本気だから

「彼ら(偽預言者たち)は
わたしの民の傷をいいかげんに癒やし、
平安がないのに、
『平安だ、平安だ』と言っている。」
(エレミヤ6:14)
 
 
「いいね、いいね。
そのままでだいじょうぶだと思うよ。」
はある意味魔法の言葉。
 
 
耳ざわりがよくて、
これを言ってればだれにもきらわれず、
だれとももめずにやっていけるでしょう。
 
 
でも、ほんとには心がこもっていないことも
多い言葉なんじゃないかとも思います。
 
 
そこまでして
相手を何とかしようとは思わない。
—はっきり言って「どうでもいい」から、
いいんじゃない、
って言ってるのかもしれません。
 
 
きらわれたくない、
いやなヤツと思われたくないから、
ほんとはおかしいなと思ってても、
「いいと思うよ」
って言ってしまうことも多いでしょう。
 
 
 
「やめた方がいい」を
だれかに言うのはエネルギーがいるし、
とても勇気がいること。
 
 
でも、それも
相手のことを本気で思えばこその
愛のあらわれの一つです。
 
 
 神さまが私たちに
「そのままじゃだめだよ」って言うのは、
ただ気にくわないから、じゃなくて、
ほんとうに私たちのことを
思ってくれているから。
 
 
それがわかる私たちになりたいね。
そして、耳を傾けられる勇気を
持ちたいね。

せっかく走るんだから

「ですから、私は
目標がはっきりしないような走り方は
しません。」
コリント9:26)
 
 
東京オリンピックまで
あと1000日だそうです。
 
 
いろんな楽しみがあると思うけど、
ハイライトの一つは、
きっとマラソンですね。
がんばり抜く人の姿を見るのは、
とてもすがすがしいです。
 
 
マラソンと言えば、
ゴールまで走り切る、
完走することがまず第一。
 
 
途中どんなにぶっちぎりの一位でも、
ゴールしなければ
意味なし、ですから。
 
 
そのためには、ペース配分とか、
いろいろ大事なことがあると思うけど、
まずとにかく、ゴールがどこなのかを
ちゃんと知ることから。
 
 
せっかく走ったのに
着いたところがもしゴールとちがうところだったら
どうでしょう。
 
 
どんなにがんばったと言っても、
すべてはムダ
ということになってしまいます。
 
 
 
私たちの人生も
よくマラソンにたとえられるけれど、
私たちが目ざしているゴールは
どこでしょうか。
 
 
 このまま行けば
天国というゴールにたどり着ける
というコースを走っていますか。
 
 
せっかくのがんばりが全部ムダになった
ということにならないように、
しっかりゴールを見定めましょう。
 
 
もし少しコースをはずれているかも
と感じる人がいるなら、
戻るのは、今です!
 

いつもさらさら

「わたしの民は二つの悪を行った。
いのちの水の泉であるわたしを捨て、
多くの水溜を
自分たちのために掘ったのだ。
水を溜めることのできない
こわれた水溜を。」
(エレミヤ2:13)
 
 
私たちにとって、なくてはならない水。
特に体を使った後の一杯の水は、
しみますね。
 
 
水にとって一番と言っていいくらい
重要なのは「新鮮」なこと。
くんでためた水をそのままにしておくと、
どんどん傷んできます。
 
 
ずーっと放っておくとヌルヌルしてきて、
やがては冬の学校のプールみたいに
ドロドロに…。
もっと放っておくと、
そのうち悪臭がしてきます。
 
 
そうならないためには、
いつも新しい水を流しておくこと。
水がわいて流れ続けている泉は、
いつも水が透き通っていて、
きれいです。
 
 
 
私たちの心の中に住んでくださる神さまは、
泉からいつも水がわき出て流れるように、
私たちの心を
さらさらときれいに守ってくれます。
 
 
でも、神さま以外のもので
満たしてある心は、
流れのない水たまりのようなもの。
 
 
最初はよかったとしても、
やがては古くなってよどんできて、
そのうちにドロドロしてくるんだよ、
と神さまは言っておられます。
 
 
そういう心から出てくるものは、
人に不快な思いをさせるもの。
 
 
目をそむけたり、
鼻をつまんだりしなきゃならないような
心にならないように、
いつも神さまに
しっかり住んでいてもらいましょう。
 
 
一度住んでくれた神さまを追い出して、
ドロドロに逆戻り
なんてことにならないように(*^^*)。
 

役割分担

「私が植えて、
アポロが水を注ぎました。
しかし、成長させたのは神です。」
コリント3:6)
 
 
私たち一般人が
ロケットに乗って宇宙旅行できる日が、
そう遠くなく、来るかもしれないそうです。
宇宙旅行、行ってみたいですか?
 
 
ロケット開発と言えばアメリカ?と思うけど、
意外にも、いろいろな部品は
日本の下町の工場で
作っていたりするらしいです。
 
 
しかも最後の出来具合は、
機械じゃなくて、
職人さんの勘にかかっているんだとか。
 
 
小さい部品だとしても、
それがないとロケットはでき上がらない
って考えると、
日本の工場や職人さんも
大きな役割を担ってる、ってことですよね。
 
 
 
私たちがクリスチャンとして成長し、
でき上がっていくためにも、
役割分担があります。
 
 
神さま、自分、
回りにいる人たちや
自分が置かれている環境など。
 
 
特に、神さまと自分の役割分担を
きちんと知ることはとても大切。
 
 
神さまがするはずのところを
どんなに自分ががんばってもうまくいかないし、
自分がするはずのところを
「神さまがしてくれるでしょ」
って待ってても、うまくいきません。
 
 
神さまがしてくださるところは
神さまにまかせ、
自分がするところは
自分が自分なりのベストを尽くす。
 
 
今、どうもうまくいかない
と思うことがあるなら、
そこらへん要チェック、です。

上も下もなく

「まことに、あなたは私たちの父です。
たとえ、アブラハムが私たちを知らず、
イスラエルが私たちを認めなくても、
主よ、あなたは私たちの父です。」
(イザヤ63:16)
 
 
 
ある程度の人数の人が集まったところには、
「主流」みたいなのができてくること、
多いと思います。
 
 
 
たとえば、その世界でいい家柄とか、
芸能界なんかだったらいい事務所とか、
政治や会社だったら、
どこの派閥に属してるか、とか。
学校のクラスでもそういうの、
あるかもね。
 
 
 
その流れに乗れば、
いろいろいい思いができるけれど、
はずれたところにいると、
がんばってもなかなか日が当たらない、
みたいな。
 
 
 
うっかりすると教会でも、
自分が主流に乗っているかどうかが
大事になってしまう人や、
「あの人は〇〇家だから、
いつも目をかけてもらうけど、
自分はちがうから、後回しだよね…」
的なことを言う人が出てくることが
あったりなかったり…。
 
 
 
そういうこの世の中と同じことが
教会に入り込んで来ないように、
いつも目をさまして
お祈りしなくちゃなりません。
 
 
 
 
そもそも神さまにとって、
私たちがどういうグループ、どういう家柄、
どういう教団、どういうサークルに所属しているか、
そんなことはいっさい関係のないこと。
 
 
 
人間的にどんなにど真ん中にいても
神さまが見たらとんでもなくはずれている、
ということだってあり得るのです。
 
 
 
神さまが見る私は
どんな時にもほんとうの私。
その私を神さまは、
だれかと比べて上も下もなく、
私そのものとして貴んでくださるのです。