信じるすべての人に
「しかし今や、律法とは関わりなく、
律法と預言者たちの書によって証しされて、
神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることによって、
信じるすべての人に与えられる神の義です。
そこに差別はありません。」
(ローマ3:21,22)
最近、30代、40代になってから勉強し直して
大学を受験しよう、
なんていう企画(?)をいくつか目にします。
だれでもがんばって勉強すれば、
少なくとも今よりはできるようになるでしょう。
でもじゃあ、それで全員が東大に合格できるか
というと、そうではありませんね。
人には、がんばってもこれ以上はむり、
というポイントが、残念だけどあります。
たとえば私がこれから夜も寝ずに勉強しても、
東大合格はまず100%ムリでしょう。
勉強だけじゃなく、スポーツでも、
音楽や美術などの芸術の世界でも、同じですね。
届くことができない限界が存在する。
それは事実なのです。
神さまの目から見て正しい人になる。
それこそ、私たちが自分の力で
どんなにがんばっても「絶対に」できないこと。
「あの人はすばらしい!」
とみんなが口をそろえて認める人だったとしても、
同じです。
正しいかどうかを決める神さまのレベルは
はんぱじゃなく高いからです。
どんなにがんばっても、だれ一人届くことはできません。
だから、あ〜あ、残念だったね、あきらめな。
と神さまは言いませんでした。
あなたたちにできないなら、
わたしがしてあげるよ、
と言ってくれたのです。
イエスさまが自分のために
十字架にかかってくれたと信じるなら、
それだけでだれでも「正しい人」と認めてくれる。
そこまでして神さまは、
私たちを正しいと認めて受け入れたい、
と思っていてくれるのです。
深いいつくしみ
「神のいつくしみ深さが
あなたを悔い改めに導く…。」
(ローマ3:4)
何か悪いことをしてしまって、
あやまらなければ、と思ったとします。
同じあやまるでも、相手がちがうと、
気の進み具合が変わってきますね。
ものすごく厳しくて、
ちょっとしたことでも頭ごなしに
ガミガミ怒る相手だったら、
こわくて、なかなか気が進まないでしょう。
粘着質で、いつまでも
ネチネチいやみを言う相手だったら、
あやまった後のことを考えるとげんなりして、
やっぱりなかなか気が進みません。
でも、すぐに「いいよ」って言ってくれる
ってわかってる相手だったら、
少し勇気は必要だけど、
あやまるのはそれほどむずかしくありませんね。
神さまはどうでしょう。
私たちが罪を告白して悔い改めるとき、
ブチ切れてものすごい罰を与えたり、
いつまでもグチグチいやみを言ったりするでしょうか。
そんなことはありません。
みことばによれば、神さまはいつくしみ深いお方。
悔い改めるなら、すぐに受け入れてゆるしてくれます。
ゆるしてくれるだけでなく、
悔い改めたことを喜んでくれます。
神さまに隠そうとしないで素直であることを
神さまは喜んでくれるのです。
そして、そのまま愛してくれるのです。
告白しなければ
神さまは知らないのではありません。
なにもかも知っています。
だから素直に神さまの前に出ることが一番。
神さまは「よく悔い改めたね」と
深いいつくしみで私たちをおおってくれるのです。
そうだったっけ?
「それを思い起こさせて、
あなたがたを奮い立たせることを、
私は地上の幕屋にいるかぎり、
なすべきだと思っています。」
(Ⅱペテロ1:13)
きのう、夕ごはん何食べた?
って聞かれたら、すぐ答えられますか?
