どんなときも

「しかし、主はヨセフとともにおられ、
彼に恵みを施し、
監獄の長の心にかなうようにされた。」
(創世記39:21)
 
 
 
ヨセフは誘惑をきっぱりと
ことわり続けたのが原因で、
監獄に入れられてしまいました。
 
 
 
ヨセフの選択は明らかに正しかったのに、
なぜなんでしょう…。
神さまを信じて従っていたら、
うまくいくはずじゃないの…?
 
 
 
そんな時心に留めておきたいこと。
①うまくいかないのは、
神さまが私たちを見捨てたしるしではない。
ということ。
 
 
 
神さまは、監獄の中でも
ヨセフとともにおられました。
神さまがともにいるという事実は、
うまくいくかどうかとは関係なし。
 
 
 
うまくいかない時こそ、
「どんなときにも」が
リアルになるのです。
 
 
 
②そこには深い神さまのご計画がある。
ということ。
 
 
 
監獄に入ったことで、
やがてヨセフがパロの前に直接立つチャンスが
めぐってきます。
そしてヨセフはエジプトの大臣になるのです。
侍従長の家でうまくいっていたら、
そのチャンスはやって来なかったでしょう。
 
 
 
目の前の小さなことが
うまくいかないことがあっても、
それよりずっと大きいことを
神さまは計画しているのかもしれません。
 
 
 
大事なことは
信じ続けることです。
 

忘れない

「ですから、目を覚ましていなさい。
あなたがたの主が来られるのが
いつの日なのか、
あなたがたは知らないのですから。」
(マタイ24:42)
 
 
 
きのうは、阪神淡路大震災から23年
ということで、
そのことについてのニュースが
たくさん流れていました。
 
 
 
こういう記念日になるごとに
言われていることは、
「忘れないように」ということです。
 
 
 
起こったすぐあとは、
みんなの意識も高まり、
いろいろ点検したり準備したりします。
 
 
 
でも時間がたってくると、
だんだん意識が薄まっていって
「まあいいかな」と思うというより、
そのこと自体が遠のいてくることが
多いのです。
 
 
 
記念日にニュースが取り上げてくれることは、
ちょっとでも思い出すために
役に立ってくれるなあと思います。
 
 
 
 
イエスさまがもう一度来て、
この世界が終わりになる。
でもその日が来るまではわからない、
それは、ノアの洪水が起きたときと同じ。
と書いてあります。
 
 
 
「目を覚ましていなさい」というのは、
忘れないように心がけなさい
という意味です。
 
 
 
心がけなければ、
災害のことも戦争のことも原爆のことも、
だんだん遠のいていくように、
遠のいていってしまうからです。
 
 
 
心がけるって?
もちろん聖書を読むこと。お祈りすること。
そして一番ききめがあるのは
教会に来ること。
 
 
 
それはだれのためでもなく、
自分のためなのです。

かわいいかくれんぼ?

「神の御目が人の道の上にあり、
その歩みのすべてを
神が見ておられるからだ。
不法を行う者どもが身を隠せる闇はなく、
暗黒もない。」
(ヨブ34:21,22)
 
 
 
♫ひよこがね、お庭でぴょこぴょこかくれんぼ
どんなに上手に隠れても
黄色いあんよが見えてるよ…
 
 
 
”かわいいかくれんぼ”
っていう童謡です。
 
 
 
小っちゃい子とかくれんぼをすると、
頭だけつっこんで体は丸見えだったり、
持ってちゃいけないものを
隠してるつもりだけど丸見えだったり
なんてことがよくあるけど、
そんなようすが
この歌のもとになっているのかもしれません。
 
 
 
 
私たちが神さまに見えないように
と思っている時も、
きっとおんなじなんだと思います。
 
 
 
私たちが行けるどんなところまで行ったとしても
神さまの目から隠れられるところ、
神さまの目の届かないところは
どこにもなし。
 
 
 
神さまはいつでも
すべてをごらんになっています。
 
 
 
悪いところを見つけてさばくのが
目的じゃありません。
守って、恵みを注ぎたいと
思っているのです。
 
 
 
神さまのまなざしは、
冬の日向みたい。
 
 
 
当たらない陰は冷え冷えしているけれど、
さえぎるものを全部とりのぞいて、
全身でいっぱいにあびれば
ぽかぽか、あたたまります。

中から外へ

「まず、杯の内側をきよめよ。
そうすれば外側もきよくなる。」
(マタイ23:26)
 
 
 
 
じめじめの湿気は、建物の大敵です。
押入れの壁の奥や
床下にカビがはえたりしたら、
もう大変。
 
 
 
板やクロスなどを
どんなにきれいに張り替えても、
内側をそのままにしている限り、
やがてまた黒いポツポツが現れてきます。
においもしてきます。
 
 
 
奥まできちんとほじくり返して、
カビがはえているところを全部取り除き、
消毒なり殺菌をしてからにしなければ、
何度やっても同じことのくり返し。
 
 
 
奥までやるのを
先延ばしにすればするほど、
カビも奥へ奥へと入り込んでしまい、
ちゃんと取り除くことも
どんどんむずかしくなってしまいます。
 
 
 
 
私たちの心も同じ。
自分の外側、
人から見えるところをどんなにみがいても、
内側、心の中がきたないままでは、
だめなのです。
 
 
 
がんばって自分なりにリセットして
今度こそ、と思っても、
内側の汚れをそのままにしているなら、
それはやがて必ず外側の美しさをやぶって、
現れてくるもの。
 
 
 
だから、
まず内側をきれいにすることに
心を向けなさい。
そうすれば、外側は自然にきよくなるんだよ。
とイエスさまは言いました。
 
 
 
内側をきれいにする。
それをしてくれるのも、
それができるのも、イエスさまだけ。

チャンスはある

「兄は『行きたくありません』と答えたが、
後になって思い直し、出かけて行った。
…弟は『行きます、お父さん』と答えたが、
行かなかった。」
(マタイ21:29,30)
 
 
 
お父さんにぶどう園で働いてほしい
と頼まれた兄と弟。
 
 
 
兄は最初は「やだよ」って言ったけど、
後から悪かったなと思い直して
出かけて行きました。
 
 
 
弟は「わかったよ」って
調子よく返事をしたけど、
返事だけで、結局行きませんでした。
 
 
 
言うこととやること。
一致しているのが一番だけれど、
もしちがっていた場合は、
⑴ 言葉が悪くて行動がいい
⑵ 言葉はいいけれど行動が悪い
のどっちがいいか。
 
 
 
イエスさまの答えは、
言葉よりも、行動がいいか悪いかが大事。
でした。
 
 
 
なぜ行動の方が大事なのか。
それは、言葉よりも行動の方が
私たちの本当の心を表すからなんだと思います。
(いろんな訳ありで、
わざと心とちがうことをする人もいるけどね)
 
 
 
私たちは自分が何を言っているかよりも、
何をしているか、
の方に気をつけた方がよさそうです。
 
 
 
それから、
いったん変なことを言ってしまっても、
それで「もう終わりだ」
と思わなくてもいいみたい。
 
 
 
思い直すチャンスがある、
とイエスさまは言っています。
「まずかったな」と思ったら、
その時が思い直しのチャンス。
 
 
 
「どうせ言っちゃったんだし」
と思わないで、
即行動しましょう。