すごくいいよ

「あなたが年に三度、あなたの神、
主の前に出ようとして上っていくときも、
あなたの地をほしがる者はだれもいない。」
(出エジプト34:24
 
 
 
昔読んだ本に
こんなことが書いてありました。
 
 
 
睡眠時間を少なくして
少しでも長い時間働いたり勉強したりすれば
それだけ得るものが多い
という考えはまちがい。
 
 
 
12時間働いたら、
6時間の2倍の仕事ができるかというと
そうではない。
だらだらするだけ、かえって効率は下がる。
 
 
 
きちんと休むことが
逆に仕事の能率をアップさせる。
という内容の本でした。
 
 
 
どうしてもやむを得ず
睡眠時間をけずって仕事をしている人もいるし、
全面的に賛成とは言えないなーと思いつつも、
確かに、と思える部分も多い本でした。
 
 
 
 
礼拝のための時間も、
”世の中の仕事の手を止めなきゃならない時間
というような感覚でとらえる人がいます。
礼拝に行かなければ
もっといろいろできるのに、もったいない・・・
 
 
 
でもその時間は
決して効率を下げる時間ではありません。
 
 
 
睡眠が体をリフレッシュするように、
礼拝は私たちの信仰のリフレッシュの時。
世の中にどっぷりつかっていた
ものの見方を
神さま目線に修正できるときでもあります。
 
 
 
何より、そのことを大切にする人は、
そのことで損をすることは決してない、
神さまがそうしてくれるんだよ、
とみことばは言っているのです。

本気で言ってます?

「彼はそれを彼らの手から受け取ると、
のみで鋳型を造り、それを鋳物の子牛にした。
彼らは言った。
『イスラエルよ、これがあなたを
エジプトの地から導き上った、
あなたの神々だ。』」
(出エジプト32:4
 
 
 
金の子牛。
きっとピカピカだったでしょう。
 
 
 
だけど、ただ光ってるってだけのことです。
どんなに光ってたって、
ただそこに立ってるだけで、
自分では歩くこともできない子牛。
目や耳はついてるけど形だけで
見ても聞いてもいないし、
口も形だけで何もしゃべりません。
 
 
 
それが、自分たちを
エジプトから救ってくれた神・・・
って、本気で言ってます?
思わず二度見しちゃいます。
 
 
 
だって、冷静に考えてください。
アロンが作ったんですよ?
人間が作ったものが人間を助けるなんてこと、
できるでしょうか?
救うことができるでしょうか?
 
 
 
人間が作ったということは、
人間がこわせるということ。
実際この子牛は、
モーセが粉になるまで粉々にしました。
 
 
 
それが何であっても、
人間から発しているもの、
人間が作ったりこわしたりできるものは
みんな同じです。
 
 
 
冷静に考えれば、
それを当てにするなんて、
本気で言ってます?
って聞きたくなるものばかり。
 
 
 
人間の手でこわせるものを頼る。
そんなむなしいことはありません。
 
 
 
ほんとうの神さまは、
私たち「が」作り出したものではなく、
私たち「を」造った方。
その神さまだけが、ただ一人の神さまです。

ほんとのぜったい

「神へのいけにえは 砕かれた霊。
打たれ 砕かれた心。
神よ あなたはそれを蔑まれません。」
(詩篇51:17
 
 
 
小さい子どものころ、
「ぜったいに怒らないから、
正直になにしたか言ってごらん」
てお母さんに言われて、
正直に言ったのに、怒られた。
 
 
 
笑われそうだから言いたくない
って言ったのに、友だちが
「ぜったいに笑わないから教えて!」
って言うから正直に話したら、
爆笑された。・・・
 
 
 
こんな経験ある人、
多いんじゃないかと思います。
 
 
 
「ウソつき!!」
と私たちの心は叫びます。
「怒らないって言ったじゃん!」
「笑わないって言ったじゃん!」・・・
 
 
 
そんなことが何度もあると、
正直に話すことがこわくなってしまったり、
もう正直に話すのはやめよう
と思うようになったりするかもしれません。
 
 
 
