大御所どころじゃない

「わたしは烏に、
そこであなたを養うように命じた。
…わたしは、
そこのひとりのやもめに命じて、
あなたを養うようにしている。」
(Ⅰ列王17:4,9)
 
 
 
最近はあまり聞かなくなったような
気がするけれど、
「弘法筆を選ばず」
っていうことわざがあります。
知ってますか?
 
 
 
「弘法」は人の名前で、弘法大師っていう
仏教の真言宗を起こしたお坊さんのことだから、
みことばのディボーションに使うのも
微妙な気がしなくもないけど、
書道のものすごい大御所だったそうです。
 
 
 
あまりに腕がいいので、
筆がいいか悪いかに関係なく、
どんな筆を使っても、
すばらしい字を書いたんだとか。
 
 
 
「弘法筆を選ばず」っていうのは、
本当の名人にとって、
道具がいいか悪いかは問題にならない、
という意味のことわざです。
 
 
 
 
神さまは弘法大師どころじゃありません。
 
 
 
飢饉のとき、
烏に命じ、貧しいやもめに命じて、
預言者エリヤを守られました。
 
 
 
人間じゃない烏。
粉一回分しか持っていないやもめ。
普通だったらそのような人や動物が
助けになるなんて、考えられません。
 
 
 
でも神さまは、そんな動物や人も
ちゃんと用いられました。
 
 
 
神さまは、
どんなものでも用いることができます。
そういう力を持っている方なのです。
 
 
 
同じ神さまが、
今日私たちのことを守ってくれている。
何て心強いことでしょう。

心の目で

「神の全能の力の働きによって
私たち信じる者に働く神のすぐれた力が
どのように偉大なものであるかを、
あなたがたが知ることができますように。」
(エペソ1:19)
 
 
 
普段感じることがなくても、
私たちが生きている世界には
いろんな力が働いています。
 
 
 
たとえば、重力。
あるのが当たり前だから
普段は全くと言っていいくらい意識してませんが、
重力のおかげで私たちは、
浮いてしまわずに
地に足をつけて歩くことができます。
 
 
 
どんなに重いものも引き寄せるものすごい力、
それが重力です。
 
 
 
神さまを信じた私たちにも、
ものすごい神さまの力が働いているんだよ、
とみことばは教えてくれます。
 
 
 
その力は、イエスさまを
死からよみがえらせた力。
 
 
 
その力で神さまは、
私たちの死んでいたたましいにも
いのちを与えてくれました。
 
 
 
死んでしまったものを生き返らせる力は
人間は決して持つことができない
神さまだけが持っている力です。
 
 
 
そんなにすごい力が自分にも働いている
ということは、目では見えませんが、
どうやってわかるでしょうか。
 
 
 
それは、心の目で見ること。
 
 
 
重力のすごさが
地球の大気圏を離れて宇宙に行くと
よく見えるように、
神さまの力のすごさは、
地上の人間の世界だけを見ている私たちの目を
神さまに向けるときにわかってくるのです。

「このくらい」から遠ざかる

「あなたがたは彼らの中に入ってはならない。
彼らをあなたがたの中に入れてもいけない。
さもないと、彼らは必ず
あなたがたの心を転じて
彼らの神々に従わせる。」
(Ⅰ列王11:2)
 
 
 
ダイエット、したことありますか?
いったんは成功したけど、
リバウンドしたことは?
 
 
 
ダイエットに限らず、
全体的にはがまんしているんだけど、
「このくらいなら、
ちょっとだからいいかな?」
ってほんのわずか気をゆるめたせいで、
それまでの努力が水の泡…
ということがよくあります。
 
 
 
いいことだとわかってるけど、
続けられない、いやになってしまう、
もういいやと思ってしまう。
 
 
 
私たちは、放っておくと
よくないとわかっている方へ、
ダメだなと思っている方へと
引き寄せられるように傾いていってしまいます。
 
 
 
なんでなんだろう?
自分のダメさ加減に
嫌気がさすこともあるかもしれません。
 
 
 
自然に任せるとよくない方に傾くのは、
罪が人に及ぼしている影響の一つ。
私たちを引っ張るその力は
たぶん私たちの想像以上です。
 
 
 
だから、「このくらいなら
自分は大丈夫」という考えは
とっても危険。
 
 
 
「このくらい」に負けてしまうくらい
自分は弱い、ということを自覚して、
「このくらい」から遠ざかり、
自分を守ることが大切なのです。

 オールクリアのパス

「キリストは、ご自分が私たちのために
のろわれた者となることで、
私たちを律法ののろいから
贖い出してくださいました。」
(ガラテヤ3:13)
 
 
 
私たちのまわりには
(あんまりうれしくはないけど)
いろんな規則があります。
 
 
 
「校則」、「社則」、「道路交通法」、
ぐっと大きく言えば「憲法」も規則。
 
 
 
たくさんの人が生活するうえで、
しちゃいけないことを教えるためにあるのが規則。
やぶった時に受ける罰も決められています。
 
 
 
 
神さまも私たち人間に、
何が正しくて何がまちがっているかを教える
規則を与えられました。
「律法」です。
 
 
 
堅苦しい律法は旧約の話。
新約の時代はすべて赦してもらえる恵みの時代だから、
律法はもうなくなったんでしょ、
って考えている人が多いかもしれないけれど、
実は律法は今でもちゃんと生きています。
 
 
 
え~そうなの、じゃあがんばって守らないと…?
でも、律法を完全に守るなんて
人間には不可能。
だから実は人間は全員「違反者」なのです。
 
 
 
え~じゃあ、全員罰を受けなきゃいけないの?
そうなんです…けどイエスさまは、
違反者の罰を代わりに全部受けて、
私たちが罰を受けなくてすむように
してくれました。
 
私たちが「律法オールクリア」のパスを
もらえるようにしてくれたんです。
 
 
 
イエスさまがいなかったら
ほんとに大変なことになるところでした。
イエスさま、ほんとうにありがとう!
 

祝福を祈ってみる

「わたしがあなたがたを引いて行った
その町の繁栄を求め、
そのために主に祈れ。
そこの繁栄は、
あなたがたの繁栄になるのだから。」
(エレミヤ29:7)
 
 
 
わたしがあなたがたを引いて行った町。
それは、イスラエルの人たちが
捕囚で連れて行かれた遠い異国
バビロンの町のこと。
 
 
 
慣れない外国の町。
しかもお客さんじゃなく捕虜として
無理やり引いて行かれた敵の町。
 
 
 
しかもそこへ連れて行ったのは
なんと神さまでした。
 
 
 
そんなところへ連れて行った上に、
その町の繁栄のために祈れ、とは
いったいどういうこと?
 
 
 
神さまがひどい方で、
意地悪を言ってるんでしょうか。
 
 
 
そうではありません。
すべてはほんとうの回復に向かうための
神さまの導き。
希望ある将来に向かうための
導きだったのです。
 
 
 
自分が置かれている場所が
思い通りでないこと、
なぜこんな場所、
と思うことがあるかもしれません。
 
 
 
でも、恨み、嘆き、呪うんじゃなく、
祝福を祈ってごらんなさい。
そうすれば、その祈りは
自分自身の祝福になって返ってくるんだよ、
とこのみことばは教えています。
 
 
 
ちょっと勇気が必要かもしれないけれど、
思い切って祝福を祈ってみる。
ぜひやってみましょう。