それにもかかわらず

「それにもかかわらず、
あなたは赦しの神であり、
情け深く、あわれみ深く、
怒るのに遅く、恵み豊かであられ、
彼らをお捨てになりませんでした。」
(ネヘミヤ9:17)
 
 
 
「堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)が切れる」
ということわざがあります。
 
 
 
堪忍は、怒りを抑え、我慢して、
人のあやまちを許すこと。
緒は袋の口をしばる紐。
 
 
 
つまり堪忍袋の緒が切れるというのは、
もうこれ以上我慢できなくて
怒りが爆発すること。
要するに「キレる」ってことですね。
 
 
 
最近は堪忍袋の大きさが
ずいぶん小さくなっているようで、
それが原因で起きる事件も増えているような。
高速道路の「あおり運転」なんかも、
その一つだと思います。
 
 
 
堪忍袋の大きさは
その人自身の器の大きさに通じます。
キレている人はそれで自分の力を見せつけたと
思っているのかもしれませんが、
実は自分が小さい人間だということを
自分で暴露してしまっているのでは?と思います。
 
 
 
 
人の堪忍袋が年々小さくなっていくみたいに
神さまの堪忍袋も小さくなってしまったら
どうでしょう。
 
 
 
本当に困ってしまいます。
私たちは神さまにどれだけ忍耐してもらっているか
わからない者なのですから。
 
 
 
神さまの堪忍袋は
私たちの想像もつかないくらい大きく、
口をしばっているひもは決して切れません。
とてもありがたいことです。
 
 
 
思い通りにならないことも
いろいろあったかもしれませんが、
この一年間も神さまが忍んでくださった。
それだけでも私たちは感謝することができます。
 
 
 
一年をふり返って、
神さまにお礼を伝えるべきと思うことは
きちんと伝えましょう。
 
 
 
今年のメッセージは今日が最後です。
一年間毎日読んでくれた人も
そうでなかった人も、
ありがとう。
神さまとともに一年をしめくくれますように。

会えるなら

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、
どこにおられますか。
私たちはその方の星が昇るのを見たので、
礼拝するために来ました。」
(マタイ2:2)
 
 
 
このアイドル、このバンドに会うためだったら、
このイベントに参加するためだったら、
どんな苦労もへっちゃら。
そう思えるような相手がある人なら、
博士たちの気持ちがわかるでしょう。
 
 
 
羊飼いが天使の知らせを聞いて
イエスさまに会いに行ったように、
博士たちはしるしの星を見て、
喜び勇んではるばるとやってきました。
 
 
 
クリスマスは終わったのに、
まだクリスマス?
いえいえ、博士たちの旅は
まだ始まったばかり。
 
 
 
それは時間とお金がかかる上に
強盗や動物に襲われる危険もある
大変な旅だったけれど、
それでも行こうと思わせたのは
「王さまに会える」
というその一念でした。
 
 
 
普通の人が持っているものを
何も持っていない。
君臨して自分を押しつけるのではなく、
自分の方がだれよりも低くなって仕え、
すべてを与える。
 
 
 
私たちが「王さま」と聞いて
思い浮かべるイメージとは
まったく逆の姿で来られたイエスさま。
 
 
 
でも不思議なことに、
このお方にすべて支配してもらうと、
私たちの心は
ほんとうの解放を経験することができるのです。
 
 
 
人間に支配されると
私たちの心はしばられ、恐れに満たされます。
でもこの方が支配してくれるとき、
私たちの心を満たすのは解放と安心。
 
 
 
そう、イエスさまは「平和の王さま」。
すべてをささげて礼拝するにふさわしい
王さまの中でも最高の王さまでありながら、
平和で支配する。
イエスさまにしかできないことです。

教えてもらった後

「さあ、ベツレヘムまで行って、
主が私たちに知らせてくださった
この出来事を見届けて来よう。」
(ルカ2:15)
 
 
 
2か月に一回くらいお交わりをしている会で、
とってもおいしい手作りタルトを
焼いて持ってきてくれた人がいました。
 
 
 
さつまいものタルトだったんだけれど、
見た目も味もバッチリ。
 
 
 
持ってきてくれた人は先に帰ったので、
後から「とってもおいしかった」
っていうお礼と、
「レシピを教えて」
っていうお願いをしました。
 
 
 
