ちゃんとしてくれる
「主は銀と金を持たせて、
御民を導き出された。」
(詩篇105:37)
エジプトを出たイスラエルが
神さまを礼拝する場所として
荒野で作った幕屋。
どんな大きさ、どんな材料だったか、
出エジプト記を見ると書いてあるけど、
そうとう金ぴかだったみたい。
使った金は29タラント730シェケル。
計算してみるとほぼ1000キロ、
つまり1トン!
銀はもっと多くて、3トン以上。
イスラエルはずっと奴隷だったから、
財産なんか持ってなかったはずなのに、
これだけの金銀がどこから出てきたのか、
って不思議に思ったことありませんか?
実はそれは、エジプトを出る時に、
エジプト人からもらってきたものでした。
何も持たないでとにかく出た、
というのでは、途中で困ってしまいます。
そういうことがないように、
神さまはちゃんと準備させてくれたのでした。
エジプトの人たちが喜んで与えてくれるように、
神さまがしてくれたのです。
クリスチャンになると、
何か損をする、なくすものが多いような感じ、
困ることになるんじゃないか、
というイメージがあるかもしれません。
特に私たちが住んでいる日本では、
クリスチャンが100人に1人と
かなり少ないので、なおさらです。
でも神さまは、私たちが困らないように、
ちゃんとしてくださいます。
そのためなら神さまは、
神さまを信じていない人たちも
使うことができるのです。
だから私たちは何の心配も
しなくていいのです。
必ずなおしてくれる
「医者を必要とするのは、
丈夫な人ではなく病人です。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためです。」
(マルコ2:17)
インフルエンザがとてもはやっていて、
流行を表す数値が
これまでで一番高くなっているそうです。
こんなにはやったのには
いろんな理由があるみたいだけど、
お祈りと免疫力アップで、
なんとか乗り越えられたらと思います。
病気。
それは、体や心に起きた障害のせいで
苦痛や不快感を感じて、
健康な日常生活ができなくなること。
まったくそのとおりです。
インフルエンザになったりしたら、
熱は出るわ、食欲はなくなるわ、節々は痛いわ、
で、学校や仕事に行くどころじゃありません。
普通の生活ができなくなってしまいます。
イエスさまは、
罪を持っているのは、
心(たましい)が病気になっているということなんだよ、
と言いました。
そのままでは、
いろんな苦しみや不快感に苦しめられて、
元気だったらできるはずのことが
できないということです。
イエスさまはその病気をなおすために
来てくれました。
私たちを苦しみや不快感から解放して、
もっているはずの元気を取り戻すことが
できるようにしてくれるためです。
イエスさまは名医です。
罪がどんなに重症でも
もう死んでしまいそう、でも、
必ず元気になるようにしてくれます。
イエスさまが手のほどこしようがなく、
お手上げになる罪は、
一つもありません。
自分の心に不調を感じたら、
すぐにイエスさまのところに行って、
みてもらいましょう。
秘密はなしね
「彼らが心のうちで
このようにあれこれと考えているのを、
イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて
言われた。」
(マルコ2:8)
もし私たちの心の声が
だだもれだったとしたら、どうでしょう?
とってもおだやかでかわいく見える女子の
心の声が「ふざけんな!」だったり、
とってもやさしくて紳士的な男子の
心の声が「あ~、めんどくせぇ」だったり…
バレてあわてふためく人、
「いやいや、ちがいますから!」って言い訳する人、
顔色が真っ青になる人が続出…かも。
でも実際はだれにも聞こえないから、
顔でニコニコ笑って、
おだやかな声でしゃべっていれば、
人をだますのはある意味簡単。
人は良くも悪くも人の表面しか見てません。
というか、見られません。
だからこそ、やってられる、
っていうところもあるかもね。
でも相手が神さまだったら、
そうはいきません。
神さまは絶対にだれも聞いていない
心の奥の奥の声もぜ~んぶ知っています。
神さまだけには
「秘密」はないってこと、忘れずに。
でも神さまが知ってるのは、
悪いことだけじゃありませんね。
私たちがどんなに心をこめたつもりでも、
人はまったくわかってくれない、通じない、
ということがあるけれど、
神さまはちゃ~んとわかっています。
神さまはお見通しの神さま。
でもだからこそぜんぶわかっててくれる方、
でもあるのです。
きっと、じゃなくてね
「私たちは、あなたが考えておられることを、
あなたから聞くのがよいと思っています。」
(使徒28:22)
去年は”忖度”(そんたく)という言葉を
何度も聞きました。
政治の話だから、
みんなにはあんまり興味なかったかもだけど、
「きっとこうしてほしいだろうな~、
と考えて、相手のためになるようにもっていくこと」
が忖度。
「空気を読む」とかなり近いけど、
忖度の場合は、
相手が自分よりも立場的に上のことが
多いのかな?
もともと決して悪い意味の言葉じゃないのに、
政治がからんだので、
悪いイメージが強くなってしまいました。
本人には確認しないで、
いつものようすとか、人から聞いた話とかで
きっとこうだろうと推測する。
それは、当たっていれば
とてもよい結果になるけれど、
もしちがっていたら、
逆に大変なことになってしまうことも。
ローマの町の人たちは、
パウロの話を
ちゃんとパウロ自身から聞こうとしました。
これは私たちもぜひまねしたいことです。
「あの人ってこんならしい」
「こんなこと言ってたらしい」
…みたいな話を聞いた時は特に要注意。
ちゃんと確かないうちに、
次の人に「こうなんだってよ…」
なんて言っちゃうことがないように、
気をつけたいものです。
自分がもし言われる側だったら…。
”忖度”を働かせるなら、そこに。
いちばんかしこい
「どうか教えてください。
自分の日を数えることを。
そうして私たちに、
知恵の心を得させて下さい。」
(詩篇90:12)
私の母は数字が大好き(もともとの生まれつき)。
階段が何段あるか、マンションが何階か、
新幹線に乗ればトンネルを何本通ったか、
全部数えるそうです・・・・・・・
今86歳だから、
毎年住んでいる町から認知症の検査に
いらっしゃいと言われて
出かけて行きます。
それでいろんなテストを受けるわけだけど、
なんと言っても数字が大好きだから、
次々出てくる数字を覚えるとか、
逆から言ってくださいとか、
そういうテストが楽しくて、点数もバッチリ。
「こんな点数見たことない」
と言われるくらい、いいらしいです。
だけど、実際の生活はと言うと、
迷子になったり、忘れ物をしたりが
もうしょっちゅう。
テストの点がいいより、
実際の生活がちゃんとできる方が
いいのかな? って父に聞いたら
「そのとおり」と言われたそうです(*'▽')
知恵と言ってもいろいろあって、
それぞれどこで役に立つかがちがいます。
どんなにすごくても、
それがまったく役に立たない
っていうこともあるのです。
聖書が言っている”知恵”は、
神さまというお方を計算に入れている、
ということ。
すべてを見ていて、
最後にきちっとケリをつける神さまを
計算に入れて生きる。
この知恵だけが、
”永遠”~私たちが死んだあとの世界~
でも通用する知恵。
この知恵の心を持ったなら、
生き方が必ず変わってきます。
そしてそれが一番かしこい生き方なんだよ、
と聖書は教えてくれているのです。