へこまなくても
「この方は主を恐れることを喜びとし、
その目の見るところによってさばかず、
その耳の聞くところによって判決を下さず、
正義をもって弱い者をさばき、
公正をもって地の貧しいもののために
判決を下す。」
(イザヤ11:3,4)
あなたが女子の場合、男子の前に行くと
声のトーンが一つ上がる女子、
あなたが男子だったら、女子の前に行くと
別人のようにさわやかになる男子、
いると思います。
それだけでも「何なのこの人」だけど、
そんなのすぐにばれるかと思いきや、
これがまた相手が
意外ところっとだまされたりして。
同性の側から見ると、
「え、なんでわかんないの?」
って不思議に思うくらいだけど、
やっぱり人は見かけに弱いんだね、
とつくづく思います。
異性に限らず、
友だちと先生、同僚と上司なんかでも
態度を変えて“うまくやっている”人もいますね。
そういうのって、
自分はしなかったとしても、
わきから見てるだけで
なんだかだいぶもやもやします。
それで終わりなら、
正直に生きるのもなんだかバカみたい…?
でも、私たちには、
見かけには決してだまされない、
だれのことも完璧に公正に見てくれるお方が
ついています。
今日のみことばは、救い主イエスさまが
やがて来るよ、って預言しているところ。
この方はみえるところにまどわされず
ちゃんと納得できる評価をしてくれます。
だから、へこむ必要はありません。
正しく生きることには
りっぱな意味があるのです。
「よろしくたのみます!」
今日も神さまに信頼して
正しく歩みましょう。
2Dから3Dへ
「この民が恐れるものを
恐れてはならない。
万軍の主、主を聖なる者とせよ。
主こそあなたがたの恐れ。
主こそあなたがたのおののき。」
(イザヤ8:12,13)
新入生、新入社員のときには
自分がいちばんの若手で下っ端。
自分が一番下だから、
そこから見えるのは下からの景色だけ。
なんでそんなこと言うのかな、
なんであんなやり方なのかな・・・
いろいろ感じることがあると思います。
そうしているうちに一年たつと、
もう後輩が入ってきますね。
一番下が気楽だからいいなと思っても、
そうはいきません。
でも押し上げられ先輩になって後輩を見ると、
それで初めてわかることがある
と思いませんか。
自分が言われたことの意味を、
ちょっと理解できる気がする。
それは目線が変わったから。
それまでは下からしか見てなかったけど、
少し上からも見るようになった。
ってことですね。
神さまを知らないとき、
人は下からの景色しか見ていないようなものです。
そこは2Dの世界。
縦と横しかなくて高さがないから
見通しがききません。
だから、こわいと感じます。
神さまを知るってことは、
そこに高さが加わって、
世界が3Dになる、ってこと。
この広がりは、
私たちの価値観そのものを変えてくれます。
見通しがきくようになるから、
それまで恐れていたもの、
死や人の評価、人間的な力の差…
そういうものをこわがらなくていいんだな、
ってわかるようになります。
これって、ほんとにすばらしいことです。
もれなくついてくる
「行け、あなたのその力で。
あなたはイスラエルを
ミディアン人の手から救うのだ。」
(士師6:14)
年度が変わると、
クラスとか部署とか地域とかで
新しい係や代表を決めなきゃならないことが
あります。
そういうのは得意な人がやってほしい、
と思うけど、
立候補する人はまずいなくて、
だいたいがくじ引き。
そんな時、ひたすら願うのは、
当たりませんように!
当たったとしても、
下っ端でありますように!
はしっこの方で手伝うならまだしも、
みんなを引っ張って何かするなんて、
とてもじゃないけどできない〜
だれかがやらなきゃいけないかもしれないけど、
自分じゃないでしょ…。
ギデオンのこの時の気持ちは
まさにそれ。
くじ引きじゃなくて、
神さまのご指名だったけど。
あなたのその力で。ってなに?
自分に力がないことぐらい、
神さまは知ってるはずなのに、なぜ自分?
神さまは、だれかに仕事を頼むとき、
得意じゃない人に頼むことが
よくあるようです。
なぜなんだろう?
それは、得意だと、自分の力で
やっちゃおうとすることが多いけど、
苦手なことは、
神さまに助けを求めるしかないから。かな。
神さまに言われたことをする時、
大事なことは
自分がそれをする力があるかどうかじゃなくて、
そのために神さまにより頼んでするかどうか。
神さまがやって、っていう時は、
もれなく”必要な助けと力“も
ついてくるから。
それを使えば必ずだいじょうぶです。
約束は必ず
「わたしはあなたがたと結んだ
わたしの契約を決して破らない。」
(士師2:1)
何日の何時にどこで会おう
っていう遊びやデートの約束。
このプロジェクトは
何日までにアイディアを持ち寄って、
何日の会議では報告できるようにしよう。
っていう仕事の約束。
人とおつき合いしていく中で、
約束を守ることはとても大切。
何しろ、信用にかかわることだから。
約束をしたのはいいけど、
守るかどうかわからない。
そんな人を信用するのはむずかしいです。
ちょっとくらいだからいいでしょ、
をくり返していると、
最初はよくてもだんだん
友だちは離れていくでしょう。
大事なプロジェクトにも
入れてもらえなくなるでしょう。
約束した以上、できるかぎりちゃんと守る。
この心がけをいつも
しっかり持っていたいもの。
約束を守る人が相手なら、何をするにも安心です。
自分との約束を守ってくれる人は、
自分を大切にしてくれてるんだな、ってわかるから、
そこも安心ポイントですね。
神さまも、約束したら必ず守るお方。
破ることは絶対にありません。
人だと、あくまで”できるかぎり”。
どんなに守ろうとしても
どうしてもできないってことがあるけど
(突然の病気とか)
神さまにはそういうこともなし。
だから、どんなに信用してもだいじょうぶ。
安心です。
見つかる場所をさがす
「あなたがたは、どうして生きている方を
死人の中に捜すのですか。
ここにはおられません。
よみがえられたのです。」
(ルカ24:5,6)
あれ?、ない!
何かをなくして捜すってこと、ありますね。
なくしたものが大事なものであるほど、
ないとわかった時にはあせります( ゜Д゜)。
捜し物を見つけるには
とにかく自分の行動をよく思い返して
それをたどってみること。
持っていたのが確かなのはいつまでで、
その時どこにいたか。
それがわかったら、
その後何をしたか、思い出します。
…それが思い出せないから困る、
っていうこともあるんだけど…(>_<)
でもとにかく、ない場所をいくらさがしても、
見つからないから、これは重要ポイント。
「どうして生きている方を
死人の中に捜すのですか」と
み使いは言いました。
なぜ? だってイエスさまは
よみがえって生きているからです。
死人の中にいくらさがしても、
見つかるはずありません。
そこにはいないんですから。
イエスさまはよみがえりました。
だから、今も生きています。
他のいろんな神さまといっしょ、
そのうちのひとりでしょ、と考えるのは、
“死人の中に捜している”のといっしょです。
イエスさまはただお一人、
今も生きて働いている神さま。
だから、今も働いているオンリーワンのお方です。
イエスさまをちゃんと
“生きている神さまあつかい”
していますか?