記憶のテストによく使う質問だけど、
食べたかどうか忘れた、
っていう人はいないよね。
でも意外と、すぐには思い出せなくて
うーん、てうなってからようやく出てくる、
なんていうことも多いかも。
私たちの記憶は、とってもあいまい。
自分に合わせてねじ曲げちゃったり、
いやなことは消しちゃったり。
中でも、ほんとに忘れやすいのが
してもらったいいこと、
だと思いませんか。
その時は感激しても、
時間がたって感動がうすくなると、
そうだったっけ? くらいになりやすいもの。
だからペテロは、
神さまの救いをもらったことを
クリスチャンたちに思い起こしてもらうことが
自分が一番やらなくちゃいけない大切なこと、
と言いました。
すばらしいんだよ、すばらしいんだよ、
って言われると、
わかってるよ、しつこい!
なんて思っちゃうかもしれないけど、
実は思い起こさせてくれるのは
とってもありがたいことなんです。
なんと言っても、
私たちはいいことを忘れやすいから。
そして思い出させようとしてくれる人は、
とってもありがたい存在。
だって、もし忘れたら…?
くさっちゃいますから!
いのちがあれば腐らない
「…主イエスの、神としての御力は、
いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、
私たちに与えました。…
それは、その約束によってあなたがたが、
欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、
神のご性質にあずかる者となるためです。」
(Ⅱペテロ1:3,4)
腐敗(くさること)。・・・いやですね。
腐ったものは、ものすごくいやな臭いがするし、
食べるとお腹をこわします。
腐ると毒が出るからだそうです。
寒い冬はけっこう大丈夫だけど、
暖かくなってくると、いろいろ腐りやすくなるから
要注意。
腐る物ってどんなものか、考えたことありますか?
それは死んだもの、いのちをなくしたものです。
動物も魚も、野菜などの植物も、
そして人間の体も、生きている間は腐りません。
ところが死んだとたんに、
腐り始めます。
私たちの心も同じと聖書は言っています。
神さまのいのちを失ったままだったら、
やっぱり腐っていくのです。
この世が便利にはなってもいっこうに良くならず
むしろ悪くなっているのは、
人の心がいのちを失っているから。
腐っていくとき、心も物と同じように
悪臭と毒を放ちます。
まわりに不快な思いを与え、
不快だけならまだしも、害を与え、
ひどい時にはいのちまでも奪ってしまうのです。
自分はそんなふうに腐っていきたくない
と思うなら、
いのちにつながり続けること、
これしかありません。
いのちにつながる。
それは、神さまにつながっているということ。
この世界と宇宙のいのちはすべて、
神さまのものだからです。
ぽっかりと浮く
「ですから、あなたがたは
神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
神は、ちょうど良い時に、
あなたがたを高く上げてくださいます。」
(Ⅰペテロ5:6)
上達のコツ。
なんの上達を目ざすかによって、
方法はいろいろあると思うけど、
けっこう共通しているのが「力を抜く」
っていうことじゃないかと思います。
たとえば、水泳。
もちろん選手なんていうレベルになれば、
筋トレとかあるだろうけど、
初歩を考えると、まず水に浮くことから。
水に浮こうとするときに大切なことは
力を抜くこと。力を抜けば、
人の体は自然に水に浮くようになっています。
こわいからと体をガチガチにこわばらせたり、
力をこめてもがいたりすると、
逆に沈んでしまいますね。
楽器の演奏もそうだと思います。
私にわかるのはピアノだけど、
どんなにがんばって練習しても、
肩や手に力が入っているとなかなかうまくいきません。
どのくらい力を抜けるようになるかが、
上達ポイントかなと思っています。
人生も同じです。
自分の力で何とかしようと肩に力をこめればこめるほど、
うまくいかないことが多いんじゃないでしょうか。
うまくいくどころか、
望んでいるのと逆方向に向かってしまったり。
じゃあ、そこで力を抜くってどういうこと?
それは、神さまの御手にゆだねて導きを受け入れ、
その中にぽっかり浮くこと。
「へりくだる」っていうのは、
そういうことだと思います。
そんな危ないこと?! と思うかもしれないけど、
だいじょうぶ。
神さまの御手は力強いのです。
その御手は“ちょうど良い時”に
高くすることができる御手だからです。