そしたらさっそく、
レシピ本を写した画像を送ってくれたので、
もういつでも作れます。
 
 
 
ただ残念なのは、
まだ実際には1度も作ってないこと(>_<)。
教えてもらっていいなぁと思ったけどやってないこと、
けっこうありますよね。
 
 
 
レシピとか、ダイエットとか片づけとか、
やり方を知る方法はいくらでもあります。
でも、大事なのはそのとおりにやるかどうか。
 
 
 
いくら知っていても、
やらなければ何も変わりません。
やりたいなと思っているだけでも
やっぱり同じですね。
 
 
 
 
神さまのこともそうです。
こうすれば救われる
恵みをもらえると知って、
そうできたらといくら思ったとしても、
実際に信じて言われたとおりにやらなければ、
何も変わらないのです。
 
 
 
羊飼いたちは救い主誕生の知らせを聞いて、
「ふーん、そうなんだ」
と聞いて終わらせたのではなく、
立ち上がって会いに行きました。
 
 
 
まず聞いて知ることが大事。
でも、聞いたら立ち上がって
やることはもっと大事です。

ダイヤモンドよりほしいもの

「いと高き所で、
栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。」
(ルカ2:14)
 
 
 
3年くらい前、
後藤健二さんという人が
シリアという国でIS(イスラム国)の人質になり、
殺されました。
 
 
 
後藤さんはクリスチャンで、
戦争がどんなに悲惨で
してはいけないものか
伝えようとしていたジャーナリスト。
 
 
 
殺される10年くらい前、
後藤さんはアフリカの内戦を取材して
本を出していました。
題は『ダイヤモンドより平和がほしい』。
 
 
 
この本に登場するのは元少年兵のムリア。
ムリアはまだ小さい子どもの時に
家族を殺されて無理やり兵士にされました。
 
 
 
残酷な人殺しも平気でできるように、
体に麻薬を埋め込まれてたんだって。
人間て、そんなひどいことができちゃうんだね。
 
 
 
ムリアの国は、
ダイヤモンドがたくさん採れるけれど、
ダイヤモンドを売って手にしたお金は
全部武器を買うために
使われてしまったんだそうです。
 
 
 
どんなたくさんのダイヤモンドよりも
平和がほしい。
それがムリアの願いだということを
伝えようとした本でした。
 
 
 
平和に生きる。
なぜ仲良くできないのか、
やろうと思えばできるのにと思いますか。
ほんとうにできるでしょうか?
 
 
 
実はできません。
それは人の心の中にある罪が
邪魔をするからです。
平和を乱すもとは、
すべて人の心の中にあるのです。
 
 
 
ほんとうの平和は
罪を解決してもらった心にだけ
宿るもの。
 
 
 
イエスさまが来たのはそのためなんだよ、
と天使はさんびしたのでした。

だれでももらえる

「恐れることはありません。
見なさい。私は、この民全体に与えられる、
大きな喜びを告げ知らせます。」
(ルカ2:10)
 
 
 
抽選、好きですか?
当たるか当たらないかわからない、
そんな不確かなのはいやだ、という人と、
当たるかもしれないワクワク感が好き、
という人といるでしょう。
 
 
 
抽選の当たりは、
ディズニーランドのチケットだったり、
電化製品だったり、
一番すごいのはやっぱり宝くじの10億円?!
 
 
 
当たればけっこうすごいものが
手に入るけれど、
当たるのはごくごく一握りの人。
喜ぶ人よりがっかりする人の方が
ずっとたくさん、というわけです。
 
 
 
でも、天使が伝えたのは、
ささやかじゃないビッグな贈り物が全員に
っていうお知らせ。
 
 
 
この知らせを最初に受け取ったのが
羊飼いたちだった
っていうのが、その証拠です。
 
 
 
みんなが住民登録をしてるのに
羊飼いたちは何してたのかな?
って思ったことありませんか。
 
 
 
羊飼いは、住民登録を
しなきゃいけない人たちの中に入ってない、
一人前の「人間」とは
認められてない人たちだったんだって。
 
 
 
国や政府はカウントしてない人たち。
でも神さまはちゃんと「一人」として
見ていたのでした。
 
 
 
だれでももらえる。
だから私たちももらえたのです。