自分の本当の姿、心の底にあるものを
正直に認めた方がいいかなーと思うときも、
それを認めたり、言ってしまったりしたら
バカにされるんじゃないか、
この後ずっと見下げられるんじゃないか、
という恐れがわいてくることがありますね。
 
 
 
「ぜったいバカにしたりしない」
と言われたとしても、
なかなか信用しにくいもの。
 
 
 
 
でも、神さまはちがいます。
砕かれた心、
自分のほんとう、まちがいや欠点を
認める心を蔑(さげす)まれない
=決してバカにしないし、見下さない、
と書いてあります。
 
 
 
見下すどころか、
よく認めたね、と喜んで受けとめてくれます。
そして、だからわたしがいるんだよ、
と言ってくれるのです。
 
 
 
神さまの「ぜったい」は
ほんものの「ぜったい」です。

そうなんだ、ありがたいなー

「神がきよめた物を、
あなたがきよくないと言ってはならない。」
(使徒10:15
 
 
 
どうも最近体の調子がおかしいなー、
と思って、その症状をネットでいろいろ調べたりすると、
ものすごい悪い病気かも
というところに行きついてしまうことが多いものです。
 
 
 
 
病院に行かないうちに、
もうそれで自分はその病気なんだと
思い込んでしまう人もいて、
お医者さんがいくら「なんでもありませんよ」
と言っても、信じないことがあるみたい。
 
 
 
「ショックを受けさせないように、
うそをついているんだ」
「お医者さんが本人には言えないくらいの
ヤバい病気なんだ」
って逆にどんどん落ち込んじゃったり。
 
 
 
そういう人には「よかったじゃん!」
て、背中をバシッとしてあげたいですね。
信じないで悩み続けるほど
バカバカしくてもったいないことないですから。
 
 
 
 
みことばに書いてあるとおり、
イエスさまの十字架を信じたのに、
いつまでも
「私なんかの心がきよくなるはずがない」
と言い続けるのも、似てると思いませんか?
 
 
 
神さまは
十字架を信じたらゆるす。
十字架を信じて明け渡したらきよめる。
と言っているのです。
 
 
 
みことばに「こうしたら」
と書いてあるとおりにしたのなら、
ゆるしてきよくしてくれるのは神さまです。
 
 
 
あなたが自分できよくなりなさい
と言っているのではなく、
わたしがきよくすると言っているのです。
 
 
 
それでも私はきよくないと言うのは、
「神さまにも私の心をきよくすることはできない」
と言っているのと同じ。
 
 
 
私たちはただそのまま
「そうなんだ、きよくしてくれたんだ
ありがたいなー」
と受け取ればいいのです。

最上はふつう

「あなたの土地の初穂の最上のものを、
あなたの神、主の家に
持って来なければならない。」
(出エジプト23:19
 
 
 
あなたがこの世界で
一番好き✨大切☆と思う人に
プレゼントをすると
考えてみてください。
 
 
 
自分は使わないからいらないもの、
自分がもう飽きたもの、
そこらへんにころがっているものを、
「まあこれでいいか」
って言って、あげるでしょうか。
 
 
 
そんなことはありえません。
なにが一番いいだろう
なにを一番喜んでくれるだろう
とずいぶん前から考えに考え、
今自分があげられる一番いいものを
あげようとすると思います。
 
 
 
一番いいものにしなさい、
とだれかに言ってもらう必要はありません。
言われなくても自然に
そうしたいと思うのです。
 
 
 
 
神さまにささげるものを
「強制なんですか」とか
「ささげないと何か罰があるんですか」とか、
そんな声を聞くことがあります。
 
 
 
献金のお金も、
奉仕のための時間やエネルギーも、
まず自分のために使って、
もし残ったらささげればいいんじゃないの?
まして「最上のもの」だなんて
もったいなくない?
 
 
 
…そうなんでしょうか。
神さまはあまりものでじゅうぶんなお方
なんでしょうか。
 
 
 
そんなはずはありません。
神さまは私たちにいのちを与えるために
自分のいのちを捨ててくれた方。
 
 
 
神さまへのささげものが
一番いいものであることは、
ごくごく自然なことなのです。