束縛してるんです。
イエスさまはほんとうの意味で
解放してくださる方。
実感できない、という人は、
教えてくださいと祈りましょう。
え、あな・・・?!
「自分のために、天に、
すり切れない財布を作り、
尽きることのない宝を積みなさい。
天では盗人が近寄ることも、
虫が食い荒らすこともありません。」
(ルカ12:33)
春だから、冬の間活躍したニットも、
しばらくクローゼットの中でお休みです。
自分が着る服、自分で管理していますか?
ニットをしばらくしまっておく時、
大事なことは二つ。
きちんと洗うことと、防虫剤を入れること。
特にニットがウールだったら、
防虫剤を忘れないように。
お気に入りのニットが、
次の冬に着ようと思って出してみたら
しみになってた、穴が開いてた・・・
なんてことになったら大ショック。
虫は、そこにウールがあるって
どうやって見つけるのか、ふしぎだけど、
私たちが気がつかないうちに
大事なニットを食い荒らしてしまいます。
私たちがこの地上で手に入れるものは、
みんなそんなふうに
いつの間にか使えないものになったり、
なくなってしまったりする可能性がある。
だから、そういうものだけに
心を奪われないようにしなさい。
気がついたら手もとに何も残っていなかった、
ってことにならないように。
とイエスさまは言いました。
天に積む尽きることがない宝
って何でしょう。
それは、心から神さまのため、
人のためを考えてする愛の行動のこと。
人がおおー!とびっくりするような
りっぱなことでなくていいのです。
小さな一言、ちょっとしたお手伝い、
持っているものを分けてあげること…
そういうものが、天にあるお財布に
たまっていく尽きることがない宝物。
だれかにとられてしまったり、
いつの間にか使い物にならなくなったり、
そういうことが絶対になく、
神さまがちゃんとカウントしてためておいてくれる
何より尊い宝物です。
ていねいにあずける
「人々があなたがたを、会堂や役人たち、
権力者たちのところに連れて行ったとき、
何をどう弁明しようか、何を言おうかと
心配しなくてよいのです。
言うべきことは、そのときに
聖霊が教えてくださるからです。」
(ルカ12:11,12)
むかし、本州から北海道に行くのに
船を使っていたころ、
「洞爺丸」という連絡船が台風で転覆して
沈没するという大事故がありました。
何と1155人もの人が亡くなったんだって。
その船に、たまたま乗ってた
3人のアメリカ人宣教師。
1人だけは奇跡的に助かったけど、
あとの2人は、自分が着ていた救命胴衣を
日本人の若者や子どもにあげて、
自分たちは亡くなっていったんだそう。
ほんとにすごいよね!
神さまの愛を表す、ってそういうことだよね
って思います。
当時地元の新聞でも大絶賛されたんだって。
こういう話を聞くと、
ほんとにすばらしい、と思う一方で、
もし自分だったら、
自分の救命胴衣を人にあげて自分は死ぬ
なんてことができるのかな、
自分にはとてもできそうにないな、
と心配になるかもしれません。
そういう心配について
イエスさまが言っていることは二つ。
一つは、起こっていないこと、
起こるかどうかわからないことについて
もし起こったら、と心配することは
やめなさい、ってこと。
どんなに心配しても、
それでよくなることはないから。
それから、もしほんとに起こったとしたら、
その時には神さまが必ず
どうしたらいいか教えてくれるから、
まかせておきなさい、ってこと。
心配しない、っていうのは、
目をそむけて放り投げちゃう、
っていう意味じゃありません。
いちばん良くしてくれる神さまに、
ていねいにあずける
っていうことです。
それがいちばんうまくいく方法だからです。